スペアキーじゃ開かないの | ナノ

 折原臨也は困っていた。ここ最近、恋人が繰り返しているわかりやすすぎる不審な行動がその理由である。
 一応断わっておくが、行動それ自体を問題としているわけではない。その不審な行動の原因及び理由そして経緯、はてはそう遠くない未来に自分に降りかかるであろう出来事まで予想できてしまうせいでなんとなく落ち着かないのだ。見て見ぬふりというのも案外大変なものらしい。
「馬鹿なんだから」
 そんな悪態とは裏腹に、頬がやわらかく緩んでいることは十分に自覚済みだった。



 ある日曜日の昼下がりのこと。
 久しぶりに二人きりで出かけることになったというのに、目の前に座っている臨也の恋人は先ほどから視線を落ち着きなくさまよわせてばかりいる。頼んだクリームソーダがわずかも減っていないその状況に、臨也は内心笑い出したいのを健気にこらえていた。「アイスとけちゃうよ」という忠告はついさっき綺麗に無視されたばかりである。
 おそらく、というか絶対に、ここ最近思い描いていたそう遠くない未来予想図が実現されようとしている。がちがちに緊張している静雄を見て、臨也はしみじみとそう思った。
「ノミ……じゃねえ……い、臨也」
 ごほん、咳払いを一つ。やけに真剣な表情を浮かべる静雄を前にして、臨也はアイスコーヒーを飲もうと持ち上げたばかりのグラスの底を再びコースターの上に戻した。水を吸ったコルクがじわじわとその色を変えていく。
「何かな?」
 昔、静雄がぐでんぐでんに酔っぱらっていたときに「俺、その顔好きだ」と誉めてもらった笑みを浮かべ、じっと静雄を見つめた。図体のでかい男が照れ隠しに頬をかいても少しも可愛くないはずなのに、臨也の胸はただそれだけで春の嵐のようにざわめいてしまう。
「あのな、俺、手前が好きだ。ムカつくしぶっ殺してやりてえ気持ちも捨てちゃいねえけどよ……すげえ好きなんだ」
「……情熱的で大変結構だ。でもねえシズちゃん、ここはカフェでね? つまり公共の場でね? 男同士でこういう会話はいかがなものかと俺は思うんだけどね?」
「ああごちゃごちゃうるせえな。いいから黙って聞け。好きだ、臨也。だから、」
 痛みを感じるくらいの力で手を握られた。ぎょっとして、周りの視線が気になって、けれど静雄にできる精一杯の繊細さで施されている力加減に感動していたりもして……臨也の胸中はひどく複雑だった。
 密かに狼狽している臨也とは対照的に、静雄は臨也相手には滅多に見せてくれないような真摯な表情を浮かべている。それにうっかり見惚れてしまった臨也に気づいているのかいないのか、静雄は愛しげに視線を揺らしながら口を開いた。
「一緒に暮らしてくれねえか。手前が今住んでるとこみてえな部屋は無理だけど……その……なんつーか……ま、毎日俺のつくったメシを食ってほしい」
 思ったとおりの展開だった。だが、想像以上のインパクトを伴っていたその言葉に、臨也はこれまた想像以上に衝撃を受けていた。そして、そんな自分にひどく動揺していた。
 所詮は頭の中で考えていた想像の産物でしかなかったのだ。実際に経験するのとでは伴う感情が違ってくるのも当然のことだろう。非常にシンプルかつふさわしい言葉で現在の心境を表そう、うれしかった。とんでもなく、うれしかったのだ。
 だが、どこかやりきった表情を浮かべている静雄を見ていると、悔しさも相まってつい意地悪をしてやりたくなってしまうのが折原臨也が折原臨也たる所以なのである。静雄の嫌がる顔が見たい、それはもう臨也のライフワークのようなものだった。
 にこりと人好きのする笑みを浮かべると、静雄はわずかに警戒するような素振りを見せた。長年の付き合いだ、静雄には表情一つで大抵のことが気取られてしまう。それがまた悔しくて、臨也はぐっと顔を近づけて静雄との距離を縮めた。
 反射的に距離を取ろうとのけぞった静雄の襟首を掴み、強い力で引き寄せる。女性客のどこかうれしそうな悲鳴はこの際無視だ、無視。

「お断りします」

 そう告げたときの静雄の顔ときたら、もう大変だった。気を抜けばすぐにでもほんとうのことを言ってやりたくなるくらいに青褪めて慌てた顔。それを見ていると、悔しさも幼稚な満足感も薄れてどこかへ消えていってしまうような気がする。
 結局のところ、臨也も静雄が愛しいのだ。好きだけど憎たらしくて、殺してやりたいのにキスが欲しい。ずっとそうだった。静雄だけが臨也の中に存在するどの枠にもうまく当てはまってくれない。
 だからこそ、ずっとずっと静雄だけが特別だった。好きな子ほどいじめたいのだという子供じみた心理を、臨也は静雄への恋心を自覚して初めて知った。

 声にならない声すらも噛み殺して、静雄はひたすらに呆けている。可哀想なくらいに消沈している姿を見ているのはなかなか楽しいが、そろそろ飴を与えてやってもいい頃だろう。拗ねた静雄はとても可愛いのだが、あまりへそを曲げさせると機嫌を取るのが大変になるのだ。そう思い、臨也は今度こそ他意のない優しい笑みを浮かべてみせた。
「……って言ったらさーどうする気だったわけ? もう部屋借りちゃってるくせに。ほんっとシズちゃんって……昔から変わらないね。暴走しまくりなところなんて、特にね」
 掴んだままだった襟首から手を離して突き飛ばし、臨也は再び背もたれに深く体を預けた。反動だがなんだか知らないが、大きくバウンドするように背もたれに肩をぶつけた静雄とはずいぶん対照的な所作である。
 いささか強打したように見えた肩だが、静雄には痛くもかゆくもないのだろう。突き飛ばされたことに怒りも見せず、ただただ放心したように固まっていた。
 ぱくぱくと開閉を繰り返す口は金魚のようで、そういえばそろそろ夏祭りだなあ今年は何色の浴衣を着せようかなあとまったく関係のないことを臨也はぼんやりと考える。ストローを弄ぶように指で弄りながら、疑問だらけの表情を浮かべる静雄に溜め息を一つ。
「俺を誰だと思ってるのかな? 素敵で無敵な情報屋さんをなめてもらっちゃ困るんだよねえ……ミユキちゃん、いい物件紹介してくれただろう?」
「ミユキって誰だよ浮気か浮気なのか俺というものがありながらよくもそんな……このクソノミ蟲野郎がぁあああ」
「落ち着いてシズちゃん。ミユキちゃん忘れちゃったの? 可愛いスマイルで君にお部屋を紹介してくれたお嬢さんだよ」
「……個人情報保護法どうなってんだ……」
 頭を抱えこんだ静雄を見ながら、臨也はぐるぐるとアイスコーヒーをかき混ぜる。恋人を心配するあまりの可愛らしい探りを犯罪のように言われたのは心外だが、少し胸のすく思いだった。これくらいの意地悪は許してもらいたいものだ。静雄をかなり気に入ったらしいミユキちゃんに「紹介してくださいよ〜」と散々ねだられて、正直この幾月かおもしろくなかったのだから。
「駅近、南向き、バストイレ別、三階、2LDK……あとはなんだっけ?」
「……ペットOK」
 わざとらしく指折り数えて静雄の借りた部屋の特徴を挙げていく臨也に対して、静雄はなかば開き直ったようにそう呟いた。「独尊丸預からなきゃいけねえときもあるからな」と子どものように胸を張る静雄に思わず吹き出しそうになりながら、臨也はまたひとつ指を折り曲げる。
「そうだね、幽くんの大事な猫ちゃんだもんねえ……できたばかりで綺麗なところなんだってね」
「おうよ」
「じゃあいつから住もっか?」
「そりゃ手前、できるなら今すぐにでも……あ? いつから住もうかっつったか?」
 目を丸くしてそう問い直した静雄のせいで、臨也は今度こそ腹を抱える羽目になった。
 こんな間抜け面にも胸が疼いて仕方がないなんて、ずいぶんと自分も落ちたものだと思う。けれど、そんな自分が嫌いではなかった。女の子相手に甘い戯れを仕掛けるよりも、ずっとずっと満ち足りた気持ちになるのだからどうしようもない。
「だってさあ、引っ越しも楽じゃないでしょ? 波江さんとかクルリとマイル……には言わないけど、とにかく引っ越すって周りに連絡しないといけないし、予定をちゃんと聞いておきたいんだけどねえ?」
 テーブルに肘をつき、重ねた両手の甲に顎を置いてそう問いかける。少しだけ上目づかいになるその角度は計算のうちだった。照れたように頬をかいた静雄は少しだけ逡巡したあとで、緩みかけている口を静かに開いた。
「……そりゃイエスってことか?」
「それ以外の何かに聞こえるなら耳鼻科に行っておいで」
 笑ってそう言うと、静雄のくちびるがこれ以上ないくらいにだらしない角度になる。昼下がりのカフェで甘くとろけた雰囲気を醸し出す自分たちを自覚しつつ、臨也はやわらかく微笑んだ。
「好きだよ、シズちゃん。俺が幸せにしてあげるからね」
「うるせえぞアホ蟲」
 ぶっきらぼうに言ってそっぽを向いた静雄の頬が若干赤みを帯びていたことを指摘するつもりはない。自分もそう大差がない状態だということくらいわかっている。



20120721

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