アイゼルネ・ユングフラウ番外編


 言い訳が許されるのであれば、まさしく『魔が差した』である。


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 ハロウィンが嫌いな女子供はいないのだろう、とセンゴクが思ったのは、手のひらを見せながら去年のように「トリック・オア・トリート、です!」という言葉を口にしたナマエがいたからであり、過去に拾ってきた子どもの笑顔を思い出したからでもあった。


「ほら、菓子だ」


 用意していた菓子を渡せば、ナマエは礼を言ったあとその場で口の中に詰め込んでまた「トリック・オア・トリートです!」と言った。正確に言えば口の中に物が入ったままの状態だったため、「ほふぃっふほわほひーひょふぇふ!」というような、一度言われたからなんとなくわかる程度のものでしかなかった。
 ルール違反とも言える、珍しく強情なナマエの態度に疑問符が浮かんだ。ナマエは本来、食べ物を口に詰めたまま話すようなことはしないはずなのだ。しかも貰ったものをその場の勢いで食べ切るような真似もしないとセンゴクは思う。


「ナマエ、菓子はもうないぞ」

「じゃあ悪戯ですね! あ! お菓子美味しかったです!」


 ああそうか、この子は悪戯がしたかったのか。満面の笑みを向けられて、センゴクはようやく事の流れを理解した。
 仕方ないな、と緩やかな笑みを作れば、ナマエから屈むように指示される。この年の女の子のする悪戯と言えばなんだろうか。女子のしたがる悪戯というのがぴんと来ないが、まあ大したことがないだろうとセンゴクは高を括っていた。

 ちゅ。

 同じ視界を共有できるまで屈んだとき、頬から聞こえたのはそんな音だった。次いで自覚するのは柔らかな感触で、触れ合いそうなほどの距離にナマエの顔がある。他意はないであろう子どもらしい、楽しそうな笑みが浮かんでいた。


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 ボルサリーノは今日がハロウィンだということをすっかり忘れていた。ちょうど遠征から帰って来たばかりだから、というのは言い訳になるだろうに、「トリック・オア・トリートです!」とナマエが差し出して来た手とそのキラキラした瞳にはどうにも逆らい難かった。


「おォ〜……ナマエ、悪いけど今菓子はないから帰りに何か買ってあげるよォ」

「あ、お気遣いありが、あっ、いやいや! ダメです。こういうときは悪戯です! 現物オア悪戯なのです!」


 綺麗にお辞儀をしそうになったナマエがハッとして首を横に振る。その懸命な仕草でボルサリーノはおおよそのことを察した。今年のナマエは悪戯に力を入れているらしい。うっかりお礼を言いかけたあたり、普段のいい子が滲み出てしまっていて、つい顔が綻んでしまった。


「ならお手柔らかにお願いしようかなァ〜」

「ふっふっふっ! お任せください! あ、屈んでもらっていいですか?」


 笑い方がどこかの七武海を思い出させるが、きっと気のせいだろう。ボルサリーノは言われた通りに屈み、視線が噛みあう位置まで腰を下ろし、サングラスの奥で目をしばたたかせた。

 ちゅ、と頬にキスを一つもらったからだ。

 驚いてナマエを見れば、イヒヒ、と歯を見せて笑っている。表情から察するに悪戯大成功といったところか。ボルサリーノもつられて笑ってしまった。
 なんて可愛い悪戯だろうか。これはお返しにお菓子で渡してやらなければ。


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 ナマエに「クザンさん! トリック・オア・トリート!」とワクワクした顔で言われたクザンは、去年のことを教訓に用意していた菓子を取り出そうとして、不意にちょっとした悪戯心が湧いた。もし菓子を用意していないと言った場合、ナマエはどうするんだろうか。残念そうな顔を見たいわけではなかったのだが、聞いてみたくなってしまった。


「ないから悪戯にしてくんない?」

「えっ」


 予想していなかったのか、クザンの返しにナマエの瞬きを繰り返していた。その間抜け面が可愛らしくてあどけなくて、すぐに撤回しようと思ったのだが、ナマエが親指を立てた。


「わかりました! じゃあ屈んでください!」

「えっ」


 次の驚くのはクザンの番だった。すぐに悪戯が思いつくとは思っても見なかったのだ。「早く早く!」と急かされて、クザンは膝を折る。頭の中では、去年貰えなかったことを教訓に断られたときの悪戯をいくつか考えてきたのだろうか、と疑問を浮かべていた。
 視線がかち合うほど近づけば、自然にナマエの顔に視線が行った。相変わらず整った顔をしている。触らなくてもわかるほど滑らかな肌に長い睫毛が影を作っていて、なんだか背中がそわそわした。ふわりと甘い少女の匂いが鼻腔を刺激する。柔らかそうな唇に目をやると、迫ってきているように感じた。女に飢えてるつもりはないんだけどな、なんて思った頃には本当に近づいていて、ちゅ、とリップ音。


「……え?」


 クザンはこんなことを微塵も予想していなかった。ナマエの顔がゆっくりと離れていく。離れていくということは、近づいていたということで。いやたぶん口ではなかったけどすごく近い位置だったわけで。
 もう一度クザンが「え?」と呟くと、ナマエが目を細めて口角を上げ、にんまりと猫みたいに笑った。


「いえ〜い、悪戯大成功」


 ナマエのその顔が、乱暴に言ってしまうと『すっげェえろかった』ので、クザンは思わず顔を覆い隠して深呼吸した。──落ち着け。早く落ち着け。頼むから襲うなよ。相手は十代の年端も行かない女の子だぞ。絶対に手ェ出すんじゃねェぞ。
 黙り込んで己の自制心と良心に訴えかけるクザンは、きっと傍から見たら滑稽だった。


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「サカズキさん! トリック・オア・トリートなんですが、悪戯させてください!」

「……なんじゃァそりゃ」


 ノックして部屋に入って来たナマエが休憩中かどうかを確認するなり、サカズキにそう告げてきた。去年の過ちを繰り返すまいとしてテーブルの上に菓子を用意してあったサカズキに対して、である。
 テーブルの上の菓子に気が付いたナマエが「あっ」と言ったので、おそらくわざわざサカズキのために悪戯を用意してきたのだろうと見当がついた。去年初めてハロウィンを知ったサカズキが忘れていても参加できるようにという配慮からだろう。


「えーと、」

「悪戯しよるなら菓子は持って帰ったらええじゃろ」

「両方だと……サカズキさん心広すぎ案件……!」


 ナマエの言ってることはいまいちぴんと来なかったが褒められているらしいということはなんとなくわかった。ナマエは座っているサカズキに近づいてきて、隣に立った。横に立ってなお、サカズキの頭の方が高い位置にある。


「少し頭下げてもらってもいいですか?」


 言われてサカズキは背中を曲げて頭を下げる。視界の高さが同じくらいになることなど珍しいな、と思っていたら、顔が近づいてきて頬に口づけられた。途端、サカズキがナマエの肩を掴んだ。
 ナマエは「ひえっ!?」と驚いているようだったが、サカズキはぐつぐつと煮えたぎるような感情を上手く制御出来ていなかった。


「誰に唆されおった?」


 こんな馬鹿みたいな悪戯を考案したのは一体誰だ。純粋なナマエを唆してやらせた馬鹿を叩きのめさねば気が済まない。驚かすという意味ではこの悪戯は成功も成功だろう。しかし、こんなことをナマエにやられて欲が湧かぬ人間はおそらくいないはずだ。相手によってはただの悪戯では済まなくなるおそれがあるとても危険な行為だ。


「えっ、あ、あの、……ガープさんです。でもその! 悪気はなくてですね、ただ、悪戯の中でも人を傷つけずに驚くけど喜ばれる程度のものってことで!」


 まさかガープ中将であるとは思っても見なかったが、得心がいった。ガープ中将はそのような邪な感情を抱くことのない性質の人間であるがゆえ、危険性にまったく気が付かなかったのである。
 ナマエの言い訳染みた言葉は、正しいのだろうということはサカズキにもよくわかった。おそらくガープ中将にもナマエにも他意はなく、誰かのためを考えた悪戯なのだろうということもわかる。だがナマエのためにはならないことに違いないのだ。


「嫌なことしてすみません……もうしません……」


 ナマエが半泣き状態でそんなふうに謝るものだから、サカズキの内にあった怒りは急激に萎れていった。誰かにやってからでは遅いと思って怒りが湧いたが、決して謝らせたいわけではなく、落ち込ませたかったわけでもないのだ。


「……別に、嫌じゃァ、のうが……危ないことをしちょるっちゅう自覚がのうなっとるんが、問題じゃと、」

「あ! そういうことだったんですね! 大丈夫です、それについてはガープさんからも言われてますし、ちゃんと相手は選んでますから!」

「……、ほーか。わしの他に、誰にやったんじゃ」

「サカズキさんの他には、今のところセンゴクさんとボルサリーノさんとクザンさんです!」


 ……クザンあたりは何か邪な感情を抱いたような気がしてならず、また少しの苛立ちが湧いた。だが顔に出せばまたナマエを落ち込ませるだけだ。サカズキは苛立ちを必死に押し殺しながら、他にやらないようにと釘を刺してナマエを仕事に戻らせた。


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 今回のことは、本当に、魔が差しただけなのである。

 ハロウィンが近づいてきて、今年もいっちょ菓子回収したると気合を入れたまではよかったのだが、仮装めんどくせーなとかなんか高いハードル要求されそうだなとか色々と考えていたことをオブラートに包みつつガープさんに相談したら、いっそ悪戯に専念するのもいいんじゃないかと楽しそうに言われてつい乗ってしまったのだ。

 そこからガープさんと、人を傷付けず皆がハッピーになれそうなものにしようと試行錯誤した結果がこれだった。
 断じて、断じて悪意も他意もないのである。

 いや、他意はあるかもな……。ぶっちゃけセクハラしたかったけど、さすがに尻とか揉むのはちょっとね? マズいんじゃないかって。クザンさんなら「へっへっへっ!」とか笑いながら近づけばノリで揉めると思うけど、他の人はマズいと思うし。いや本当はクザンさんも十分マズいんだけどさ……許されるし……。
 そんなわけでおれの願望も含みつつ選ばれたこのセクハラまがいのほっぺにちゅー作戦──物の見事にサカズキさんの逆鱗に触れたようだった。正直調子乗ってました。みんな驚いてくれたし、嫌がったそぶりとかまったくなかったんで……でもよくよく考えたらおれに考え悟らせないようにするくらい余裕だよね? もしかしたら潔癖みたいな感じでスッゲー嫌だった人もいるかもだよ。マジ迂闊。
 ただサカズキさんは、触られるの嫌! 気持ち悪い! の類いではなく、純粋におれの心配だってんだから優しさがほとばしってると思う。あのあとお菓子もくれたし心広すぎィ……!

 ってなわけで、イベントにかこつけて悪戯するのは自粛しようかと思います。サカズキさんに両肩捕まれたの結構トラウマ。マジで怖かった……。

 でも悪戯してーなー!!
 来年までに恋人作って悪戯括弧性的な意味で括弧閉じしたいけど無理くせー!!


「ナマエ〜、仕事終わったかい?」

「終わってますー!」

「わっしも終わったからお菓子買いに行こうかァ」

「はい!」


 まあとりあえず来年のことは来年考えればいい。今日はボルサリーノさんにお菓子買ってもらって帰ろう!

アイゼルネ・ユングフラウ設定で、『魔が差したメイドがいたずらとしてほっぺちゅーをかます』をリクさせていただきたいのですが……!お相手(被害者)は三大将(赤犬・黄猿・青雉)+元帥(センゴク)でお願いします!@匿名さん
リクエストありがとうございました!



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