死んだ! 生まれた!

 この間三秒ほどのことであったことを、おれは記憶している。おれは現代日本に生きる二十代後半社畜というどこにでもいそうな死にかけの目をした男だった。幼少期から大学まで剣道をやっていてなまじ体力が有り余っていたせいもあり、おれは仕事仕事仕事で、毎日仕事に追われる日々だった。どこからやって来てどこに去っていくかもわからぬ仕事をこなしながら、おれは体調を崩すこともなく仕事をしていたのだが、その最後は営業先からの帰り道、ドンと後ろから誰かにぶつかられて勢いで車道に飛び出しグシャァだった。多分とっさに反応できなかったのは疲れてたんだと思う。それはもう過ぎたことだし、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど……問題はこっからだ。

 死んで、生まれたってことは、仏教で言うところのいわゆる輪廻転生ってやつで、おれはまた新たに生を得た。仏様の導きなんだかよくわからんが、記憶が残ったままというありがたいんだか、ありがたくないんだかいまいちわからない状況でだ。
 これが現代日本だったら間違いなくアドバンテージになり、おれは成り上がろうとしたと思う。剣道だけでなく勉強にも取り組んで、いい大学入って社畜をしなくて済む会社に入ろうとしたことだろう。
 だけどおれの生まれ直した『ここ』はファンタジーな世界観だった。もっと簡単に言ってしまえば、漫画の世界なんじゃないかと思っている。悪魔の実というものがあって、海軍だの海賊だの大海賊時代だの、グランドラインだの、聞き覚えのある単語がいくつもあって、しかも幼馴染みにロロノア・ゾロというマリモのような面影のある男の子がいて、ああこれあの漫画じゃねーかな、と思ったわけだ。正直たまに借りたりしたくらいで話はあまり覚えていないのだけれども。
 ぶっちゃけこんな学校もないような科学的なものの少ない現代日本と乖離した場所で、おれの記憶なんて役に立つわけもない。役に立つのは、習っていた剣道の知識くらいだ。おれは剣道道場の跡取りだし、毎日剣道だけしてればいいというのはありがたいわけだけれど、治安がこうも悪いのはいただけないと言ったところか。


「はい、わたしの勝ち」

「……クッソ!!」


 だがおれの剣道の腕は、才能のある身体と前世の記憶によってメキメキと成長し、今では敗けなし、この辺でおれに敵うやつはいないという状況だ。あのゾロ、おそらく世界一の剣豪になるであろうゾロに幼少期とは言え、二千勝負けなしという記録を打ち立てたことからもわかるように相当な腕前だと言えるだろう。まあ、それでも井の中の蛙だとは思うが。このご時世、今のおれくらいの腕の剣士なんてのはグランドラインにでも行けばごまんといるはずだ。
 ゾロの取り巻きに何か言われる前に、おれはその場で礼をして立ち去ることにする。男のくせにグチグチとうるさいやつらに絡まれるのは面倒くさいし、ゾロとの試合くらいじゃあ汗さえかかない。もっと自分の身体を苛め抜かないとこの先おれは上へあがっていけないだろう。


「くそっ、なんであんな女なんかに!」


 後ろから取り巻きたちのそんな声が聞こえてきた。……そう、おれは、女なのだ! おそろしいことに、くいなという可愛らしい名前をもらった、道場の跡取り娘なのである! これが一番の問題だ! なんでおれが女なんかに! 舌打ちをして、走り出す。ああやってられねェ!

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 その夜、一人で鍛錬をしていたら、ゾロが真剣を持って現れた。なんと真剣で勝負しようと言い出したのだ。多分、二千敗目が堪えたのだろう。すこし年上とはいえ、女にそう何度もやられて黙っているような性格じゃあないしな、こいつ。おれはゾロとの実力差なら怪我することも怪我をさせることもなく倒せるだろうと踏み、その提案を受け入れて家から刀を持ってきた。和道一文字と呼ばれるうちの一番いい刀だ。
 そんでまあ、勝った。余裕だった。それくらいの実力差はわかりきっていたし、ゾロもわかっていただろう。ゾロの手から刀が飛んで地面に突き刺さった。あぶねえ。


「わたしの勝ち、二千一勝目だね」


 余裕綽々で言った台詞に、ゾロは目を潤ませ、そして目元を覆って泣き出してしまった。さすがのおれもぎょっとした。漫画のゾロだったら想像もつかないことだったし、おれが知っているゾロだって生意気なクソガキで、女の前で泣いたりするような男ではないのだ。


「ゾ、ゾロ!? どうした? どっか打った?」

「違ェよ……!! くやしい……!」


 大人にだって負けないゾロの目の上のたんこぶは、いつだっておれだった。おれを超えようと頑張ってくるゾロは微笑ましくもありウザくもあったが、「畜生ォ!」と男泣きしている姿を見てしまうとつい苦笑いが出てきてしまった。そして、口が勝手に動いてしまった。


「大丈夫だよ、そのうち、どうしたってわたしは敗ける」

「……は? なんだよ、それ」


 お前が強くなるからという意味で言ったわけではないのだと、ゾロは声色で気が付いたらしい。不可解だとでもいうように、おれを睨んでいた。いや、多分これは睨んでない。目つきが鋭いから睨んでるように見えるだけだ。


「だってわたしは女で、ゾロは男でしょう。女は成長が早いから子どものときはたいてい男より強いけど、成長すればそうはいかない」


 第二次性徴が訪れ始めたおれの身長はもうそんなに伸びないかもしれない。身体は丸みを帯び、筋力に伸び悩み、俊敏性に劣り、剣技から鋭さが失われる日が来るだろう。得てして、女とはそういうものだ。いつか聞いたことがある。女が男に勝つには持久走しかないって。距離が延びれば延びるだけ、勝率が上がるんだって。体育の授業で小耳に挟んだその話題はあのときのおれにはどうだってよかった。だっておれは男だったから。敗ける側に回ることなんてないから。でも今は、違う。


「悔しいのは、わたしの方だ」


 せっかく自分の腕が試せる世界に生まれたのに、一番になれるチャンスを平気で横から奪われた。いや違う。初めから同じラインにいないのに、そうなれるだけの力があるように感じられてしまう才能があるから辛いんだ。剣道の才能がこれっぽちもなければ何も思わず、楽しく剣道をやって、そのうち誰かと付き合って結婚して道場を継ぐだけの、ありふれた明るい未来もあったかもしれない。だけどおれは、才能がある。スポンジみたいに吸収できる身体があって、それを客観的に判断できる前世の知識がある。なのに、こんな楽しい日々が、長く続かないなんて。


「ずるい、わたしだって、男に生まれたかった……!」


 頂点に立ちたい。誰だってそうだ。一番がいいに決まってる。その席を取りたい。でもおれには、そのゲームに参加する権利がない。それがどれだけ辛いことか、参加できるやつにはわかるはずもなかった。──だけど、それはおれの理論であって。


「おれに勝っといてそんな泣き言いうなよ! 卑怯じゃねェかよ! お前はおれの目標なんだぞ!!」

「……ゾロ」

「男だとか、女だとか! おれがいつかお前に勝ったときもそう言うのか! おれの実力じゃねェみたいに! 一生懸命お前に勝つために努力してるおれが馬鹿みてェだろ! そんなこと言うな! 努力する前から諦めてんじゃねェよ!」


 まあ、そうだよな、と。ゾロに言われて、納得した。おれの言葉はゾロを馬鹿にしていると思われても致し方のないものだった。
 おれの心はとっくに大人だったから、ただただ悲嘆して、努力することを諦めようとして、諦めたふりをして、生きていこうとしていたのだ。それに慣れてしまっていた。だって一番なんて追い求めたって報われないと前のおれは知っていた。自分よりできるやつなんていくらいでもいた。今生の父も母も、女だからと決めつけた。それが普通だ。当事者も家族も諦めて、けれど目の前のゾロだけは信じてくれている。おれの強さを、決して疑わない。
 あまりにも嬉しくて、ぼたぼたと無様なまでに涙がこぼれた。視界が揺らいでいる。ゾロの顔は暗さも手伝って見えなかったけれど、おれをまっすぐに見ているのだと思った。


「そっか、じゃあ、わたしが、世界初の、女で一番になればいい……?」

「ああ!」


 おれが泣き笑いでそう聞けばゾロは威勢よく返事をくれた。それだけでおれは、もう二度と諦めずに済むような気がした。ありがとうと礼を言って涙をぬぐえば、ゾロは少しだけ顔を赤くして照れていた。自分より強い女とこんな会話したら、そりゃあ、恥ずかしいよな。おれが笑うと、ゾロは何かに気が付いたように声をあげた。


「あ、違う! おれが一番になるから、お前は二番な!」

「バーカ、わたしより弱いくせに」

「うるせェ! どっちが世界一になるか勝負だからな!」

「どっちかが先に取って、直接対決ってこと?」

「ああ!」


 おれたちはそう笑いあって、拳を突き合わせた。これからは正式ライバルだ。作中最強とまではいかないだろうけど、トップレベルのゾロとライバルなんてすごい話だ。
 もう夜も遅いし、家に帰ろうという話になり、二人で家に戻る。おれの方が強いというのになんの気を使ったのか、ゾロはおれの家の前まで送ってくれた。ばいばいと手を振ると、ゾロは駆け出していき、そしてくるりと振り返った。


「勝負に勝ったら! おれのいうこと一個聞けよ!」

「──ゾロもね!」


 やっぱり子どもだな、と思いながらゾロと別れ、和道一文字を元あった場所に戻して部屋に行こうと階段を上って、かくん、と膝が曲がる。不自然に。おれの意思じゃないみたいに。そして、踏み外した。落ちる。とはいえ、おれは普通の子どもじゃないわけで、身体が動いて受け身も取れるはずで、……なのに、ぴくりとも身体が動かなかった。落ちる。落ちて、頭をしたたかに打ち付けた。
 意識が飛びかけたそのとき、おれは思い出した。くいな。ゾロの幼馴染みの少女。ゾロのトラウマ。たしぎにそっくりな、女になりたくなかった少女。彼女は、女にならなかった。なれなかったのだ。──少女のまま死んだから。

 ああ、おれ、死ぬのか。

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 くいなとして目が覚めるとは思っていなかった。目が覚めたら階段から落ちてから一ヶ月も経っていた。親もゾロも他の知り合いたちもぎゃん泣き状態でマジビビった。でも何よりビビったのが、


「お帰り……マイサン……」


 下に例のブツが生えていたことである。おれがマジもんの女の子だったら発狂もんだぜ!
 こうしておれはくいなとしての人生を軽く終えつつ、第二の……いや、第三の人生を再開させたのであった!


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