「いーざーやああああ……よーうやく見つけたぜえ……」
地獄の門を守るというケルベロスも、裸足で逃げ出すのではなかろうか。恐ろしいまでの気迫に満ち満ちた池袋の番人たる長年の仇敵の姿に、臨也は大きく溜め息をついた。
口を開けば池袋に来るな殺すしか言わない男に敬意を払い、決して見つからないようにしてやっていたというのに。姿が見えなければ見えないで、今度は探して回る静雄。矛盾と理不尽でできているのはお互い様だが、もうちょっと穏便にいきたいなあと臨也は思う。
「シズちゃん、ごきげんよう。俺今日はもう帰るから!駅すぐそこだし、見逃して」
「……帰るのか?」
眉間に寄っていた皺が、一瞬で消えた。今日はあっさり引き下がってくれるかもしれない。などと喜んだのも束の間、その眉間に先ほどよりも深く皺が刻まれたのは、やはり一瞬だった。ものすごい音とともに、ポストが引き抜かれる。
「帰るってんなら……見逃さねーぞお……臨也あ……」
軽々と持ち上げたそれを頭上に掲げ、静雄は臨也を睨みつけた。すでに二人の周りに人はなく、半径3mほどの円が出来上がっている。愛する人間たちの順応性の高さにぞくぞくしながら、臨也は袖の下に仕込んでいたナイフをするりと掌に滑らせた。パチンと音を立て、臨也は切っ先を静雄に向ける。
「やだなあ、シズちゃん……そんなに俺とやりたいの?」
ぴたっと静雄の動きが止まる。おや?と臨也が訝しむのも無理はなかった。静雄は持ち上げていたポストを足の上に落とし、口を開けて臨也を見ている。本人は全然痛くなさそうだが、それを見ていたこちらの足に痛みのようなものが走った。
「シズちゃんは、足折れたりしないのかな……?」
「い、臨也、手前今なんつった……!?」
「え?足折れたりしないのかな?」
「ちっげーよ!その前!!」
「前?前……そんなに俺とやりたいの?」
それがどうかしたのだろうかと臨也が首を傾げると、静雄がぐぐっとくちびるを引き結ぶ。心なしかその顔が赤くなっているような気がして、臨也はますます首を傾げた。
「て、手前……それ、やめろ」
「え、どれ?」
「だから!餌食ってる雀みてえにぽてっと首傾げんのやめろっつってんだよ!」
「雀?ぽて?……どうしたんだい、シズちゃん……今日変だよ、いつもに増しておかしいよ。どうしたの、変なものでも食べたのかい?」
いつも以上に気持ち悪い静雄にそう声をかけた。ナイフを仕舞い、静雄へと歩みを進める。いまだポストの下敷きになっている足が、びくっと震えた気がした。

ますますおかしいと訝しみ、臨也はポストに乗り上げた。ぐっという呻きが聞こえたので、少し痛かったのかもしれない。それでも押し退けようともしないのは、やはり化物というところか。
「シズちゃん、痛くないの?マジで人間捨ててるよね」
「ど、け。近寄んなよ」
「えー?なんで?俺とやりたかったんだろ?」
戦争を!と言うはずだった。ガシリと腕を捕まれ、限界ギリギリまで赤い顔を近づけられ、妙に熱を孕んだ瞳を向けられ、切羽詰まった声で名前を呼ばれさえしなければ。
「し、シズちゃん?」
非常に嫌な予感が、臨也を襲う。静雄ほどではないかもしれないが、臨也も勘は働く方だ。ひく、と引き攣りそうになる口の端を、静雄の指が撫でた。ぞわっと鳥肌が立った腕を掴む手に、力が込められた。痛い。
「ヤりてえ、マジでヤりてえ。めっちゃくちゃにしてえ。ぐちゃぐちゃのどろどろにしてえ。まさか手前が同じ気持ちだったとは、よお……」
「え」
「でも、待てよ。俺に言わせてくれ。ずっと隠してきたけどよお……今なら、言えっから」
「え?」
「……好きだ、臨也。俺の伴侶になれ」
「ええ?」
「ええ……つまり、Yesだな?」
「えええええ、ちが、ええええええ」
その回転と処理能力に定評のある臨也の脳は、綺麗に動きを止めた。いざや、と熱っぽい声で名前を呼びながらさらに顔を近づけてくるのを必死で押し返し、臨也は叫ぶ。
「なにすんだよ!!ついに頭までやられたか!いいかい、シズちゃん、俺は折原臨也!君のだーいっ嫌いなノミ蟲くんだろうが!目覚ませ!!」
「んだよ、臨也あ……ノミ蟲呼ばわりしたことを怒ってんのか?今日からノミ天使って呼べば機嫌直してキスさせてくれんのかよ?」
「だっ誰がさせるかあああ!マジ気持ち悪い!誰だよお前シズちゃんじゃないだろ!?」
仕舞っていたナイフを再び取り出し、臨也の腕を掴んでいる手に突き刺した。が、いつもなら5ミリは刺さるはずのナイフが今日はまったく歯が立たない。というか、折れた。ひ、と声を上げた臨也の喉を、静雄の指が辿る。
「臨也あ……なんだよ、先にすり寄ってきたのは手前じゃねえか。や、ヤりたいの?とかってよお……」
「それ意味違う……!お、俺はそんな気は微塵もないよ。それに君だって本気じゃないんだろ?嫌がらせだよね?よしんば本当だったとしても、それは一時の気の迷いだよ。人生長いよ、そんなリスキーな道に自ら突っ走ることはない!」
声を荒げてそう言った臨也を、静雄はぎろっと睨みつけた。そこらのチンビラならば、その視線だけで殺せることだろう。息を飲んだ臨也に、静雄は怒りを隠さない声音をぶつけた。
「手前、俺の純情を弄びやがったのか」
「人聞きの悪いこと言うなよ!意思疎通に齟齬があっただけだろ。と、とにかく離してくれ……!」
「あ?嫌。誰が本気じゃねえだ?誰が気の迷いだってえ……?ふざけんじゃねえぞこのクソ野郎。手前みてえな下種に誰が気の迷いで惚れるか。自惚れてんじゃ……ねえ!」
声と息を溜めてから、静雄が頭を臨也の額に打ちつけた。ちかちかと星が飛ぶ臨也の視界は、水色と金色と肌色でいっぱいになる。やわらかく息を奪う感触に、血の気が引いた。池袋の皆さんが見ている前で、宿敵にキスされました。冗談じゃない。
「んっ!んんんっ!んー!」
ぶんぶん振り回した腕が、静雄のサングラスにぶつかった。ガシャンと音を立て、水色が地面に転がる。砕け散ったそれを横目で見て、静雄は喉の奥で笑いを転がした。
「……伴侶の持ちもん壊すたあ、いい度胸じゃねえか、臨也あ……」
「まだ寝てんのかよ!起きろ!現実見て!」
「生憎だがぱっちりだ。むしろ寝るのは手前だろ。あと2時間もすりゃ天国で寝かせてやるよ」
静雄は心底楽しそうにそう言って、臨也を抱き上げた。足に乗っていたポストを、まるでサッカーボールのようにひょいっと蹴り上げ、臨也を肩に担ぎ上げる。荷物のように抱えられている状況を恥ずかしがる余裕はない。不穏すぎる静雄の言葉が脳裏を過ぎった。
「い、言ってる意味が……わからないんだけど……」
「これからゆっくり教えてやるって。俺の下でな」
「やっ、やだ!やだあああ!人攫い!誘拐犯!拉致よくない、実によくない!助けて!」
臨也は、二人を見守っていた群集に手を伸ばす。が、池袋の住人が平和島静雄の獲物に手を出すわけもなく──憐れ新宿の情報屋は、LOVE!ホテルに連れ込まれてヴァルハラへとイかされた。


110129

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