事故から一ヶ月経って目を覚ましたわけだが……周りが超過保護なのなんのって。まあ、強い強いって言われてたおれが足を滑らせただけで死にかけたんだから仕方のないことなのだが。 というか、この一ヶ月、大した治療も大した栄養も与えられていないのに、死ぬこともなければ不思議なことにブツが生えてきたものだから、そりゃあもう大騒ぎ。父は娘の気持ちを思いやってどう接したらいいかわからない感じだし、母は娘の心情を思って泣いていることもある。娘が息子になるかもしれないってんだからそりゃてんやわんやだよな。中身が男のおれ以外。こうしておれが落ち着いていればそのうち周りも落ち着くだろう。 とりあえず体力を戻すために筋トレは始めたし、食事も問題なく取れている。一ヶ月のブランクを早く埋めたいが家族に心配されない程度に留めておかなきゃいけないのがもどかしい。 「動いて大丈夫なのか」 「あー、ゾロ。大丈夫だよ」 話し合った次の日におれが死にかけたもんだからゾロもかなり気にしてくれている。おれに勝負を吹っ掛けようともしないあたり、本当、気にしちゃってんだろうなァ、と思って申し訳なくなる。 じっとおれの顔色をうかがうのは、体調の変化を見極めようとしているからだろう。心配させているのが申しわけなくて、地べたに腰を下ろす。 「休憩するからちょっと隣座りなよ」 「……ああ」 ぽんぽんと隣を叩くと、叩いた位置とは離れていたが割と近くに座ってくれた。ゾロから何か話しかけてくることはない。あのときの話は触れたくない話なのだろう。わかるよ。その年だもんな。死なんか身近に感じたことなかったはずだ。だけど、おれは話したかった。多分ずっと、誰かと話したかったのだ。 「ねえゾロ、思わなかった?」 「なんの話だよ」 「わたしが落ちて意識がないって聞いたときにさ、人間ってあっさり死ぬんだなァって」 なんならおれよりゾロの方がそれを強く感じたのではないだろうか。自分より強い、敵わない相手がこうも簡単に自分の前から姿を消したのだ。ゾロは「死んでねェだろ!」と怒りをあらわにしてくれた。 「ごめんごめん。じゃあ死にかけるんだなァって。思わなかった?」 「…………」 「わたしは思ったよ。こうもあっさり死ぬ、いや、死にかけるものかと」 睨まれてまた言葉を変える。くいなという存在に関してすっかり忘れていたということもあるが、まさか自分がこの年で死ぬだなんて考えたことはなかった。前世のことを考えれば、人間なんて呆気なく死ぬとわかっていたはずなのに、どうして忘れてしまったのだろう。 ゾロの顔がなんとも言えない表情になってしまった。死にかけたおれがそんな話をしていたら、そんな顔にもなるか。死にかけた後、変に達観して性格が変わってしまう人なんていくらでもいるだろうしな。 「でも悲観してるわけじゃないんだ。心配かけたのは悪いと思うけど、こうなってよかったと思う」 「おい!」 「後悔したくないって決心できたから」 怒ったような声を無視してそう告げると、ゾロは目をまんまるくさせておれを見た。すこしの間のあと、すくっとゾロは立ち上がっておれに背を向けた。 「どこ行くの」 「鍛錬」 「ふふ、本気になったわたしから引き離されないようにね」 「うるせェ! おい、くいな! 勝ち逃げすんじゃねェぞ!」 走り去っていく背中を見て、おれの考えが伝わったらしいとわかった。おれも鍛錬を再開するために立ち上がった。とりあえず体力を戻さないとな。 ・ ・ ・ 今のおれの身体はまったくの未知数だ。男になるか、女になるか、はたまた両方の性質を兼ね備えるか、あるいはどっち付かずの不完全なものになるか。この先どう転ぶのかまったくわからない。 親は当然心配している。生きていてくれるだけでいいと言うのは、勿論嘘ではないだろう。だが、女としての幸せは、誰かと結婚して子を持つような普通の人生は既にないも等しい。中身がその年の女の子なら泣き暮らしたり、自殺を図ってもおかしくないほど、無残に人生が壊れている。 おれの姿はきっと空元気に見えているだろう。どう話していいかわからなくて、おれのこのことには触れないようにしていたから余計に。親としては心配の言葉だけじゃ足りるわけもない。 「お父さん、お母さん、お願いがあります」 だがおれはもう覚悟を決めた。人間なんか簡単に死ぬものだと改めて身をもって実感した。足を滑らせて階段から落ちて死ぬ。何かに躓いて頭を打っても死ぬ。勿論車に引かれたって死ぬ。人はいつか突然唐突に死ぬ。明日死ぬかもしれないのなら、今日のことを後悔するような行いはしたくなかった。 「わたし……いや、おれは、世界一の剣士になりたい」 もう自分を偽る気はない。『くいな』は死んだ。少女のまま、女にならずに死んだ。おれは違う。生きて、この世で一番強い人間になりたい。 父は呆然としてそれから笑って、母は涙を流してそれからおれを抱きしめた。 親不孝なことをしてごめん、今以上に心配させてごめん。それを言葉にするのは、どうしてかできなくて母の背中にそっと手を伸ばした。 |