三十まで童貞を守り続けると、魔法使いになってしまうらしい。 そんな噂を聞いて焦ったわけではない。けど、俺ももう二十五だ。そろそろ一歩踏み出してもいい頃だと思う。こんな望みのない恋など捨てて、やわらかくていい匂いがするという女の肌の方へ興味を向けるべきだ。そんな思いで、俺はとある場所へと電話をかけた。 「も、もしもし……」 『お電話ありがとうございます! シンデレラ池袋店でーっす!』 とある場所とは……いわゆるデリバリーヘルス、だ。職業柄その手の店に出入りしたことは何度かあるが、まさか利用者になるとは夢にも思っていなかった。借金踏み倒してまで通う馬鹿が多いのだからさぞいい思いをさせてくれるんだろうなあとぼんやり考えたことはあるが、そこまでの興味もなかったのである。 その理由はわかってる。好きなやつがいるからだ。高校んときに自覚してからずっと「セックスしたい」「めちゃくちゃに抱きたい」「泣くまで突き上げたい」と思うのはそいつだけだった。 ここまでなら、何も問題はねえ。とっとと告白して、OKもらえたら付き合えばいいだけの話だし、断られても泣きの一発をお願いするまでだ。男は下半身で考える生き物なのだから仕方ない。 しかし、しかしだ。俺にはどうしてもそうできない理由があった。 なんつーか、つまり、俺の惚れてる相手に問題があって……まあ要するに、俺はあろうことかあの折原臨也ことクソノミ蟲野郎のことが夢精するほど好きなのである。何も言ってくれるな。自分でも終わってると思ってんだからよ。 『もしもし? お客様ぁ?』 「あ……はい」 『ご希望のタイプお聞かせ願えますかぁ?』 やけに鼻につくしゃべり方をする店員だ。電話をかけたはいいものの、早々に切りたくなってきている気持ちをどうにか抑えながら「希望のタイプ」とやらを思い浮かべる。 「……髪は、黒がいいっす。すっげえ短いのがいい」 うっかりそう口にしてしまっていた俺の頭の中には、もちろんあのクソノム蟲野郎のいけ好かねえ顔がある。悲しい性が出てしまった……と後悔する暇もなく、店員が相変わらず鼻につく喋り方で答えを寄越してきた。 『黒髪ショート! はいはい、取り揃えてますよぉ! お顔の好みなんかはいかがです?』 「つり目! つり目が好きっす。声は甘くてちょっと低いのがいいな……高級な猫っぽいのがタイプっすね」 『なるほどなるほどぉ。わかりましたぁ〜じゃあ場所はどうしますぅ?』 「場所……」 はっとした。そうだ、そうだった。デリバリーなんだからどっかに運んでもらわなきゃなんねえんだった。 だがちょっと待ってほしい、童貞の俺にとって自宅にデリヘル嬢呼ぶのはかなりハードルが高い。富士山レベルに高すぎる。無理だ。 『お客様ぁ? どうかなさいましたぁ? 場所いかがなさいますかぁ?』 固まったまま沈黙している俺を追い詰めるように、店員が場所場所場所場所うるっさく繰り返してくる。どうしたものか。自宅には上げるのは、ちょっと避けたいのだが……という俺の悩みに気づいてくれたのだろうか、店員が声の調子を変える。 『お客様ぁ? 悩んでおいでですかぁ?』 「あ、え、は、はい……」 よし! よーしよしよし! うっとうしい喋り方だとか思って悪かった! さあ俺に打開策を寄越せ! 『ではこちらでホテルを指定しますので、そちらに派遣いたしますねぇ〜』 「ホテ……ル……?」 心のハードルがチョモランマレベルにはねあがった瞬間だった。 (^□^)(^□^)(^□^) まあ結局こうしてホテルに来てしまったわけだが……部屋の扉の前で三分ほど立ち竦んでいる状態だ。なぜか? 入る勇気が出ないからだ。さすがはチョモランマ、簡単には越せない頂である。まだラブホじゃねえだけマシだったが、きつい。これはきつい。 約束の時間はとっくに過ぎていた。本当なら俺が先に部屋に入って姉ちゃんを待たなければいけないのだろうと思うが、どうにもこうにもうだうだ悩んでいる間に先にチェックインされてしまっている。まったく情けない話である。 「……ここでこうしてても……な」 三回深呼吸をしたあと、意を決してドアをノックする。一瞬の沈黙を置いて、ドアが開いた。 「やあ、随分とお早いお着きで。どうかなさったんですか? 予定よりまだ一時間も………………は?」 どこかで聞いたことがある声だ。つやつやした黒髪も、白い肌も、今は見開かれているつり目も、ぷっくりとした頬も、薄いくちびるも、すべてに見覚えがある。電話で言ったことを、ぼんやりと思い出している。 「……………………高級な、猫……」 「はあ?」 見開いていた瞳を元の大きさに戻し、威嚇するように光らせる姿もまさしく猫だ。折原ノミ蟲臨也というやつは、高級な猫のように気まぐれで残酷で綺麗な男だった。 「ここまで希望通りって……すげえな」 「……ねえ、とうとうマジでイカれたのかな? もうさっさと死んでよ」 そう言って、臨也に瓜二つなデリヘル嬢がナイフを取りだした。そんなところまで臨也にそっくりで、俺の胸はきゅんきゅん高鳴っている。抵抗するのを無視して部屋に押し入り、改めて向き直る。うん、そっくりだ。 「おいおいSMプレイを希望した覚えはねえぞ?」 「安心して、提供するつもりもないから」 グサリと容赦のない力で肌に突き立てられたナイフは―見事に歯こぼれした。当然と言えば当然だが。 「ちっ……この化け物!」 心底嫌そうにそう叫んだときの表情と、華麗なナイフ捌きと、それに何よりこの香り。こいつが動くたびに俺の鼻を抜けて体中を駆け巡るこの匂い―こいつ! 「手前! 臨也だな! ああ!? こんなとこでなにしてやがんだよ、いーざーやーくんよぉおおお!?」 「その反応に至るまでが今日はものすごい遅かったね! 何? とうとう死ぬ感じ?」 「誰が死ぬか! 臨也ぁ……まさか手前がデリヘルまでやってるとは思わなかったぜ……」 ショックで震える声でそう言うと、臨也が「はぁ?」と心底馬鹿にしたような顔で俺を見上げてくる。クソ生意気な臨也の上目づかいはやばいくらいに可愛い。何度これのお世話になったかわからないくらいだ。 高校で出会ってから今まで、ずっと臨也に片想いしてきた。でもこいつはノーマルだし、そもそも俺のことが死ぬほど嫌いなんだから……と何度も諦めようとした。言い寄ってきた女と付き合ってみたり、今回のデリヘルにしたってそうだ。臨也のことを断ち切りたくて、忘れたくて、とにかくどうにかしたかったのだ。 それなのに、今目の前には臨也がいる。派遣されたデリヘル嬢――便宜上――として、俺の目の前に。 何かが、俺の中でぷつんと切れた。それは理性とか我慢とか忍耐とか、そんなものだったかもしれない。 「ちょっ、と! なんだよ、離せ!」 同級生の男とは思えないくらい細っこくて薄っぺらくて軽い臨也の体を抱え上げ、ベッドに放り投げる。起き上がろうとするのを押さえつけ、どうしてやろうかと舌舐めずりをした。臨也の喉が小さく鳴る。 「な、なに……する気……?」 「……ナニする気」 「親父かよ! ちょ、っ、ゃ、やだやだやだやだ」 薄手のシャツの下に手を差し込むと、臨也は首をぶんぶん振って嫌がった。何を抵抗してやがる、こうされるのがわかっててここで待ってたくせに。それが手前の仕事なんだろ? それとも、あれか、 「相手が俺だから、そんな嫌がんの?」 柄にもなく傷つきながらそう聞いても、臨也は何も答えてくれない。ただ必死にもがき、あがき、俺の下から逃げ出そうとしている。 「臨也……」 悲しかった。とても、とても悲しかった。 臨也と出会ってもう十年近くになるだろうか、ずっと臨也に恋をしてきた。臨也だけを見てきた。こいつにされた外道な振る舞いの数々は死んでも忘れない。だけど、それとはまったく別の次元でも俺はきっとこいつのことを忘れられないのだ。未来永劫、俺が本気で殺したいと思うの、愛するのも、全部こいつだけだ。臨也だけ。 口ではとても言えそうにないぐちゃぐちゃの感情を視線に乗せて、じっと臨也を見つめる。わかってほしい、伝わってほしい――このノミ蟲が俺の希望を汲んでくれたことなど、ただの一度もなかったというのに。 「離せよ……俺、君なんかに構ってる暇ないんだよね。この後も人と待ち合わせてるんだ。さっさと出てけよ、シズちゃん」 わずかにめくれたシャツを手で押さえて俺をぎっと睨みつけながら臨也が言った言葉は、俺にとっちゃただの死刑宣告だった。 「手前……今から俺以外のやつに触らせんのか。手とか口とか、使ってやんのか? ケツも? ……そんなん許すと思ってんのかよ!」 「い、った……っ」 臨也の手首は華奢で、ちょっと無理をしたら俺の片手だけで簡単に束ねられるくらいだった。細い腰に巻かれたベルトを引き抜いて、そのまま手早く縛りつける。苦痛のせいで眉間に寄った皺にキスをしたら、思いっきり舌打ちされた。地味に傷つく。 「し、ね!」 「手前が死ね」 またシャツの下に手を入れ、薄い腹を探るように撫でまわす。臍の周りをくるくると指でなぞると、臨也はぶんぶん頭を振った。この薄い皮膚の下にある心臓を止めてやりたい衝動を必死に押し殺している。 嫌がる声を無視したままインナーをめくり上げて薄く色づいた突起を指でなぞると、一際高い声が零れた。男でもこんなところが気持ちいいもんなのか。感動すら覚えつつ舌で舐めると、臨也は泣きそうな声を上げる。 「やめ、や、いやだ、やめて」 「やめるわけねえだろ。お仕事はちゃんとやんなきゃなあ? 臨也くんよォ……?」 「ぁ、やだ…っ」 ベルトがなくなって余裕ができたズボンの中に手を突っ込んだ。臨也は腰を捻って嫌がっている。痛いと言う声は震えていた。興奮する。すげえ興奮する。 自分でも笑えるくらい雑な動きで下着の中に潜り込ませた手で、萎えたままのものを握って擦り上げた。びくびくと震える臨也のアレは俺のより少し小ぶりで、指に当たる毛も薄い。指摘すると泣きそうに顔を歪めるのがまたたまらない。 「ぅあ、やめ、やだぁ…っ」 「嘘つけ、これが嫌がってるやつのちんこかよ? すげえ濡れてんじゃねえか。勃ってるしよ」 「や、ちが、う、…違う!」 漏れる息の熱さを自覚しながら、ひたすらに臨也の性器を扱く。じっとりと指先を濡らすものは、何をどう誤魔化そうが臨也が感じてる証拠だ。ほっと吐いた息をどう思ったのか、臨也が俺を睨みつけている。逆効果だっつーことをこいつはわかっているのだろうか? 「い、ざや……」 「へ? え、あ? や、だ…うそ、うそでしょ」 ズボンごと下着を取っ払い、ガチガチに勃起して先走りで濡れてる俺のを臨也のケツにこすりつける。穴は硬くて狭いけど、俺の力なら無理にこじ開けることくらい朝飯前だった。臨也もそれをわかっているらしく、青ざめた顔で小さく震えている。涙まで溜めてて可愛い。 「し、シズちゃ…むり、無理だから……お、俺のお尻、壊れるから…っ」 「…っ」 今すぐぶち壊してやりてえ。ちくしょう! こんな顔を俺以外に見せやがったのか! 「……臨也」 「な、何……?」 「これ入れられたくなかったら、デリヘルやめろ」 まあいつかは入れるけどな、と心の中でだけ呟いておいた。ずりずりと臨也のケツの割れ目をなぞりながら俺のを動かすと、臨也がひっと喉を引きつらせる。目に涙を溜めながらも気丈に俺を睨みつけ、やつはこう言った。 「誰がデリヘルだ! 頭わいてんのか! 俺はここで商談があっただけ! 仕事相手待ってただけ! つーか気づきたくなかったけどシズちゃんデリヘルの世話になってんの!? 今すぐ死んで!」 「あ? けど4213号室で待ってろって言われたぞ? あとな、俺が世話になってんのは手前だ!」 「ここは1342号室だから!」 「えっ」 ずりずりしてた動きを止め、俺はきょとんと臨也を見つめる。顔を赤くしている臨也からは嘘の匂いがしない。ということは、本気で俺の勘違いだったわけか……? 「わ、……悪かった……」 「そう思うんなら俺の手をほどいてそのブツをしまって」 「えー……」 「えーじゃねえ!」 怒り狂った臨也の迫力にしぶしぶ従う。赤くなった手首をさすりながら、臨也が大きくため息をつく。やたらめったらエロくてたまんねえなと思った。反省はしていなかった。やっぱり童貞は臨也にもらってもらいたい。 臨也が顔を上げる。潤んだ目がなんとなくさっきよりも色っぽい気がして、ごくりと喉が鳴った。 「……シズちゃん、さっきのどういう意味?」 「さ、さっき?」 「その、俺に世話になってる、って」 しどろもどろになる臨也の姿に期待してしまう俺を誰が叱れるだろうか。 「そのまんま。高校んときから手前で抜いてる」 ぼぼっと臨也の顔がますます赤くなった。食っちまいてえと思いながら、ただ臨也の言葉を待つ。 「じゃあなんでデリヘル使うの」 「いや、魔法使いはちょっと……」 「……あのね、シズちゃん。その手のお店って大体本番禁止だよ?」 「えっ、そうなのか?」 チョモランマレベルの緊張を体験したというのに……項垂れる俺の耳元へ、いつの間にか傍にきていた臨也が囁きかける。 「シズちゃんが魔法使いにならないように協力してあげてもいいよ……?」 ばっと顔を上げると、真っ赤になった臨也の顔が間近にあった。キスしたい。そういえばちんこは触ったのにキスはまだしていなかった。ドキドキうるさい心臓の行方を臨也に委ね、息を殺す。 「その代わり、もうデリヘルに電話したりしないで……」 こくこくと頷いた俺に、臨也はご褒美と言わんばかりのキスをくれた。とろける頭の中には一つの言葉が浮かんでいる。臨也のくちびるを舐めてから距離を取った後、俺はすっ飛ばしすぎていたその言葉をようやく口にした。 「臨也、すっげえ好き」 俺のシンデレラがようやく笑ってくれた瞬間だった。 20121014 |