始まりは、酒場の酔った勢いでセックスしたという本当に仕方のないものだった。酔った頭で、顔はそれなり、清潔感もある、ならまあいいだろうと判断して抱かれてみたら、驚くほど相性がよかったのだ。酔っていたということを差し引いてもひどい乱れっぷりだったと自分のことながらに思った。けれど相性がよかったのは相手にとっても同じだったようで、その島にいる間セックスする友人という形に収まり、海洋研究を仕事にする人間だったので、ついでに連れていくことにした。性欲処理をしてくれる客扱いである。男はナマエと言った。笑うと愛嬌のある男だった。
 海賊船に相応しくない気の利く優しい男で、ナマエの醸し出す空気はどこか甘かった。言わばそう、親のようなやわい甘さだ。幼子を可愛がるように世話を焼かれ、不機嫌を露にしてもとくに嫌な顔もせずローの傍にいてくれた。守るべき仲間でも、虚勢を張らねばいけない上司でもなく、自分を暖かく見守りそっと手を貸してくれる存在は、ローの中で次第に大きくなっていった。そうして、絆されたのである。ナマエは絶対に裏切らないと、自分を大切にしてくれていると、何があっても受け入れてくれると思ってしまったから、ナマエが欲しくてナマエを手放しがたくなってしまったのだ。けれどその思いを告げることはできなかった。中にナマエの熱さを感じても、どんなに乱れていても、『恋愛なんて面倒だ』と呆れたようなナマエの顔を思い出して苦しくなるばかりだ。ナマエはローに愛されることなど望んでいない。それが胸を抉るようで、ナマエにそんな思考を植え付けた顔も名前も知らぬ誰かを呪った。なんとも醜い末路である。報われない恋など本当にするものではないな、と自嘲することしかできなかった。

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 久しぶりに着いた島で気晴らしと探索を兼ねて街をふらついていると、以前ちょっかいかけた男がローを誘ってきた。前にヤったのが随分と気に入ったらしいのだが、生憎セックスをする相手はナマエだけで事足りているし、そもそも今のローにはナマエという好きな相手がいる。好きでもない男に抱かれる必要性をまるで感じないどころか気持ち悪いとすら思うのだ。誰彼構わずちょっかいを出していた頃とは大違いである。
 声をかけられた大通りで殴り付けてやってもよかったのだが、人の目に晒されて出港まで海軍に追いかけられるというのも面倒だ。されるがままに路地裏に引きずりこまれてやると、勘違いしたらしい男が顔を近づけてきたので思いきり金的してやろうと足を振り上げたら、ナマエが通りがかった。タイミングが悪すぎる。見つかって勘違いだけはされたくない。ローが顔を青くさせていると、おもむろにナマエが視線を向けた。ひどく驚いていた。
 そうしてナマエは慌てて路地裏にあったビール瓶をひっつかみ、ローに覆い被さろうとしていた男の頭に叩きつけて、その隙にローの手を引いて逃げたのである。助けに来たのか。ろくに戦えもしないくせに。ろくに人を傷付けたこともないくせに、ローのために。嬉しくてどうしようもなくなって唇が笑うのを止められなかった。惚れ直すだろうが馬鹿野郎と思いながらナマエを見ると、ばちりと目があった。途端、ナマエは慌てて手を離した。顔は真っ青、身体は小刻みに震えていた。暴力に慣れないナマエにはあれだけで怖かったのだろう。だがそれは見当違いの考えだったのだと、ローはすぐに理解した。


「ごめん、止めに入ったりして、」

「なんで謝る」

「それは……」


 謝る理由がローにはてんでわからなかった。謝ったナマエも俯いて何も言おうとしない。しばらく待ってみても、答えはなかった。
 そうしているうちにローはふと思い付いたことがあった。ローがあちらこちらで身体を許していたのはナマエも知る事実である。ナマエはとっさに襲われていると思って助けてくれたのだろうが、ローほどの男がそう易々と襲われるわけもない。ならば自分は邪魔をしたのではないか。ローの機嫌を損ねたのではないか。ナマエの思考がそこに行き着いてしまっても仕方がないだろう。自分の機嫌を気にしてくれているのは嬉しいことだったが、そんな誤解をされたままではローも嫌だった。
 ローがお前の考えていることは違うと口を開くよりも早く、ナマエが顔を上げた。決意したような顔。何か、嫌な予感が駆け抜けていく。


「ごめん、おれ、ここで船を降りるよ」

「は!? 待て、なんで今そんな話になる。おれは認めねェぞ」

「……限界なんだ」


 突然のナマエの言葉に、誤解を解くどころの話ではなくなってしまった。意味がわからない。そんなそぶりはなかった。暴力的ではないが、暴力を忌み嫌っているというわけでもなく、クルーたちとの仲も良好だったはずだ。もちろん、ローとの仲もだ。もし何かがあったとすれば、この島で何かが起こったことになるが、だとすると『限界』だという言葉とは一致しない。限界というのは、今までの積み重ねから起こるものだ。すると理由を聞きたくないという気持ちがどんどんと芽生えてくる。──認めない。その言葉しかローは言えなくなってしまった。
 ナマエは顔を悲痛に歪めながら黙りこくっている。降りないと言え。否定の言葉など聞きたくない。ローが語気を荒らげて告げれば、ナマエはもう嫌だとばかりに小さく呟いた。あるいは、何かにすがるような声だった。


「ローの傍にいると、自分がどんどん醜いものになる」


 己が原因であるということにいたくショックを受けたものの、それでもナマエを手放したくはなかった。もはや手放しに受け入れてくれる存在でなくなってしまったとしても、ローを否定するのだとしてもどうしてもナマエが欲しかった。
 だからローは頭の中で懸命にナマエの言葉の意味を考えた。『醜くなる』だなんていう回りくどい言い方は何か知られたくことがあるのだろうと思ったからだ。
 ぐるぐると考えていると自分に好都合な考えが浮かんできてしまう。今の言葉を、勘違いしてもいいのだろうか。勘違いしてしまいたい。ナマエを好きになって醜くなったローのように、ナマエもローを好きになって醜くなったのだと思いたかった。
 その感情に任せて顔を挟んでやる。ばちんといい音がした。顔を動かされて、ナマエは目をそらすことができない。その目を見て確信した。鏡の中で見る、愛されたいと嘆く自分の目とそっくりだった。


「馬鹿が」

「そうだな、おれは本当に、」

「馬鹿っつってんのはそういうとこだ。船を降りる? 醜くなる? もっと他に言うことはねェのか」

「……ロー?」


 ナマエが、泣きそうに顔を歪める。言ってくれ、好きだと言ってくれ。ナマエの目玉に映っている自分も、なんだか泣きそうな顔をしていた。ナマエは呆然とした表情のまま、小さく口を開いた。


「ロー、……おれ、おれは、……ローが、ローのことが、──好きだ。そんなつもりじゃなかったのに、好きになってしまった。好きなんだ、誰かと一緒に笑ってるだけで気が狂いそうになる……」


 そんな熱烈な言葉と共にぽたりとナマエの瞳から涙がこぼれ落ちた。大の大人が泣きながらそんなことを言って恥ずかしいにもほどがあるだろう。だがそれは他人から見れば、の話でしかない。ローにもその気持ちは痛いほどよくわかった。「おれもだ」と呟いて、ナマエを抱き締めるとナマエも腕を回してきた。小さい声で好きだと言い合って泣いて、本当に馬鹿みたいに幸せな時間だった。

あいは行為のつぎにある

「ローの長い片想いが叶う」出来ればものすごくビッチかビッチぶった純情。裏はどちらでも。@ものさん
リクエストありがとうございました!

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