ボルサリーノは、メアリという存在を不思議がっている。元海軍大将であったとある爺様の娘であるメアリが海軍本部で働いていることは一見何も不思議ではなかったのだけれど、良く考えればいくら三大将という大層な職に就いているとはいえ秘書官がいるのにメイドを雇う必要性はあるのかだとか、遺産を受け取り一生で使いきれないような金を持った地位の高い女が働く意味はあるのだとか、色々と不思議であった。そもそものところ、何故爺様がメアリをメイドとして育てたのかもわからない。亡くしたご息女にそっくりだったメアリを養女として迎え入れたのなら、間違ってもメイドとして育てることはないはずで、そうでなくともメイドなどやっているべき家柄の人間ではないのだ。そしてそれを何も不思議に思っておらず、完璧に仕事をこなし、整いすぎた見た目や出自とは裏腹にいたって普通の感性を持つメアリという少女。


「本当、不思議だねェ〜」


 捨て子だったメアリはまず爺様を取り込んだことになる。ただの美しい少女であったのなら、奴隷になっていた可能性だってあるけれど、メアリは爺様に出会い、亡くしたご息女に似ていることから引き取られた。何故かメイドとして育てられたメアリは、爺様が死んだあと遺産を一人占めにした。ここまで考えれば恐ろしい女のように聞こえるけれど、メアリはその遺産にはほとんど手を付けず、海軍本部でメイドとして働いている。
 それもこれも爺様の遺言書があったとはいえ、クザンがセンゴクに掛け合ったことに由来する。あんなところに一人で居させるのは可哀想だから。仕事は完璧だから。おれもきちんと仕事をするから。何があそこまでクザンを駆り立てたのだろうか? 実際メアリの仕事ぶりはメイドとしての領分を超えているほど完璧で大将たちの秘書官を無用としてしまったし、クザンとてメアリが来る前と比べたらきちんと仕事をするようになった。
 そして最後までメアリを不要だと反対していたサカズキがああも容易に陥落した。クザンならばともかく、サカズキは容姿に左右されるような単純な思考回路はしていない。けれど気がつけばサカズキが一番メアリを甘やかしているという事態だ。いったい、何がどうしてそうなったのか。
 ボルサリーノには不思議でたまらない。メアリも、メアリを取り巻く全てにも。だからこそ近いところで観察を続けているのだけれど、結局、いまいちわからなかった。

 そんなメアリは今、ボルサリーノの視界でこれでもかと背伸びをしている。精神的にではなく、物理的にだ。この世界の人間は身長の差が大きく、資料室の壁も体格の大きい者にあわせているため高い。ギリギリ届くか届かないかの場所の資料を取ろうとしているメアリは、ぶるぶると身体を震わせている。台の上で足を伸ばしている姿は小鹿のような動物を彷彿とさせる。あれを愛らしいと形容するのだろう。そうしているうちに、メアリの指先は資料に引っかかる。が、「あ」と呟きを残してメアリの身体はぐらりと揺れた。おまけとばかりに引っ掛けた資料もメアリの後を追って、床に叩きつけられる──というところでボルサリーノは動いた。観察をしたいとはいえ、さすがに怪我をさせるわけにもいくまい。


「大丈夫かァい?」

「……ボルサリーノさん? あれ、えっと?」


 きつく閉じていた目を見開いたメアリは、事態を理解できていないのか混乱したように周りを見渡した。混乱しているためかいつものメアリらしくなく、仕事中のメアリに相応しくないほど幼い反応を示している。ボルサリーノが後ろに転んだところを助けたことを説明し、先ほどついでに拾った資料を差し出すとメアリは二回ほど瞬きをしたあと、花でも咲かせたような笑みでとんでもないことを言った。


「王子様みたいですね」

「……はいィ?」

「王子様です、王子様。転んだところを助けてくれるなんて結構ベタですよね」


 ふふふ、と笑ったメアリを見て、ボルサリーノは呆気に取られた。ボルサリーノは生まれてこの方、王子だなんてものに例えられたこともなければ自分が似合うと思ったこともない。あまりにもぶっ飛んだことを言われて、ボルサリーノはメアリ少々夢見がちな少女なのだろうという結論を付けた。けれどメアリはそんなボルサリーノの考えに気が付いた様子もなく、にこにこと笑って有り得ない言葉を吐き出した。


「三大将のみなさん、そうですよね」

「……えーとォ、わっしやサカズキや、クザンが、王子様って言いたいのかい?」

「ええ」


 予想の斜め上どころではなく、空が降ってくるほどありえない言葉が耳に届いて、ボルサリーノの脳は一度思考と理解を放棄した。けれどすぐに起動し直した脳みそはメアリの発した言葉の意味をぐるぐると考え始める。ボルサリーノも、サカズキも、クザンも、到底王子様と言われるような人間ではない。まず年齢、そして容姿に性格。どれをとっても王子様などという思考には普通なら至らないだろう。せめて皇帝だとか、威圧的な言葉ならまだわかったのだけれど王子様などという幻想にも近い存在とは似ても似つかない。メアリの思考回路があまりにも理解できなくて、気がつけばボルサリーノは口を開いていた。


「何をもって王子様だなんて言っているのかわっしには全然わからないんだけどねェ……」


 本心のままにそう告げればメアリが意外そうな顔をして驚いていた。他人にも通ずる考え方だと思っていたということなのだろうが、ボルサリーノにはそれが理解に苦しむ点でしかなかった。年が離れているから理解できないというよりは、まったく別の環境で育ったから理解できないという方がしっくりくる。別世界の人間、というやつだ。きっとメアリは汚い世界を知らないのだろう。そんなふうに思ってしまう。だから王子様なんていうまやかしみたいな言葉が口から吐き出せるのだ。メアリはボルサリーノの欲しているはずの答えを桜色の唇からゆっくりと落していく。


「ボルサリーノさんは今助けてくれましたよね? サカズキさんは先日、絡まれているところを助けてくれました。クザンさんは……うーん、優しいですよね!」

「まさかメアリ、それだけで王子様なんて言う気なのかい?」

「年上で頼りがいがあって地位も権力もあって高給取りで、挙げ句の果てにどこまでも強いでしょう?」


 メアリの口から出たとは思えないほど、現実的で即物的な条件を付加されてボルサリーノは「……随分、現実的な王子様だねェ」と返した。ボルサリーノのその様子から何かを感じ取ったらしいメアリは「もしかして」という言葉のあと、よく響く声で呟いた。


「王子様、という表現はお嫌いですか?」

「……いやァ、別に、そういうわけじゃァないけどねェ」


 ボルサリーノの返答はむしろ、イエスと答えてしまっているようなものだ。そうわかっていても、突然のことにうまく対応できなかった。メアリは曖昧に笑った。伝わってしまっているということは明らかで、ボルサリーノも苦笑いだ。本当に、ボルサリーノは王子様という表現が嫌いなわけではない。ただ、王子様というのはあまりにも自分の生きている世界とは違いすぎてうまく消化できないのだ。もしくは、自分と違いすぎて、幻を見ているような気分になる、とでも言えばいいのだろうか。言葉にするのは少し難しいけれど、もやもやとしたものが心に残るのは確かだった。
 しかしメアリの言う王子様とボルサリーノの言う王子様という言葉には差があるようにしか思えないのもまた確かだった。ボルサリーノの考える王子様というのは、いわゆる本の中や現実にしてもやんごとなき血筋を引く別世界の生き物だ。なのにメアリの言う王子様という言葉には何か違うものを感じて、ボルサリーノはゆっくり口を開いた。


「メアリにとっての王子様ってのは、どういうものを言うんだい?」

「え? 別に深い意味はないですよ。ただ、女の子が好きそうな素敵な男性って意味で」


 不思議そうな顔でそう答えたメアリを見ていたら、くすりとボルサリーノは思わず笑ってしまった。ボルサリーノの考えすぎだった。メアリはやわくあまい肢体を持つまだ幼い少女であると同時に、とても大人びている。女という生き物は総じてそうなのだろう。王子様なんて言葉に夢を見ているわけではないのだ。メアリを抱きしめたままだったボルサリーノはメアリを立たせてやりながら問う。ただの戯れだ。


「じゃあわっしらの中で一番素敵だと思うのは誰なんだい?」

「お三方の中でですか? うーん、難しいですねー。年齢とかでなく一番大人なのはボルサリーノさんですし、一番わかりやすいのはサカズキさんで、一番構ってくれるのはクザンさんですけど……」


 そう言って悩みこんだメアリは最後に答えを出して、それを聞いたボルサリーノは珍しくも噴き出して笑ってしまった。ああこれは、みんなにも聞かせてやらねばなるまい。


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