恋人になったばかりの部下が忙しなく何か準備をしていたので、サカズキが何気なく聞いた一言が事の発端だった。菓子の詰まった箱を抱えて行ったり来たりする恋人に、一体それを何に使うのかと問うたのだ。孤児院の慰問か何かくらいしかサカズキにはまるで思いも付かなかったからだ。


「これですか? えーと……バレンタインのお返し、というやつです」


 バレンタイン。その言葉にサカズキの目は点になった。たしかにナマエという男は顔の作りが整っているし、物腰も柔らかで女受けすることは間違いのない人間である。だからと言って箱単位でチョコレートをもらうようなやつだとも思っていなかった、というのがサカズキの認識だった。実際、バレンタインの日だからといって女海兵に囲まれて身動きが取れないだとかナマエに渡す人間が目につくだとか、そんなことになっているわけではないのだ。だから、要するに、それらはほとんど秘密裏に行われている──すなわち本命だということだ。


「今までは一ヶ月後にでも返せばいいかと思っていたんですが、今年からはサカズキさんがいますし、告白はその場でお断りしてお菓子の分だけはお返しさせていただこうかと……」


 露骨に嫌な顔をしたであろうサカズキにナマエはそう言って苦笑いを作った。断りを入れ期待を持たせないわりにお返しを用意してくるあたりがナマエらしいと言えばナマエらしいが、男らしくないと言えば男らしくないではないか。サカズキという恋人がいるのだからチョコレートも受け取らずに断ればいいものを。歯噛みしたくなる程度には、サカズキはナマエのそういう無遠慮な優しさが嫌いだった。

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 そうして何故かサカズキはチョコレートなどの材料が並んだキッチンの前に立つ羽目になっていた。どうしてこうなった。頭が痛くなるようだったが、サカズキがうっかり愚痴をこぼしてしまったボルサリーノは隣で実に和やかに笑っている。


「というわけで、わっしが用意してあげたんだから作って渡すんだよォ〜」

「待て。わしがこんなことをする意味がわからん」

「あのねェ、ナマエはチョコレート受け取るんだよォ? 恋人であるサカズキがあげないとなると存在感薄れるよォ〜?」

「……そんなわけあるか」


 口から出た声は言葉に反して弱々しかった。付き合ったばかりのバレンタインデーに何も贈らない恋人に、年若いナマエが何も思わないと言い切れないからだ。今はサカズキにベタ惚れと言って相違ないがいつ若い女に靡くかなどわからない。
 そんなサカズキの考えなどお見通しなのだろうボルサリーノはにっこりと笑い、参考にしろと料理本を置いて去っていった。ありがた迷惑なお節介である。そう思いながらも本を開いてしまう手前、きっとサカズキの不安は誰にでもわかりやすいものだったのだ。

 しかしそれ以前の問題だったとサカズキは気が付いた。

 本に書かれている意味がまったくもってわからない。菓子作りどころか自分で料理を作ることもめったにないサカズキにとって、慣れたものならなんてことのない言葉でもまるで意味がわからなかったのである。湯煎で溶かすという言葉ひとつを取ってみても意味がわからず固まってしまう有様である。湯煎、という言葉から察するに、湯を使って溶かすのだろうが、煎じるという意味合いでは湯の中にチョコレートを突っ込んで溶かすということになるのではないだろうか。だがそんなことをすればチョコレートが薄まってしまって食えたものではないはずだ。


「……溶かしゃァええんじゃ」


 大事なのは溶かすことである、と初心に立ち戻って湯煎という方法は置いておき、チョコレートを溶かすことだけに専念することにした。わからない方法を考えても仕方ないのである。サカズキはチョコレートを直接鍋に入れ、火にかけることにした。溶けの悪いチョコレートを見ているうちに苛立ちが募ってくる。するとうっかり鍋を持っていた手がマグマと化して、鍋ごとチョコレートを溶かしてしまった。呆然と見つめることしかできずにいたせいで、鍋はもはや消し炭に近い。


「サカズキさん? 黄猿大将にここに行くように…………」


 ナマエの声だった。なんという最悪のタイミングで来てしまったのだろうか。目の前にあるのは消し炭同然の鍋。微妙に残っているチョコレートの材料たち。何をしでかしたのかは一目瞭然だった。ナマエも声を失っている。こんな情けない様を恋人に見せたいわけもなく、柄にもなくサカズキは泣きそうになった。いい年して、何をやっているのだろうか。


「サカズキさん、まさか、おれのために?」


 予想に反し、ナマエの声は歓喜に震えていた。おそるおそる振り返ってみれば、泣きそうなのはナマエの方だった。感極まったとばかりの表情でナマエはいきおいよくサカズキに抱きついてくる。「うれしい」と吐き出された声がサカズキにとってどれほど嬉しいものだったか、ナマエは知りもしないのだろう。


「……ものの見事に焼け焦げおったぞ」

「いいんです、それだけで、おれ、すごい幸せです」


 チョコレートなんてたくさんもらうくせに、これくらいで喜ぶなんて馬鹿なんじゃないだろうか。そう思いながらも、サカズキの唇は自然と笑ってしまっていた。

サカズキさんで、本命の相手にチョコを作ろうとするも、お菓子作りなんてやったことがないので、湯煎でチョコを溶かすどころかマグマグで焼失させてしまって泣きそうになるサカズキさんをお願いします。男主がそれを知っているかどうかはお任せします。@405さん
リクエストありがとうございました!



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