過去の時代に音源ソフトとして発売され、ネット内――特に某動画サイト――で大反響となり、知らない者はいないというほどに有名になったVOCALOID。どんなに綺麗な歌声を聴けたとしても、VOCALOIDはプログラムでしかなく、パソコンの画面越しでしか会うことができない。故に熱烈なファンたちは初音ミクが歌う某歌のように、画面から飛び出してくれないかという叶うことのない夢を抱いていた。
そんな中、VOCALOIDの現出計画【歌姫の再来】が、とある科学者たちにより公表され、疑う者たちに証明してみせるかのようにKAITOとMEIKOを作り出して、堂々と公開された。目の前でKAITOとMEIKOが歌い踊る様は、長年の間ファンたちが夢見ていた光景で、次は初音ミクを、鏡音リンと鏡音レンを、という声が上がる。
KAITOとMEIKOの公開からしばらくの後、初音ミクが世間に公開された。それを記念とした初音ミク降臨コンサートは芸能人のものにも劣らない盛り上がりを見せ、その日からテレビの画面から初音ミクの名前は消えず、音楽番組にはKAITOとMEIKOと共に必ず出演している。
VOCALOIDにマネージャーは存在しておらず、彼らの世話をするのは生みの親であり、マスターである科学者だった。ミクたちは人ではないが、人同様に出演料が支払われ、それは次のVOCALOIDの製作費に回されている。
「お疲れ様」
無事に収録が終わり宛てられた部屋に戻ると、我が物顔で椅子に座る少年がミクたちを出迎えた。羽織っている白衣は少年の背丈には大きく、裾が地面についているのだが、少年は気にした様子を見せない。
「なんでマスターはいつもスタジオにこないんですか。控え室にいても暇なだけじゃないですか?」
「スタジオに行くのは面倒だから。それにゲームしていたから暇じゃなかったよ」
KAITOの問いに少年は持っていた携帯ゲームを見せると、それをカバンの中に放り込んだ。既に電源が切られていたが、躊躇いもなくカバンに入れたことから、短時間でゲームをクリアしたことが予想できた。
「仕事も終わったし、帰ろうか。ラボに戻ったら休んでいていいよ」
「レッスンは?」
「MEIKOは真面目だなー。今日は休みだよ。今作っているVOCALOIDが最終段階に入るから、誰も手が空いてないんだ」
真面目な言葉に少年は苦笑を漏らしながら答え、ラボに戻ったら待っている大量の仕事のことを考えると少しだけ憂鬱になった。
世間が次のVOCALOIDの現出を望み、今は鏡音リンと鏡音レンの製作を行っている。音源ソフトとその他の機能を備わったマザープログラムがもうすぐ完成するので、あとはそれを大量生産された身体に射出するだけだった。
鏡音は二人で一つというコンセプトがあるため、他のVOCALOIDよりも特殊な作りになっている。マザープログラムが完成しても、鏡音リンと鏡音レンができるまでは気を抜くことは許されない。
「たぶん他の奴から楽譜渡されると思うから、手持ち無沙汰だったら譜読みでもしていてよ」
楽譜と言っても科学者たちによって作られたオリジナルの曲ではなく、先の時代のプロデューサーによって作られた曲で、現代のプロデューサーが作る曲より人気がある曲も多数存在している。今回用意している楽譜も過去にネットに投稿された曲を楽譜化したもので、当分の間は昔作られた曲を歌う方針になっていた。
「マスター、鏡音の完成はもうすぐなんですか?」
「ミクはリンとレンが作られるのが楽しみ?」
「はい。だって私の妹と弟になるから……」
ミクより設定年齢は二歳ほど下で、ミクよりあとに作られたという時点で、その表現は適切だろうが、その場合ルカは姉になるのか妹になるのか微妙なところである。といってもVOCALOIDには年上や年下など、些細な問題でしかなく、歌う上で困ることは何一つない。
「まだ、完成じゃないかな……。マザープログラムは完成するけど、今から気の遠くなる作業が待っている訳だしね」
VOCALOIDを作る上で一番苦痛な作業がマザープログラムを作った身体に射出し、その中から一番できのいい物を選ぶことだった。たくさん作られた中からそれを選ぶのは苦痛でしかなく、どれも基準値に達していなければまた新たに身体を大量生産しなくてはならない――それは非常に時間と金を消費するため極力避けたいことだが、満足のいかない物を公開することは、科学者としてのプライドが許さなかった。
「鏡音が終わったら次は巡音ルカの製作を開始して……本当に休む暇がないよね。いつか俺、過労死しそう」
「マスター、頑張ってください!」
「ありがとう、ミク。死なない程度に頑張るよ」
少年は苦笑しながら椅子から下りると丈の長い白衣を踏みつけ、それに気づかずに歩きだそうとして、つんのめって倒れそうになったところをKAITOに助けられ、事なきを得る。
「マスター、その白衣はやっぱり……」
「言うな」
毎回躓いて転びそうになっているのにも関わらず、白衣を変えないのは最早意地としか言い様がなく、KAITOはそれ以上は何も言わずに歩き出した少年の背を見詰めた。