口数の少ない先輩のことが、おれは好きだったんだと思う。

 初めて会ったとき、先輩は真顔だったからとても怖い人のように思えた。よく考えると演習中に緩んだ顔をしているわけもなかったのだが、初めて見る上官に緊張していたのだから仕方のないことだ。しかし先輩は意外にも表情豊かで、おれがドジをしても嫌な顔せずに助けてくれた。何か困っていれば雰囲気を察してくれる先輩だった。海軍で弱い人間を気遣い、そっと助けてくれる人は多くない。皆が真正面から誰の前でも気にせずに注意するからだ。それが悪いこととは言わないが勿論合わない人間もいる。だから多分、おれ以外にも先輩を好きなやつはいたと思う。だけどその大半が引っ込み思案な連中ばかりだったから、おれみたいに自覚のない馬鹿か告白もできない連中ばかりで、先輩に恋人がいるという話は一度も聞かなかった。
 先輩の階級に近付いてもドジをやり続けるおれに「相変わらずだな」と目を細めて笑う先輩の優しさが好きだった。大好きだった。ずっとその背を追いかけ続けるのだと思っていた。



 先輩が、長期遠征に行くという。それも戦地にだ。とある国から海軍への要請があったらしい。先輩はとても強い人だったから、その遠征に組み込まれるのは当然のことだった。大変だな、と思った。ここぞという時にドジを踏む可能性のあるおれは、戦力として期待されつつも今回は外された。お前がいるとナマエが気を使うだろうと他の上官から言われて、閉口するほかなかった。ナマエ──先輩が戦場でおれを人一倍気遣ってくれるのはいつものことだからだ。
 もっと気を付ければいいのだろうか、と思ってもドジはほとんど生まれつきだ。もしかすると脳に何らかの異常があって注意力の足りないのかもしれない。そんなふうに気を落としながら本部の廊下を歩いていると前から先輩が歩いてきた。持っていた資料を軽くあげて振ってくる。


「先輩! 久しぶりで、ッ!」

「おう、久しぶり──と、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です! ……いつもすみません」

「いいって、気にするな」


 何もないところですっ転びそうになったおれの手をつかみ引っ張ってくれたたま、先輩が抱きとめるような体勢になってしまい、色々な恥ずかしさから俯いてしまう。先輩は軽く笑いながらおれの手を離した。いつもならそのまま立ち去ってしまうであろう先輩の手をつかむと、先輩はすこし驚いたような顔をしておれを見つめた。


「どうした?」

「い、いや、その、……今度、遠征行くって聞きました」

「ああ、明日出発らしいな」

「早いんですね」

「もう戦争が起きてるからな。一刻も早く助けにいかないとまずいだろ」


 あまりにも当たり前のことを言われて、浅慮な自分が恥ずかしくなりまた俯いてしまった。先輩は息を漏らした。顔を見てはいなかったからはっきりとしたことは言えないけれど、多分、苦笑いだったと思う。先輩に呆れられたくないが、弁明する言葉も見つからない。しばらく先輩の腕をつかんだまま動けなくなっていると、「そういえば」と先輩が話を切り出した。


「このご時世、おれもお前もいつどこで死ぬかわからないし、後悔しないように言わせてもらうかな」


 その予想外の言葉に思わず顔を上げた。これから遠征に行くというのに、まるで死ぬみたいで縁起が悪いじゃないか。不安げな顔をしたであろうおれに対して、先輩はとても真剣な顔をしていた。本当にいつどこで死ぬかわからないと思っている。先輩は常に覚悟を決めて生きていて、おれとは全然違うのだと思い知らされた気がして奥歯をぎりと噛み締めた。彼がとても遠い存在のように思えたからだ。


「好きだ」


 そんな思考から一転、おれは何も考えられなくなっていた。理解が及ばない。口は辛うじて、へ、と一音だけを発したがそれ以上は何も起きなかった。……もしかすると幻聴だろうか。そう思い首を傾げると、先輩はもう一度、さきほどよりもはっきりと言い放った。


「お前のことが好きだ」

「えっ、え!? あ、あの! はっ!?」

「多分お前が想像してる意味であってる。別に返事はいらん、それだけだ。じゃあな」


 おれがびっくりして手を離せば、先輩は歩き出そうとしていた。好き。先輩が、おれのことを。多分、恋愛的な意味で? 言葉の意味を理解したら頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった。どうしておれなんかを。先輩が、本当に? 嘘をついたり、こんなひどい冗談を言うような人ではないから本当なのはわかっていたが、脳みそが追いつかなくなってしまった。
 顔が一気に熱くなって、返事なんてできるわけもなかったけれど、先輩はそんなおれの姿を見ていつもみたいに笑ってくれた。その笑顔から視線が剥がせなかった。


「それじゃあ返事してんのと一緒だな」


 優しくおれの頭を撫でて「次は言葉で頼むぞ」と言い、手を振りながら去っていった。おれはどうしていいかわからなくてその日は緊張のせいかドジは一回もしなくて、それでそう、おれはドジじゃなくても好いてもらえるんだろうかと変に不安になって。きっとおれも先輩が好きなんだと思ったんだ。ようやくわかったんだ。おれは、先輩が好きなのだと。
 でも先輩、次なんてなかった。どうしてあのときちゃんと好きって言わなかったんだろう。あなたは帰らなかった。先輩の上官から聞いた話では戦地に迷い込んだ子どもと逃げ惑っていた部下を庇ったらしい。子どもを逃がして部下を逃がして、敵さえ倒して、けれど足をやられた先輩は逃げられなかったようで、爆発に巻き込まれて死んだと言った。死体すらまともに残らなかったと。
 上官はとても怒っていた。庇うなんて馬鹿なやつだと怒っていた。上官なりに先輩が亡くなったことを惜しんでの言葉なのだろうとは思ったが、おれはとても彼らしいとも思った。いつも誰かのためを思っていた先輩は、その思いのままに死んでいった。わからないことを懇切丁寧に教えてくれた彼は、本当にいつ何が起こるかわからないんだとおれに身をもって教えてくれた。そんなことを教えてほしくなんかなかったのに。後ろ指をさされてもいいから帰ってきてほしかったのに。もっとおれが強ければ同じ戦場に出て彼を助けられたんだろうか。悔やんで子どものように泣いても、静かに慰めてくれる先輩はもういなかった。



 気が付けば、おれは同じようなことをしていた。死ぬ間際になって久しぶりに先輩のことを思い出したくらいだから意識しての行動ではなかったのだけれど、間違ったことはしていないはずだと素直に思えた。それも先輩のおかげだろうか。後悔はどこにも見当たらなかった。先輩はこんなおれを褒めてくれるだろうか。怒るかもしれない。好きと言ってくれたあの人なら、おれが死ぬことにきっと悲しんでくれる。それからきっと迎え入れてくれる。そんな気がした。
 死んでしまったあとのことなどわからないけれど先輩が先に行っているのだから怖くもなんともなかった。ああ、先輩の声が聞きたい。先輩の笑顔が見たい。今はもう曖昧にしか思い出せない先輩しか縋るものもない。いや、それは違うか。ローもいる。ローはきっとうまく逃げるだろう。ローはきっと病気を治すだろう。ローはきっとすくすくと育つだろう。それらはこれから死ぬおれにとって救いだった。きっと。きっと。──こんなふうに、先輩も思ったんだろうか。


「悪く、ねェな」


 人のために死ねるのは、悪くない。未来のある子どもならなおのこと。身体はすこし寒すぎるけれど、心はとても暖かい。ぼんやりとしてきた意識の中で目蓋をゆるりと落とすと、先輩がため息をついて笑ったような気がした。

やさしさで閉じる

ロシナンテ(コラソン)のお話@匿名さん
リクエストありがとうございました!



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -