恩人白ひげのクルーであるエースが捕まったと聞いて、ジンベエは長年連れ添った恋人に別れを切り出した。政府に反旗を翻すつもりであるため、このままではどういった目に遭うかわからない。恋人のナマエは白魚のような儚い人魚なのだ。危ない目には遭わせられない。そう思って切り出した別れに、ナマエはぽろぽろと涙をこぼした。
 ジンベエとの別れを惜しんでの涙なのか、それともジンベエの身を案じての涙なのか、ジンベエには判別できなかったが、けれどジンベエを愛してくれているがゆえであることはわかった。ジンベエにとってはそれだけで十分過ぎた。例え、この先二度と会えなくなってもいいと思えた。


「……ぼくもついていく」

「駄目じゃ。お前さんには危ない」

「戦えないから?」

「ああ」

「戦えないけど、人を殺すことはできるよ」

「……お前さんが?」


 突然物騒なことを言いだしたナマエに、ジンベエは困惑した。ナマエは血や争いを嫌っていたはずだ。そうまでして自分の傍にいたいと言ってくれることは、男冥利尽きるだろうが、かと言って無理をさせて殺したいわけではなかった。ナマエが無事でなければジンベエが別れを切り出した意味がない。


「ぼくは、セイレーンなんだ」


 一瞬ジンベエは時が止まったように感じた。セイレーンとは、一般的に人魚の異名と思われているが、歌で人を惑わせ船を沈める化け物のことだった。勿論人魚をモチーフにしたおとぎ話、ではない。実在する化け物なのだ。見分けがつきにくいものだとは知っていたが、実物を見たのはジンベエも初めてだった。当然だ。セイレーンに遭った人間は、誰も生きて帰って来ないのだから。
 長年恋人である男が人魚ではなくセイレーンであることを告白されたときの気持ちをどう表現したらいいのか、ジンベエにはわからなかった。嘘だと言い切れれば、どれほどよかったことだろう。セイレーンは、人間を食う。人魚や魚人は食われる側だというのに、セイレーンに似ていることから人間に怯えられたり嫌われる。近しくて恨みの対象になる明確に違う生き物、それがセイレーンだった。


「ごめんね。人間じゃなくて。人食いの化け物で」


 ぽろぽろ涙をこぼすナマエは、きっと嘘をついていない。共に過ごした長い年月が、ナマエの言葉を真実だと認めている。ナマエが嘘などつくものか。わかっている。だからジンベエは今こんなにも苦しんでいる。


「どうして話した……黙っとればよかったはずじゃ……」


 セイレーンが陸で見つかれば、それこそどうなるかなんてわからない。喉を潰され酷い拷問にかけられるかもしれない。それともすぐに殺されるか、あるいは実験動物にされるか、何にせよまともな人生など送れるわけもない。
 涙で濡れた儚げな美貌で、ナマエは笑った。ジンベエの問いには答えない。


「ぼくの歌は、人を惑わし、船を沈める」


 祭りで曲や歌が流れては音痴だからと困ったように笑っていたナマエを思い出す。そのとき深く考えなかったジンベエは騙されていたのだろう。ナマエは自分の命がかかっていたのだから利己的な感情から隠したのかもしれない。けれど今、この瞬間だけは紛れもなく違っていた。


「だからどうか、ぼくを頼って」


 ナマエは自分の命を擲ってでもジンベエを助けることを優先し、正体を告げたのだ。ナマエに別れを切り出さなければ、こうはならなかっただろう。逃げるように戦場へ出ていれば、こんなことにはならなかったのだ。
 セイレーンであることを言わせてしまった自分を、ジンベエは酷く恥じた。ナマエはきっと大々的に力を行使するだろう。そうしてしまえばこの戦いが終わったとき、たとえ勝っても負けても、ナマエはもうここにはいられない。きっと人間の手が入る場所には、どこにもいられない。ただナマエを巻き込みたくないという気持ちが、ナマエのすべてを奪ってしまった。
 例え、二度と会えなくなってもいいと思えたのは、こんなことになってもいいと思ったからじゃない。大切なものを取りこぼした自分があまりにも情けなくて吐き気がした。

ジンベエさんとセイレーン@匿名さん
リクエストありがとうございました!



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