・ドタチンと臨也が看護師 ・静雄さんは高校生(名前しか出てきません) 「ちょっと聞いてよドタチーン!!」 遠慮のえの字もなく腹に飛びついてくるような成人済み男性の知り合いなど一人しかいない。ため息をつくのすら馬鹿馬鹿しく思いながら、門田はポンポンとその頭を叩いてやった。 「どうした、臨也。飲みに行くなら明日にしてくれ」 「いやそうじゃなくてさぁ……」 門田の白衣の袖をやんわりとつまむ指先は、可憐で繊細で強欲だ。望んだわけではないがそれなりの付き合いを経ている門田はよく知っている。この指で多くの人間に愛を注いできたことも、同じ数だけ地獄に叩き落としてきたことも、すべて。 見目だけなら非の打ちどころのない男だと門田は思っているのだが、その反吐が出そうな中身に触れてもなお信者に近い取り巻きが減らない辺りは世も末としか言いようがない。 事実、ほんの一週間前にも臨也の「人間観察」に弄ばれた哀れな子羊が誕生してしまったところだ。 確かそれなりの家柄でそれなりの経歴を持つそれなりの美形だったように思うのだが、たった一言、しかも男に「飽きちゃったぁ」と軽く別れを告げられた経験はさすがになかっただろうなあと一部始終を見守らされる羽目になった門田は同情していた。顔面蒼白で「俺のどこがいけなかったんですか折原さん」と縋る青年医師に美しい笑みを向けながら、「だって君つまんないんだもん。一日は我慢したけどもうだめ、無理。俺のことは諦めて」と平然と言ってのけたときは頭痛すら覚えたものだ。 「いい加減にしろ臨也」と叱った門田の腕に自らの腕を絡め、臨也はひらひらと白い手を振る。「じゃあまたね、センセ。もうナースコール変な使い方しちゃだめだよ」といやらしく微笑む臨也を見る彼の目は恍惚としていたが、絡む腕が視界に入るに至ってその表情は鬼か修羅かと震えそうなほど凶悪なものに変化する。 門田は心の底から思った、頼むから俺を巻き込んでくれるな――と。 案の定というかなんというか、その青年医師は今や臨也の愛の奴隷である。自分で言ってて鳥肌立ちそうなくらい気色悪いが、足しげく臨也の元に通ってはプレゼントと口説き文句を寄越す姿を見てもらえればその言い方が間違っていないことをわかってもらえるだろう。 話が逸れたが、そんな唯我独尊を地でいく折原臨也にしては珍しい態度をとるものだと門田は思った。いつもはとっとと本題に入るどころか、すっ飛ばし過ぎて結論を伝えることすら忘れて自己完結するような男なのに。 「なんだ? どうした?」 すわ天変地異の前触れかと冗談じみた考えは、瞬時に吹き飛んだ。 「俺……好きな子できた……」 そうか。俺にわかる日本語で喋れ、臨也。 「なんだって?」 「だからぁ、好きな子できたんだってば」 「はあ?」 「だーかーらー!」 実に馬鹿らしいやりとりをしている自覚が生まれたのは一瞬後のことだったが、そうしている間にもほんのりと頬を薔薇色に染める臨也の姿をちらちら横目に見ながら通り過ぎていく人間の多さには辟易するしかない。 天使のように人を惹きつけてやまないこの男が、悪魔のように人を陥落させるこの男が、恋だと? 「天変地異だ……」 「えっ何が?」 「いや、こっちの話だ」 咳払い一つで混乱を押し隠せる程度には、このどうしようもない男とは長い付き合いだ。 「……場所変えるか」 ここじゃ人目が多すぎるだろう、という親切心100%の申し出に「えっドタチンやらしい」と自らを抱きしめた臨也の頭に拳を一発落とし、門田は踵を返した。 中庭に人影はまばらだった。真っ白いパジャマを着て走る子供の姿を眩しそうに見やる横顔は慈愛に満ちている、ように見える。何を考えているかなんて探らないに限るだろう。これほど「白衣の天使」という言葉が似合っているのに、それと同程度でその言葉がこんなにもふさわしくないやつはそういない。 そんななんちゃって白衣の天使は、すらりとした足を組んで缶コーヒーを口に含んだ。まあ絵にはなるよなと思いつつ、つられたように門田も缶に口をつける。それが間違いだった。 「今すぐあの子に抱かれたいんだけどどうしたらいい?」 「ぶほっ」 「大丈夫? 背中をさすってあげよう」 コーヒーを盛大に噴き出す原因をつくった相手に労られ、背中をさすられる。ありがとう、それより先に俺の白衣をダメにしたことを謝ってはくれないものか。 何とか呼吸を取り戻し、先ほど噎せる原因になった発言を反芻する。いろいろギリギリだが、最もつっこみたい部分を選んでから門田は口を開いた。 「……なんで俺に相談するんだ」 「えーだってドタチンって男が惚れる男って感じだから」 「来る者拒まずなお前と一緒にするな! 俺はノーマルだ!」 「俺だってノーマルだよー人ラブ! 老若男女すべて愛してる!」 声高らかに変態宣言をした腐れ縁の友人に対して溜め息をつかずにすむ日はくるのだろうか。門田の前に広がる未来は若干薄暗い。 「……どんなやつなんだ、そいつは」 「えっとねえ、名前は平和島静雄くん。来神高校二年生。血液型はO型でー」 「もういい。つーか高校生って……どこで会ったんだ?」 「今日ねー診察に来てたんだけど、熱あったから俺が点滴してあげたんだよね……」 またしても頬を染める臨也だが、どこに惚ける要素があるのかさっぱりわからない門田は生返事しかできない。もっとやる気を出して聞けと言わんばかりの視線を受け流すことには慣れ切っていた。 「で?」 「うん……それでね、針を刺そうとしたんだけど、針が折れ曲がっちゃってさ」 「は? 折れ……曲が……は?」 「すっごいでしょ? 皮膚頑丈すぎだよねえ」 けらけら笑う臨也は楽しそうで、いつもよりもずっと快活だった。これはもしかして本気なのかと門田が訝しみ始めたことに気づいたのか、臨也は猫のようにつりあがった瞳をニィと歪ませた。 「そーんな規格外の皮膚してんのにさぁ……目ぇうるうるさせながら俺に言うんだよ、『刺す前に今から刺すって言ってください』『い、痛いッスか? 痛いッスよね?』『これもう終わったッスか? え? まだ……? うう……』ってさーもう可愛くって可愛くって……針百本だめにしたって構わないからずっと見ていたかったよ……」 正直門田にはその静雄少年とやらの行動のどこが臨也の琴線に触れたのかはよくわからなかった。ただ、相変わらずうっとりと夢見るようなその瞳に浮かぶ熱がいつもと違っているように見えたので、ならばいいかと思っただけだ。 表情一つで大抵のことを理解できるほどには、どうしようもないのになぜか放っておけないこの男とは長い付き合いだ。 「ほどほどにしとけよ?」 爛れた情事の繰り返しをやめさせるのはできれば自分でありたかったような気もするが、まあいい。どこまでも気まぐれな猫のような彼の友人というポジションを、門田は存外気に入っている。 「おードタチンのお許しが……珍しいね、明日は雨かな」 「言ってろ」 まっすぐでサラサラの臨也の髪を撫でる立場を奪われてしまうのは少し寂しいが、遅すぎる思春期の恋に目覚めた友人を一歩離れたところから応援する楽しみが増えたので、まあよしとしてやろう。 「よーし、じゃあお許しが出たところで早速カルテを物色しに行ってくるね!」 「おい、待て」 前言撤回、こいつにはまだお目付け役が必要だ。 20120911 |