「ナミちゃんはさぁ、彼氏とかいないの?」
「ちゃん」付けで呼ばれるのは背中がむず痒くて、何だか慣れない。
「ええ、まあ…。」
初対面の男の人に馴れ馴れしく話しかけられるのも気に食わないし、何でそんなプライベートなところまで話さなきゃいけないのか納得がいかない。
「えー本当にー?モテそうなのにねー。どれぐらい彼氏いないのー?」
「それが、ナミってモテるのに誰とも付き合ったことないの!」
「マジでー!?」
「ちょっと、余計なこと言わないでよ!」
横から口を挟んで勝手に話を盛り上げる女友達に制止をかける。
「ごめんね。怒った?」
「怒ったわけじゃないけど…。」
やっぱり、こういうのは性に合わない。
友達に誘われて飲み会に参加してみたけど、来なければ良かったと早くも後悔をし始めていた。
「でもナミが合コン来てくれるなんて珍しいね。あんなに嫌がってたのに。」
男同士で盛り上がってる隙をついて、友達が耳打ちをしてくる。
「ちょっとした心境の変化があってね。」
私もあまり口元を動かさないように小声で返した。
「でも、今日のメンツはレベル高いから来て正解だったね。」
友達はそう言って私に目配せをすると、またみんなの会話の中に戻っていって、楽しそうに話している。
レベル?
男のレベルって何?
顔?学歴?ステータス?
レベルが高いと、好きになれるの?
人を好きになるって、そんな面倒くさい作業だったかしら?
誰がカッコいいだとか、誰を好きだとか、よくわからない。
つくづくルフィしか見てなかったんだと自分でも呆れてしまう。
「ナミちゃんはどんな男がタイプなの?」
本当に、その「ちゃん」付けを何とかして欲しい。
顔が引き攣りそうになるのを堪えながら答える。
「タイプは特に無い…かしら?」
「そうなんだ。じゃあ、顔の好みでもいいよ!どんな顔が好き?芸能人とかさ。」
「う、うーん…。」
考えたこともなかった。
私の好きな顔。
…私の好きな顔は、笑った時に目が三日月みたいに細くなって、クシャクシャの顔で本当に楽しそうにしてて、いつもはボケーっとしてて頼りないのに、怒った時はすっごく怖い。
真ん丸な目がキッと釣り上がって、口なんかへの字に曲げちゃって、そうそう…ちょうどこんな感じの…
「ルフィ!」
想像していた顔が、目の前にいて私は思わず音を立てて立ち上がる。
地元の居酒屋だからルフィがいてもおかしくはない。
でもまさか、こんなタイミングで会うなんて…。
「お前、こんなとこで何やってんだ?」
いつもよりワントーン低い声から静かな怒りが伝わる。
流石にルフィでも、この場を見たらどういう状況か察しがついたのだろう。
「何って、友達とご飯食べてるだけよ。アンタには関係ないでしょ?」
幼馴染でも何でもないんだから、ルフィが干渉する筋合いはないはずだ。
それなのに何故だか気まずくて、それがばれないように私は目一杯の強気に出る。
「ナミちゃん、誰そいつ?友達?」
後ろから能天気な声が聞こえる。
あーもう…!
「ちょっと、黙っ…」
「お前は黙ってろ。」
私が言う前にルフィが凄む。
言われた方は突然噛み付かれて、訳も分からずキョトンとしている。
「帰るぞ。」
ルフィは言うなり、私の腕を掴んで出口に向かう。
突然の出来事で友達も誰も止めに入る間もないまま、強引に連れ出されてしまった。
「痛いってば!離してよ!」
私の歩幅なんてお構いなしにズカズカ歩くものだから時々引きずられそうになる。
「ねえ、ルフィ聞こえてるでしょ?」
聞こえているはずなのに、振り返ろうともしない。
「離してくれないと大声出すわよ!」
私の軽い脅迫に観念したらしく、やっと立ち止まってくれた。
「…お前、あんなとこで何してたんだよ?」
「だからご飯食べてたの。言ったでしょ?」
「お前はバカだ。」
「なっ、何でアンタにそんなこと言われなきゃいけないのよ!バカはアンタでしょ!」
「お前は何にもわかってねぇ!あいつら、やらしー目でお前のこと見てんだぞ。」
「それが何だって言うのよ。ルフィには関係ないでしょ。」
「関係大アリだ!ナミのバーカ!」
「…話にならないわ。」
ルフィを追い越して、家路に向かう道を進む。
今更みんながいるお店に戻る気にはなれなかった。
「付いてこないでよ。」
「俺んちも同じ方向だから仕方ねぇだろ。」
幼馴染なんて、本当に面倒な存在だ。
離れることもできない。
人がせっかく忘れようとしてるのに、努力は無惨に打ち崩される。
私は歩くスピードを緩めず、ルフィもそのスピードを保って、家に着くまで一定の距離が空いたままだった。
「じゃあね。」
「いやだ。」
家に入ろうろとする私をルフィが引き止める。
「俺はお前に話があるんだ。」
「話はもう済んだでしょ?」
ルフィの視線が痛くて、私は逃げるように家の中に入った。
部屋に逃げ込んで安心したのも束の間。
窓の外から私を呼ぶ声がする。
「おーい!ナミ!俺はお前に話がある!聞こえてんだろ!?」
カーテンの隙間から覗くと、ルフィは自分の部屋の窓から身を乗り出して叫んでいる。
「俺はお前と幼馴染みやめるんだー!」
バカみたいに同じことを繰り返して、ルフィが何を言いたいのか、考えてることが全然わからない。
「ナミ!よく聞け!俺はお前のことが好きだから、お前とは幼馴染みやめる!」
自分の耳を疑った。
…悪い冗談なら止して欲しい。
だって、私のことは幼馴染みとしてしか見れないんでしょ?
私の気持ちに応えられないから、その幼馴染みすらやめるんでしょ?
私が今までどんな気持ちでアンタの彼女の話を聞いてきたかわかってるの?
何で今さらそんなことを…
「ナミ!俺はお前のことが好きだ!ガキの頃からずっとだ!他のヤツに取られるくらいなら、そいつのことぶっ飛ばしてやる!ナミー!!」
「いい加減にしなさいよ、バカ!近所迷惑考えてよ!」
耐えきれなくなってカーテンを開けて窓から顔を出すと、ルフィは「やっと顔出したなぁ」なんて悪びれもせずに言ってのける。
「何考えてるのよ…ふざけないで。」
「ふざけてないぞ。俺は大真面目だ。」
「嘘!」
「ウソじゃない。ホントだ!」
「いきなり、そんなと言わって…。」
「どうしたら信じてくれるんだ?」
ルフィの真っすぐ見据える瞳。
居たたまれなくて背を向けた。
「ナミ、俺はどうしたら信じてもらえるんだ?」
「…そこから飛び越えて来れたら信じる。」
「ホントか?」
「ええ。」
無理に決まってる。
向こう側から、こっちの窓までは優に3メートル近くある。
しかも、こんな足場の悪いところでは、いくら運動神経の良いルフィでも諦めてくれるはず。
考える時間が欲しかった。
頭の中がグチャグチャで整理しきれない。
「わかったら、諦めて。」
「…わかった。」
お願いだからもうそっとしておいて欲しい。
「ナミ、どけ。」
振り返ると、ルフィが窓の手すりに足をかけて乗り越えようとしている。
「ちょっと!何考えてるのよ!危ないでしょ!?」
「飛び越えたら信じてくれんだろ?」
「無理に決まってるわ!お願い、やめて!」
「行くぞ。」
掛け声と共にルフィの足が手すりから離れる。
その瞬間がスローモーションのように目に映るのに、止めることが出来なくて、咄嗟に両手で顔を覆い隠した。
ガンッ!という何かが当たる音がして、恐る恐る指の隙間から様子を窺うとルフィが窓の外にぶら下がっている。
「いってぇ!顎、ぶつけたー!」
「もう…!何やってるのよ…っ!」
何とかルフィを引っ張り上げて、部屋の中に入れる。
「しししっ、悪ィ悪ィ。部屋の中まで飛び込むつもりが届かなかったなー。」
「バカ!落ちたら死んじゃうかもしれないのよ!何考えてるの?」
「いやー、死にはしねぇだろ?でも怪我するかもなぁ。」
「本当にバカ!信じられない!こんな危ないことするなんて…!大バカ!」
「お前、俺のことバカバカ言い過ぎだぞ。」
「だってアンタがバカだからでしょ。」
「でも、信じたろ?」
向かい合ったルフィが私の両手をしっかりと握りしめて離してくれない。
いつの間に、私が見上げるような身長差になっていたんだろう?
目の前の幼馴染を、私は昔から知ってるはずなのに、知らない顔で。
知ってるような、知らないような………不思議な存在をただボーっと眺めていた。
「好きだ。」
ルフィの唇がゆっくり動く。
「ナミのことが、好きなんだ。」
「…私、アンタに彼女が出来たって初めて聞いた時、すごくショックだった。」
「うん。」
「アンタのせいで、いっぱいいっぱい傷ついたわ。」
「うん。」
「たくさん泣いたし、このまま涙が枯れて死んじゃうんじゃないかって思ったわ。」
「うん…ごめん。」
「ルフィのことなんか嫌いになって、素敵な彼氏作ってやろうって思ったのよ。」
「ナミ。」
「何?」
「キスしたい。」
今まで散々好き勝手してきたくせに何を今さらと言いたくなるけど、ルフィの顔がいつになく真剣そのものだから、茶化さないようにと静かに頷いた。
まるで初めてのキスみたいに、ぎこちなく顔が近づく。
ルフィの緊張が伝わってきて、私まで全身でドキドキしている。
部屋中に二人の心臓の音が響いているような錯覚
躊躇いがちに唇が触れた瞬間、胸の奥からじんわりと温かいものが溢れ出してくる。
「好きだ。」
「もう何回も聞いたわ。」
「俺は言い足りないぐらいだ。」
そう言って、少し不貞腐れたルフィは私を腕の中に閉じ込める。
ルフィの腕の中は、暖かくて、居心地が良くて、初めての感覚にこのまま溶けてしまいそうだ。
こんなに近くにいたのに、ずっと遠回りしてた。
心が、迷子になりそうだった。
「もう、私以外の女の子とキスしちゃダメよ。」
「約束する。ナミだけだ。」
昨日までの幼馴染は、今日から特別な存在に変わった。
恥ずかしくて、照れくさくて、まだまだ「恋人」だなんて呼べないけど。
ルフィがとってもヤキモチ焼きで大変だと知るのは、もうしばらく後のこと。