満月の夜に変身するのが狼男だけとは限らない。





今日の私がこんな行動に出てしまったのも、きっとそう。


満月だから―…














夕食を終えてから測量室に籠って中途半端だった海図を一気に書き上げた。

集中が切れると、どっと疲れが出て肩が凝っていることに気付く。
伸びをしながら、机の上の時計に目をやると既に日付が変わっていた。


そろそろ寝ようと思って部屋の電気を消す。ドアへと向かった足を何となく止めて、机の方を振り向くと窓から光が差し込んでいた。
机の上だけが眩しいぐらいに光っている。

その光の元を辿るように窓から空を見上げると大きな月が真っ暗な空にポツンと浮かんでいた。


今夜は満月ね。

そんなことを呟きながら、離れた椅子にもう一度座り直した。頬杖をついて満月を眺める。
耳をすますと微かに聞こえてくる波の音。
他のみんなは寝静まっているのだろう。波の音以外は何も聞こえない。
この船には自分しか乗っていないんじゃないかと錯覚を起こすほどの静寂。


いつかも、こんな風に1人で月を眺めていることがあった。

あれは、まだ左腕に忌まわしいタトゥーがあった頃のことだ。

今でもふいに思い出す。

たった1人で暗闇の中に取り残されたような悲しみと不安。

アーロンの支配からは解放されたはずなのに、8年間の記憶は体の奥深くに根付いていて、こんな夜は嫌でも思い出してしまう。
そして、思い出す度に心臓がドクンドクンと大きく波打つ。寒くもないのに鳥肌が立って、自分で自分の体を抱き締めるように両腕を回した。


きつくきつく目を閉じて、不安を消し去ろうと頭を振る。



「何してんだ?ナミ。」


突然かけらた声にビクッとして後ろを振り返るとドアのところにルフィが立っていた。
正確には、ドアのところまでは光が届かないので、暗闇の中でルフィの声がする物影が動くだけ。

「あ、あんたこそ何してんの?ていうか、いつ来たののよ?」

動揺を悟られないように、冷静を装いながらルフィに問いかけた。


「俺は風呂出て今から寝るとこだ。通りかかったら、何か中にナミがいる気がして、覗いてみたら部屋ん中真っ暗でよ。何してたんだ?」
「ちょっとね。」
「月、見てたのか?」
「ま、そんなところ。」

「今日はでっけぇ満月だもんなー。」
そう言って、暗闇から月明かりが届くところまで出てきたルフィの姿を見て、息を飲んだ。


濡れた黒髪から滴り落ちる雫。
ハーフパンツだけで何も纏っていない上半身に光が当たって、程好く付いた筋肉の陰影を美しく浮かび上がらせる。

いつも見慣れているその姿が今日はひどく色っぽく見えた。

ルフィと「色っぽい」なんて単語は両極に位置するものだと思っていたけど、今の彼を表すのにそれ以上ピッタリの言葉は浮かばなかった。

思わず見惚れてしまって、視線をルフィから逸らせないでいた。そんな私の様子を気にもとめずにルフィは「月って食ったらうまいのかなー」なんて言いながら私の隣に立つ。

ルフィが隣にいるだけで、不安が嘘のように消えていった。

それと同時に、さっきまでとは違った音で心臓が煩くなる。


月を見つめる横顔も、

私のより二回り太い腕も、

ゴツゴツした大きな手も、


その全てが「男」を感じさせた。


触れたい、


純粋にそう思った。




「どうしたんだ?」

急に後ろから抱きついた私にルフィはあまり驚かずに問いかけた。

「別に、何でもないわ。」
「ふーん。」



この時の私の行動は「寂しかったから」なんて可愛らしい理由で説明付けられるものではなかった。



ただ、欲情したのだ。彼に。



背中に顔を埋めたまま大きく深呼吸をすると、爽やかなせっけんの香りとそれにほのかに混じってルフィの匂いがした。

心臓の音は相変わらず煩い。


―満月には人を惑わす魔力がある。

いつだったか、何かの小説で読んだことがある。


ならば、今日の私のこの大胆な行動も全て満月のせいにしてしまおうか。


お風呂上がりのしっとりとした肌と、引き締まった筋肉、それらの感触を味わいながら肩甲骨の間にそっと口付けを落とす。


「くすぐってぇ。」

ルフィは少し笑うだけで、それ以上の反応を示さない。


「…髪、」
「ん?」
「濡れたままじゃ風邪引いちゃうわ。」


「私が拭いてあげる。」

ルフィが抵抗する間もなく無理やり部屋のソファーに横向き座らせる。
私もその隣に膝をついて、ルフィの肩にかかっているタオルで、丁寧に優しく、目の前にある小さな頭を拭き始めた。

誰かに頭を拭いてもらう、なんてルフィにとっては初めての経験みたいで戸惑っていたみたいだったけど、しばらくすると「気持ちいいなー」と気に入ってくれたみたいだ。

「当たり前でしょ?この私が拭いてあげてるんだから。言っとくけどタダじゃないわよ。」
「何!?しまった。騙したな、お前!」
「騙されるほうが悪いのよ。」
「くっそー。でも気持ちーからいいやー。」

端から聞いたらどこか間抜けな会話をしながらも、私の中の高ぶる感情は収まってくれそうにない。





お互い会話することもなく静かな時間を楽しんでいたら、スゥスゥと寝息が聞こえてきた。


まさかと思い、手を止めてルフィの顔を覗きこむ。

「ウッソ…、寝てる。」

よくもこんな体勢で寝れるものだと呆れてしまう。

「ルフィ?ルフィってば。こんなとこで寝たら、せっかく髪乾かしても風邪引くわよ…って、キャッ!」

肩を少し揺するとそのままの反動で私に倒れてきた。
寝やすい体勢にしようと「うーん」と寝返りをうつものだから、仰向けの私に覆い被さるような格好になる。


人の気も知らないで、気持ち良さそうに眠ってくれちゃって。


今日の私は本当に変だ。


いつもだったら殴り飛ばすところだけど、今日は特別。

胸のドキドキは一向に収まらないままで、それごと包み込むようにルフィの頭を抱き締めて眠りに落ちることにしよう。


みんなが起き出すまで。


満月が空に昇っている間だけ。

あと少しだけ、このままで―







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