目の前の男は大きな目をぱちぱち瞬かせるだけで一向に閉じようとしない。
むしろ今から何が起こるのか観察しようとしているようだ。
「目、閉じないの?」
「閉じないとダメなのか?」
「ダメってわけじゃないけど…。」
純粋そうな黒い瞳で見つめられると、何で私この男とこんなことしているんだろう?とやけに客観的な第三者目線の自分が現れそうになる。
それに気付かないふりをして、ルフィの唇に自分の唇を寄せた。
本当は、こういうのって男の方にリードして欲しいんだけどね…。
そんなことを心の中で独りごちながら、唇を離しては近付けて角度を変えながら小さなキスを繰り返す。
誘ったのは、私。
雲が多くて、せっかくの満月が見え隠れを繰り返している夜。
ルフィと二人並んで見張り台から海を眺めていた。
波は穏やか。
天気が荒れることは無いだろう。
生暖かい潮風が、何故か今夜は心地よかった。
海から目線を外して、隣の横顔を盗み見る。
普段は気付かないけど、よくよく見ると割りと端正な顔立ちをしている。
形の良い額や意外に高い鼻筋。
薄い唇。
「何だよ?」
盗み見ていたつもりが、いつの間にかまじまじと観察していることに気付かれてしまった。
「キス、したことある?」
「え?」
自分でも突拍子も無い質問だと思う。
けれど勝手に口が動いていた。
「無い。」
数秒間の間に聞き逃した言葉を理解したルフィがきっぱりと答えた。
「そう。」
予想通りの答えが嬉しくて、声が半音上がる。
「お前、変なこと聞くんだな。」
さも興味ないというように、ルフィはあくびをしながら見張り台の中央に移動して、柱を背もたれにして座った。
きっとこのまま眠るつもり。
胡坐をかいている正面に膝を付いて覗き込む。
「ねえ、キスしてみたくない?」
「別に。」
間髪入れずに返ってくる。
「嫌なの?」
「別に。」
「じゃあ、良いじゃない?」
何で、こんなことを言ったのかは自分でもよくわかないけど、多分腹が立った。
キスに興味ないのが、まるで私に興味ないと言われているみたいで。
女のプライドが傷つけられた気がした。
「お前はしたことあるのか?」
唇が触れる寸前の距離でルフィが尋ねる。
「無いわ。でも、知ってる。」
まぶたを閉じる前に最後に映ったルフィの顔から感情は読み取れなかった。
仲間同士でこんなことするのはおかしいのかもしれない。
しかし、今はそんな道徳はどうでも良かった。
触れるだけのキスから、徐々にお互いの唇を啄ばむようなキスに変わる。
どうして私達キスしてるんだろう。
どうして、どっちも止めようとしないんだろう?
目を閉じていても、暗くなって月が完全に雲に隠れたのがわかった。
暗闇の中でもお互いの顔がはっきりと見える距離。
薄目を開けるとルフィが目を閉じている。
まるで私とのキスに夢中になっているみたいに。
少しだけ躊躇ったけど、薄く開いた唇をペロリと舐めてから舌を差し込んだ。
ルフィは驚く訳でももなく私がそうするのを待っていたかのように受け入れる。
波音だけが遠くで聞こえる静かな夜に、二人の唇から漏れる水音が響く。
舌をすり合わせて、どちらのものかわからない唾液を飲み込んでより深く、深く。
気付くと飲み込まれていたのは私の方。
キスをしたことが無いなんて信じられないほど、ルフィは自由に私の舌を、唇を味わうように、深く、浅く、角度を変えながら繰り返す。
恋人のような錯覚を起こしそうになる。
「……あっ、…。」
息継ぎの時に思わず漏れた声が恥ずかしくて、誤魔化すように更に唇を押し付ける。
私が倒れないように添えていただけのルフィの手に力が入り、腰を掴んで持ち上げられたかと思ったら、胡坐を崩した膝の上に座らされた。
ルフィに跨ったせいでスカートが際どいところまでまくれ上がる。
そんなことがお構いなしに、ルフィは私の太ももを無遠慮に掴むとより自分の方へと引き寄せた。
「こっちの方がキスしやすいだろ?」
唇が離れた一瞬で囁かれた言葉が、ルフィの言葉だと信じられなくて聞き返そうとしたけど、その隙も与えないほどに深いキスが続く。
ルフィの肩に置いていた両手を首に巻きつけて、二人の間に隙間がないほど体を密着させる。心臓の音が速い。
息苦しさを感じて唇を離そうとすると、ルフィの手によって阻まれる。後頭部を押さえ付けられて休憩することすら許されない。
きっと、この男は感情じゃなくて本能でキスをしている。
キスの仕方なんて知らなくても、その時の欲求を満たそうと本能が働くのかもしれない。
途切れそうになる思考回路の片隅でそんなことを思った。
ただ、興味本位でしたキス。
相手なんて誰でも良かったはずなのに、この男が私以外にもこんなキスをするのかもしれないと考えるだけでひどく泣きたい気持ちになった。
ルフィの手が肩に、背中に触れるだけで心臓が焼け付くように熱くなる。
太ももを掴んでいる手は決して優しくなく乱暴で、けれどそれが私に欲情しているみたいで悪くなかった。
そして、今まで感じたことの無い感覚が私の体に訪れる。
下腹部の中心がむず痒いような疼くような熱さに戸惑う。
その疼きをどうにか解放させてくて、でもどうしていいかわからずに助けを求めるようにルフィにしがみつく腕に力を込めた。
それを合図にか、ルフィの舌が激しく私の口内で暴れ、苦しいほど私を抱きしめる腕がきつくなる。
もう、何も考えられない…。
意識が遠のきそうになった瞬間、二人の間に距離が出来る。
あっさりとルフィの腕は解かれて、膝の上から降ろされた。
「これ以上はやめとくか。」
そう言うとルフィは立ち上がり、ズボンに付いた砂埃を手で払う。
私はただ呼吸を整えるのに必死で、何も言えずにルフィを見つめていた。
「お前…。」
「な、何?」
平静を装う余裕もなく声が上ずる。
「いや、やっぱ何でもねえ。じゃあな。」
「お、おやすみ…。」
何の余韻も残さずに、ルフィはさっさと見張り台から降りていった。
その場に残された私は、体に残るルフィの熱を冷ましたくて、しばらくそこから動けずにいた。
まだ唇に感触が残っている。
最後に見つめあったあの瞳。
純粋そうだなんてとんでもない。完全に「男」の目をしていた。
生まれて初めてのキスは、私にただならぬ感情だけをもたらした。
雲の切れ間から再び月が顔を出して辺りを照らし出す。
決して満たされない夜。