気付かないうちに始まってることもある。
友達に誘われて行くようになったクラブ。
初めの頃は気乗りしなかったけれど、毎週無理矢理にでも付き合っているうちにそれなりに楽しめるようになってきていた。
テキトーに交わしているその場かぎりの会話も、お酒が入れば何故か楽しく感じるし、しつこいナンパも軽くあしらえば問題ない。
今日も暇潰しに行っただけ。
それ以上のことなんて期待していない。
一緒に来た友達は早速気の合う相手を見つけたらしく、フロアで楽しそうにおしゃべりしている。
暇になった私はお店の隅っこで壁に凭れて一休み。
店内をフワフワと見回していると、私の視線はバーカウンターで飲んでいる男の子のところで止まる。
歳は多分、私と同じぐらい。
特別カッコイイわけでもないし、抜群にスタイルがいいわけでもない。
ボサボサの黒髪にも、これといって特徴はないし。
唯一気になるのが目の下にある大きな傷。
私から彼まで多分3メートルぐらい。
この距離からでもハッキリ見えるんだから、相当深い傷なんだろうなと思う。
多分、それが気になっただけで。
さっきから、ずっとバーテンダーと話してるだけで連れがいるようには見えない。一人で来てるのかしら?
「…こっち向かないかな?」
無意識に呟いてから自分に驚く。
でも、もっと驚いたのはそれと同じタイミングで彼がこちらに振り向いたこと。
…あれ?私を見てる?
これって目が合ってる?
まさかね、と思いつつも軽く手を振って曖昧に笑ってみせると、彼も同じように片手を上げてニカッと白い歯を見せて満面の笑み。
横顔だけ見てた時よりも、随分幼い印象。
イイかもしれない。
気が付いたら背中は勝手に壁から離れていて、足は自然と彼に近づいていた。
「ねぇ、隣いい?」
答えを聞く前に座るけど。
彼が人懐っこい笑顔で見つめてくるものだから何だか恥ずかしい。
「私の顔に何かついてる?」
「いーや。何もついてねぇ。お前1人なのか?」
初対面とは思えない随分失礼な物言いだけと、嫌な感じはしない。
この笑顔のせいか何だか憎めないのよね。
「友達と来てたんだけどね。」と、友達がいるフロアを指差しながら答える。
「何だ、お前仲間外れにされたのか?寂しいヤツだな。」
「そういうアンタこそ1人じゃない?バーテンと話してるだけで、連れいないんでしょ?」
ついうっかり、さっきから見つめていたことをバラしてしまったけど、彼は気にする様子もなく話を続ける。
「ん?ああ、俺はエースが働いてるから、たまに顔出しに来るんだよ。ただで飲ませてもらえるしな。」
「エース?さっき話してたバーテン?」
「俺の兄ちゃんなんだ。」
「ふーん、仲良いのね。」
「まあな。」
それからの私と彼の会話といえば、
このカクテル何でこういう名前なんだろうな、とか
あそこにいる口にピアスしてるヤツ、食事の時は外すのかな、とか
ホントにどうでもいいことばっかりで。
でもね、こんなくだらない会話がすごく楽しく感じるの。
アンタはどう?
私達、すごく気が合うと思うんだけど。
大抵の男は、このぐらいでケータイを聞いてきたり、このまま何処か行こうって誘ってきたりするんだけど、コイツに至ってはそんな素振りも見せない。
私って意外と魅力ないのかしら?
ううん、そんなことないわ。
だってこんなに可愛いんだもの。
その気がないのなら、その気にさせるだけ。
「ねーえ、あたし達って気が合うと思わない?」
バーカウタンターの近くはBGMの音量が比較的低いから、会話が聞き取れないことはないのだけれど。
敢えて、耳元で囁く。
くすぐったそうに喉をククッと鳴らして笑った彼が、私の真似をして、私の耳元で囁く。
「合うと思う。」
彼の唇が、私の耳に触れるか触れないかの微妙な距離。
吐息がかかって脳が蕩けそうだ。
駆け引きを楽しむはずが、これじゃ完全に私の負けじゃない。
でも、それも良いなって思い始めている私がいる。
テーブルの上では、グラスを持つ私の右腕と彼の左腕がピッタリとくっついている。
タンクトップからヒョロリと伸びた腕は意外に筋肉質で、あどけない顔からは想像できないけど、ちゃんと「男」なんだなぁ…と思う。
程よく日焼けしているのも、血管が少し浮き出てるのも…嫌いじゃない。
バカみたいにドキドキしている。
初恋じゃあるまいし。
相変わらず会話の内容は当たり障りのないことだけで、核心には触れようとしない。
ねぇ、
私、アンタの名前すら知らないんだけど。
アンタの兄ちゃんの名前なんて、どうでも良いんだけど。
腕を絡めて聞いてみる。
「あたし達って、周りから見たらカップルみたいに見えるんじゃない?」
「んん?そうかもな。」
私にしては、かなり大胆に積極的に誘ってるのに。
なんて気のない返事。
軽そうに見えて、意外とガードが堅いのね。
暗がりの店内にポツポツと明かりが点き始める。
腕時計に目をやると既に朝の5時を過ぎていた。もうそろそろ閉店の時間。
魔法が解ける時間だ。
一夜限りの恋人ゴッコも、もうおしまい。
今日もそれなりに楽しめたわ。
なのに、
彼との次を期待している。
「…ケータイ。」
「ん?」
「ケータイ、教えてよ。」
この私から聞いてあげるなんて特別大サービスよ。
それなのに、この男ときたら。
「んー…俺、電話とか苦手なんだよなぁ。」
あら?上手くかわされちゃった?
最後の最後でフラれちゃったみたいね。
「そ。じゃ、もう時間だし。私は帰るわ。じゃあね。」
絡めていた腕をスッとといて席を立つ。
楽しかったわ、ありがとうなんて捨て台詞を残して。
振り返りもせずに出口に繋がる階段を登る。
一段一段、踏み締める度に胸がチクチクと痛んでいることに気付く。
彼のこと、
ちょっとだけ…いや、かなり。
本気になりかけてたなぁ…なんて、今さら思い知る。
階段を登り終えて外に出ると、太陽はすっかり昇りきっていて街は完全に朝を迎えていた。
気持ちを切り替えて、家に帰ろう。
「ちょっと、待てよ。」
うーんと伸びをしていたら、いきなり呼び止められた。
彼が少し息を弾ませながら階段を上がってきた。
「どうしたの?」
「お前に話があるんだ。」
「話?」
さっき、キッパリと私のことをフってくれたくせに今さら何の用かしら?
「うん、話があるんだ。」
「話って何よ?」
「何だろな?」
「はぁ?アンタが呼び止めたんでしょ!」
「そうなんだけどよ。」
話しながら、彼が一歩二歩と近付いてくる。
私は眉をしかめて、目の前の男の次の挙動を見守るだけ。
彼と私の間が後50センチメートル、というところまで近づいた瞬間―
自分の身に何が起きたのか理解出来なかった。
私の視界いっぱいにあるのは彼の顔で、私の唇に触れているのも紛れもない彼の唇で。
彼にキスされていると気付いたのは、彼の唇が離れてから。
「…い、いきなり何すんのよ!」
「何って、キス。」
「そういうことじゃなくて、何でキスなんか…」
「したくなったから。」
「はぁ!?」
「お前も嫌じゃなかったろ?」
「なっ、なっ…」
言葉にもならず口をパクパクさせてるだけの私に、この男はいけしゃあしゃあと言ってのける。
「なあ、俺達付き合ってみないか?」
「多分気が合うと思うんだよな。」
「お前と話してると何か楽しいし。」
「お前のこと好きなのかもな、俺。」
「あっ、そうだ!俺はルフィ。お前は?」
「ナ、ナミ。」
「そっか。ナミ、よろしくな!」
何から何まで順番がメチャクチャなこの男に教えることは山のようにありそうだけど、今の私は首をコクコクと縦に振るだけで精一杯。
こんなのってアリ?
取り敢えず。
今日は2人とも予定が空いてるみたいだから、近くのファーストフードにでも寄ってお互いのことを話し合いましょ。
どちらからともなく手を繋いで歩き出す。
うん、こういう出会いもアリかもしれない。
ケータイが苦手な年下の彼氏に、この私が振り回されるはめになるのは、また別の話。
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加藤ミリヤの「このままずっと朝まで」を聞いて衝動で書き上げた一品。
ルフィがチャラくなった…。