夢見草に抱かれて | ナノ


 鈴と初めて会った時はまだ着袴を済ましていない幼子だったが、幼いながらにも鈴の愛らしさに衝撃を受けた記憶はいまだに忘れずに鮮明に残っている。この世にこんなにも可憐な姫が存在しているなんて、当時の鏡音家長男である蓮は思ってもいなかった。
 互いの父が幼馴染みであることから蓮の家と鈴の家の交流は深く、どちらかの家に遊びに行くことは珍しくない。互いの氏は同じ鏡音だったが、身分は鈴の家の方が上で蓮の家は高いとは言い難い位置にいた。鈴の家は貴族で、蓮の家は陰陽師と役職が違うため、考えなくとも身分がどちらが上かははっきりしている。それでも父の代からどんどん出世していると聞いているので、父の頑張り次第ではまだまだ出世するだろうと言われていた。
『ちちうえは、しごとがすきなの?』
 蓮が幼い頃は朝早く出仕して夜遅くに帰るか宿直することがざらで、一時期父は家族よりも仕事が好きなのかと思ったくらいだった。
 それを父にぶつければ、苦笑を漏らしながら大きく角張った手を頭の上に乗せられ、乱暴に撫でられる。
『私は家族のことを大切に思っているよ。父が仕事を頑張るのは家族のためであるし、あいつと堂々と付き合えるようになりたいからなんだ』
『あいつ?』
『鈴の父だよ。あいつは身分なんて気にせず私に付き合ってくれているが、陰ではいろいろ言われてる。だからあいつと堂々と付き合えるくらいになりたいんだ。そしたら蓮も鈴姫と気兼ねなく会えるしな』
 内裏がどんな場所なのか、貴族たちはどう言ったものか蓮は理解できなかったが、鈴と気兼ねなく会えると言う言葉は蓮には魅力的だった。
 鈴も身分など気にせず、蓮が父と共に家を訪ねれば喜んで迎えてくれる。遊びは合わせ貝と言った女子らしい遊びではなく、走り回ったりと男子らしい遊びで、女房に見つかっては怒られていた。童子とは言え由緒正しき貴族の姫なのだから、と諭され、蓮も鈴を止めるように頼まれてはいたが、童子は遊ぶのが仕事だと鈴の父が言っていたので、女房の頼みを聞いたことは一度もない。
『ちちうえ、がんばってね。おれ、おうえんしてるから!』
 父は自分のためではなく、家族のため、友のために頑張っている。それを理解すると遠く感じていた父を近くに感じ、そんな父を尊敬できるようになった。
 どんなに寂しくてもわがままを言わずに我慢し、逆にレンは父のようになるために習い事を始めると、そのことに鈴は驚いていたが彼女もまた姫として習い事を受けていたので、賛助しながら頑張っていた――それらは今思えば健気な子ども心であり、今考えれば実に腹立たしい。

「蓮、眉間に皺寄ってるけど、どうしたの?」
 童子とは言えない年齢になった今でも、蓮は父と共に鈴の家へと訪れる。今は父同士が会話に花を咲かせているので、鈴の部屋でのんびりと過ごしていた。
 蓮の表情に訝って、鈴は心配そうに首を傾げる。不機嫌になる起因がない状況で、表情が険しくなっていたら気にするのは当たり前のことで、蓮は怒りを鎮めるように深呼吸をしたあと口を開いた。
「いや、ちょっと騙されたことを思い出して腹が立った」
「まだ根に持っているの?」
 鈴はおかしいとでも言うように小さく笑うが、蓮にとっては笑いごとで終わるような問題ではなく、いつか仕返しをすると心に決めている。父が言っていたことは本当なのだが、実は裏があり、それが蓮に陰陽師としての修業させると言うことだった。
 蓮は修業が好きではなく、父に言われようが母に言われようがする気は皆無で、書物を保管している塗籠に連れて行き書物を読むように言ってもいつの間にか抜け出し、真摯に受けたことはない。これでは蓮は将来苦労することになってしまう――頭を悩ませた父が考えた結果、とある策を考案し、蓮は見事にそれに嵌ることとなった。
 その真実を知ったのは蓮が八歳になる頃で、しばらくの間憤激したものの一度芽生えた尊敬の念は消えず、それでも素直に認めることはできなくなり、父に対しては反抗的な態度を取り続けている。
「そんなことをしても父上に効果がないことはわかっているんだけどさ! 純粋な心を弄ばれたことを許せるか!」
「でも、蓮のお父様のおかげで蓮は陰陽術が使えるようになったんでしょう?」
「それは俺が頑張ったからで、父上のおかげじゃない」
「本当に素直じゃないんだから」
 どんなに蓮が否定をしようともそのきっかけを与えてくれたのは蓮の父で、蓮の中に眠っていた才能を無駄にさせることなく開花させた。潜在能力を秘めていた蓮の力は日を増すごとに強くなっているようで、その力は父親よりも強いのではないかと言われている。蓮の父親の力の強さは陰陽寮の中でも特に強く、帝もその力に一目置いていると噂されているほどで、その父より強い力は出世を狙う者に疎まれるのではないかと密かに両親に心配されていた。
 蓮の父はそれを見透かして、わざと蓮の精神面を鍛えるようなことをしているのかと鈴は思案したが、どんなに考えたところで真相はわかるはずもなく、ただ二人の間にある深い愛に笑みを浮かべる。
「ところで蓮の元服っていつ?」
「あー……、なんか父上がにいい日を占っているらしいけど、結果は教えてもらってない」
「そうなの。蓮の歳ならもう元服してもおかしくないのに、何かあるのかしら?」
 蓮は数え歳で十四になる。元服とは出世を望む者は早く済ませて出仕をするようになるのだが、蓮はいまだに童子姿で同年代の子が内裏に出仕する中、邸に籠り勉強をするという日々を送っていた。その状況に焦りを感じていた蓮は父に元服の件について何度も問うたが、なかなか返答を得ることができず、ようやく元服について聞くことができた。
「元服できるならなんだっていいよ。やっと童子から大人になれる訳なんだし」
 帝から官位を賜った友達は出世を目指して、毎日身を粉にしながら働いているらしい。ようやく自分もその世界に入ることができるのだと思うと感無量してしまうのは仕方ないことだった。
「陰陽寮に出仕するってことは、蓮はこれから危ない目に遭ったりするの……?」
「大丈夫だって。出仕するけど俺は位の低い役だから。妖や悪霊の調伏とかは陰陽生になってからだよ」
 蓮の言葉に安堵した鈴の様子を見て、何度か父の使いで悪霊や妖を調伏したことはあるが、そのことは伏せておこうと心に決めた。


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