あのノミ蟲野郎に惚れているのだと気づいたときは、それはもうごく自然に「あ、もう死のう」と思ったものだった。ここまで育ててくれた両親に申し訳ないという気持ちで何とかそれは思いとどまったが、心境は地獄に落ちた亡者も同然で、何度トムに心配されたかわからない。 いや、こんなことは地獄よりもきっとひどいに違いない。行ったことはないけれど、そんな気がした。 高校時代からずっと気に食わなくて、死ぬほど嫌いだったはずなのだ。臨也の差し金で面倒事に巻き込まれるはめになる度に、「とっ捕まえてぶん殴って泣かせてやる」と考えては怒り狂っていたのに――まさかそれが「とっ捕まえてぶちこんで泣かせてやる」に変わっていくとは。さすがにトムにも言えやしなかった。 散々悩んで、悩んで悩んで悩んで悩みまくるとこに、いい加減静雄は疲れきっていた。だからこそ、もうノミ蟲に告白しよう、なんてトチ狂った選択をすることができたのだ。ダメで元々、というか、ダメ以外の結果など考えてもいなかった。 が、ノミ蟲臨也は静雄が思っている以上に頭がイカれていたのである。 「…………は?」 静雄の告白に、臨也は目を満月よりも丸くして、ぽかんと口を開いていた。それはもう馬鹿みたいに間抜けな表情なのだが、無駄に顔が整っているせいでどこかエロく見えて仕方がない。新羅ならともかく、自分に無防備な顔を見せるとは思いもよらなかった。 臨也はしばらくそんな間抜け面をさらしていたが、やがていつも通りのいけ好かない笑みを浮かべた。嫌いな顔だと眉をしかめた静雄に、心底馬鹿にしていますと言わんばかりの声を投げかけてくる。 「シズちゃんさあ、どうしちゃったのかな。いつもみたいに真正面から殴りかかってくるのに飽きちゃった? そんな変化球使うなんて珍しいね」 「変化球って何だよ」 「だってそれって俺への嫌がらせだろ? 効果は抜群だよ、気持ち悪くて吐きそうだ」 「……俺も、気づいたときは吐くかと思った」 「自分にダメージ跳ね返ってくるようなやり方は止めといた方がいいよ?」 「そうだな……やめられたら、楽になんだろうなあ……」 「……シズちゃん?」 にやにやと浮かべていた薄ら笑いが、ほんの少しだけ凍りつく。不格好に崩れたくちびるの角度を見つめながら、静雄は自分を哀れむように言葉を続けた。 「手前が好きだ」 一片たりとも嘘のない告白に、臨也の表情は再び無防備なそれへと戻っていった。先ほどよりも戸惑いを色濃くした瞳が、探るような動きで静雄を捉える。 「……本気?」 「俺は手前とは違うんだよ。嘘や冗談でこんなこと言えねえ。つーか、本気じゃなかったら手前を好きだなんて死んでも言わねえよ」 「散々ぶっ殺すって叫んでくれたくせに?」 「いや、その気持ちは変わってねえから。俺が手前を好きなのと、手前のことが死ぬほど気に食わねえのは別次元の話だから」 「うーん、シズちゃんの言い分は俺にはよくわからないけど……」 そこで言葉を区切った臨也が、すっと目を細めた。夜空に輝く細い月を思わせるその仕草に、静雄の背筋がゾクゾクと震える。 「じゃあさ、シズちゃん。俺のどこが好きか教えてくれるかい?」 「どこ、って」 「言えないの? そんなはずはないよね、だって君は俺のことが好きなんだから。俺を満足させられることが言えたら、付き合ってあげてもいいよ」 ぶっ飛んだ、とんでもない発言だ。今度目を丸くするのは静雄の方だった。 「……つ、つきあう……って、なんでだよ」 「え、俺が好きなんだろ? それって、お付き合いしてくださいっていう意味じゃないの?」 「いや……」 世間一般的にはその解釈で正しいのだろう。だが、それが自分たちにあてはまるのか? というと、ただただ疑問である。 そもそも、静雄には「ノミ蟲に告白する」という決意しかなかった。その先に「ノミ蟲と恋人になれるかもしれない」という事態が発生するなんて、夢にも思っていなかったのだ。 とはいえ、間違いなく惚れている相手だ。そんなやつに「付き合ってあげてもいい」なんて言われて、うれしくない男がいるのだろうか。上から目線なのはこの際目をつぶるとして、非常に魅力的な誘いであることは間違いない。 「はっきりしなよ。俺と付き合いたいの? 付き合いたくないの?」 臨也のぷるんとしたくちびるが、楽しそうに静雄を誘惑している。付き合いたいに決まってんだろうがクソが、と叫びたいのを堪え、静雄は首を縦に振った。 臨也の瞳が、またしてもにんまりと細くなる。 「じゃあさっさと俺の質問に答えて」 「……どこが好きってやつか?」 「そうそう!」 楽しそうに両手を広げた臨也がまぶしく見えて、静雄はそっと顔を背けた。 ――なんだよ……案外かわいいとこもあるじゃねえか。 新羅が聞いたら抱腹絶倒していたであろう感想を胸中に満たしながら、静雄はごほんと咳払いをした。 臨也の好きなところなど、ほんとうは何一つない。今こうして告白している今でさえ、どうしてこれに惚れてしまったのかさっぱりわからないくらいなのだ。ここがこうだから好きという恋愛の方程式は、折原臨也にはあてはまらない。強いて言うならば、彼が折原臨也であるから好きなのだ。 だが、さすがに「好きなところなんてねえ」と言ってしまうのは相当まずい。それくらい静雄にもわかる。背けていた顔を元に戻し、静雄はあれやこれやと考えを巡らせる。 「ねえねえ、どこが好き? どこ?」 相変わらず楽しそうな臨也には悪いが、ほんとうに思いつかない。うんうん唸る静雄の頭に、尊敬する上司の言葉が聞こえてきた。 ――いいか、静雄。合コン行ったら、とりあえず目をほめとけ。女の子ってもんはアイメイクにすげえ力入れる生き物だべ! 臨也の目を見つめる。臨也は女の子ではないし、アイメイクもしていないが、不思議な色をしたその目は高校時代からよくもてはやされていた。 ――まあ、無難だよな。 うんうんと頷き、口を開く。 「手前の目が好きだ。綺麗な色してるよな」 「目?」 「おう」 「ふーん」 静雄の発言を受け、臨也はにこりと微笑んだ。これはいけると喜んだのも束の間、臨也の体から淀んだ空気が生まれていくのを感じ、静雄は冷や汗をたらす。 「い、臨也……くん?」 「わかった。シズちゃん、ちょっと待っててね。俺が戻ってくるまで、絶対に動かないで」 静雄が誉めたばかりの目を冷たく凍らせた臨也の笑顔は、まるでブリザードである。首を縦に振るしかない静雄に背を向け、臨也はその場から去ってしまった。 ――約十分後。 「手前、どういうことだ! ああ!?」 怒り狂う静雄の目の前で、臨也はのほほんと笑っている。その陰に隠れて怯えている女の存在がとにかく鬱陶しくて、静雄はうなり声をあげた。 静雄がこうして怒るのも無理はないはずだ。何せ戻ってきた臨也の第一声が「はい、この人と付き合いなよ」だったからだ。訳がわからず臨也を問い詰める静雄の行動は、ある意味当然の反応ではないのだろうか。 だが問い詰められている臨也は、静雄の怒りなどまったく意に介していなかった。むしろ不愉快そうな態度を取るばかりで、まったく反省の色が見えない。 「だって俺の目が好きなんだろ? この子、俺と目の色似てるからいいじゃない」 「何がいいんだよ何が。何もよくねえよ! ふざけてんのか?」 「ふざけてないよ。顔も綺麗だし、君好みの年上を探してあげたのに何がそんな気に入らないのかわからない」 「俺は手前が好きだっつってんだよ、臨也くんよォおおおおおお……?」 胸ぐらを掴み、至近距離で睨みつける。臨也の瞳は確かに綺麗だが、別に好きなわけではない。臨也の後ろにいる女が臨也と同じ色の目を持っていたからって、何の関係もないのだ。 溜め息をつき、臨也は首だけを後ろに向ける。怯えきっている女に向ける優しい笑顔が、とにかく気に入らない。 「ごめんね、帰ってくれる?」 「はっ、はい……っ」 「ごめん、今度きちんと埋め合わせするから」 女がほとんど泣きながら走り去っていく。ちょっとだけかわいそうなことをしたな、と反省していると、同じようなタイミングで臨也が「可哀想なことしちゃったなあ」とぼやいた。 「思ってんのかよ……」 「思ってるさ。だって俺は人間が大好きだからね」 小さくなっていく背中を愛しげに見つめる横顔は綺麗だ。だが、腐りきった性根を知っている静雄には造形の美しさなどただの飾りでしかない。 それでも、これが欲しい。欲しくてたまらない。 「手前、目ぇ誉められんの好きじゃなかったのか?」 臨也の横顔にこっそり見惚れながら、静雄は感じていた疑問を口に出した。とたんに人間に向けていた友好的な態度は一気に姿を消し、いつも通りの侮蔑と嘲笑が浮かび上がる。 「ねえ、シズちゃん。俺のどこが好き?」 「またかよ……」 「俺のどこが好き? 俺のことが好きなら、言えるよね」 めんどくささに舌打ちしたくなる。だが臨也はこの遊びを止めるつもりはないらしく、静雄がどんなに不愉快そうにしてみても、決して引き下がろうとはしなかった。 「言えよ、シズちゃん。俺のどこがいいのかな?」 「……どんだけ痛めつけても、俺から離れねえとこ」 「……」 臨也の周りだけ気温がぐっと下がった、気がする。 「……ちょっとここで待ってて」 「またかよ! 手前もうどこにも行くな!」 「いいから待ってて。サイモン呼んでくるから」 「しかもサイモンかよ……! あーもう行くなっつってんだろうが!」 今にも走り出しそうな体を捕まえ、ぐっと引き寄せた。チクチク痛むのは、きっとナイフで攻撃されているからだろう。刺さらないことを知っているくせに、と呆れるばかりだ。 ――つーか……ど、どさくさにまぎれて抱きしめちまった……! 今さらながらにものすごい体勢になっていることを自覚し、かっと頬が熱くなる。色気もくそもない抱擁だが、抱えた臨也からは甘ったるい匂いがして、頭がくらくらしてきた。 「……い、ざや」 誘われるように顔を寄せてみたが、触れる前にナイフを突きつけられてしまった。イラッとしながら臨也を睨みつける。みずみずしいくちびるが、またうっとうしいことを言い始めた。 「俺の、どこが、好き?」 ――ああ、もう。 ――いい加減、限界だ。 「てっめえぇえ……いい加減にしろよ、マジで! 聞く気なんか最初からねえんだろ!?」 「あるよ。あるから教えて。俺のどこが好き?」 まるで無表情だ。重ねて問いかける臨也の意味不明な行動が、静雄の怒りを加速させていく。あと少し、もう少しで、爆発しそうだ。 「言えないんだ。やっぱり俺のこと好きだなんて嘘なんだね」 伏せられたまぶたから伸びたまつげの影が、臨也の頬に落ちる。それがトドメの一発だった。 「ふざけんな!!」 臨也の顎を掴み、強引にくちびるをぶつける。突然の事態に呆けているくちびるに、そのまま舌をねじこんだ。 「ん、ん…っ」 粘膜をなぶるように舌を動かすと、抱きしめた細い体がびくりと震える。可愛い。殺したくなるくらいに、可愛くて愛しい。 たっぷりと呼吸と唾液を奪ったあと、静雄はそっと臨也を解放した。若干涙目になっている臨也の顔は悪くない。ざまあみろだ。 「手前みてえなクソ野郎、好きなとこなんか一個もねえに決まってんだろ! けど好きなんだよ! どうしようもねえんだよ!」 抱きしめる腕に力を込め、臨也の首筋に鼻を埋めた。匂いが濃くなる。甘くて、きつくて、毒のような香りだ。 「手前じゃねえとだめだ。手前と同じ顔してるやつに用はねえし、手前と同じ性格のやつなんか殺すしかねえし、とにかく手前じゃなきゃだめなんだよ」 「……キスまでしといて、その言い様? ひどくない?」 「どこがだ。手前こそ人の純情踏みにじったくせに……キスですませてやったんだ、安いもんだろうが。クソッ……期待、させんじゃねえよ。クソが」 まったく考えていなかった「臨也と恋人になる未来」をちらつかされ、静雄の心は無駄に傷ついているのだ。これなら最初から「気持ち悪い、死ね」とでも言われた方がずっとマシだった。 「失礼だな。踏みにじってなんかないよ」 「うるせえ、もう喋んな……」 「……わかった、黙るよ」 やけに素直な返事だ。まさかノミ蟲にも罪悪感なんてものがあるんだろうか、と落ち込み中の頭でぼんやりと考える。だが、すぐに何も考えられなくなった。 「……?」 ふに、とくちびるにやわらかいものが触れた。覚えのありすぎるその感触に戸惑っていると、これまた覚えのあるぬめりが口の中に入り込んできた。 ――キス、されてる。 ――ノミ蟲に。 ぶわわっと静雄の中で様々な感情が爆発して弾けて舞い散った。 「ん、…っふ」 甘ったるい息が肌にかかる。臨也の背中を抱え直し、細い腰を撫で回した。いやらしくくねるそこを、掴んで揺さぶって泣かせてやりたい。 何がどうなって臨也を満足させるに至ったのか、静雄にはさっぱりわからない。わからないが、今はとにかく離れがたくて、もっとキスを楽しんでいたかった。誰よりも近い距離で、臨也に触れていたかった。 「シズちゃん……」 静雄の下のくちびるを何度も甘噛みし、臨也はいやらしい声で静雄を呼ぶ。すっかり機嫌を直したらしい臨也が、とろんととろけた目で静雄を見ていた。 「もっと俺じゃなきゃだめになってよ。俺だけってもっと言って」 もうとっくに臨也でなければだめな体になっている静雄にはよくわからないおねだりだったが、頷いてみせた。臨也がうれしそうに喉を鳴らしていたので、その行動はどうやら間違いではなかったようだ。 「付き合ってくれるんだよな……?」 「うん、付き合おう」 「……おう」 非常に満ち足りた気持ちになりながら、静雄は臨也にキスを繰り返した。 腫れるからもうだめと言われても続けたせいで、付き合って早々キス禁止令を出されることになるのを、静雄はまだ知らない。 20140119 |