粗忽な君に期待した回数なんてそうないけれど、君はいつだって俺の予想を裏切ってくれたね。昔からそういうところが大嫌いで、ちょっとだけ好きだった。 ピピピ、と無機質な電子音が響いた。メールの着信を告げるその音に気づいて、携帯電話に手を伸ばす。シズちゃんとおそろいの、シズちゃん専用回線である。 柄にもなく浮かれながらメールを開いたものの、何も書かれていない真っ白な画面にうなだれる。間違ったのか、それともいやがらせか。しばし考えていたが、ふと写メが添付されていることに気づいた。 開いて、思わず苦笑する。なかなか粋なことをしてくれると思いながら、アドレス帳を開いてボタンを押した。携帯電話を耳に押し当て、一秒、二秒、三秒、四秒……五を数え終わる前に、呼び出し音が途切れる。 『もしもし』 ぶっきらぼうな第一声に、こちらは最上級の声を返す。 「シズちゃん、おはよ。写メありがとう、綺麗だった」 『うまく撮れてただろ!?』 「ああ。君は才能がある。テレビで見るより綺麗だったよ」 第一声の乱暴さはどこへやら、うってかわってうきうきと声を弾ませるシズちゃんはさながら母親に誉められた幼稚園児のようだ。可愛いなあと笑ってしまいたいけど、不機嫌にさせるのはいただけない。こぼれそうになる笑いを必死で噛み殺しながら、添付されていた写メを脳裏に描く。 『綺麗な輪っかでよぉ……まん丸でよぉ……すっげーなあ、すっげーよなあ』 「そうだね、とても綺麗だった……」 シズちゃんがくれた写メには、綺麗な金環日食が映っていた。どうやって撮ったかは知らないけど、ほんとうに綺麗でうっかり感動してしまった。自然、ラブ。人、もっとラブ。シズちゃん、…………内緒。 『でっけー指輪みてえだったなあ……』 「あーうん……いやいや、シズちゃんは相変わらずロマンチストだねえ」 『ああ? るっせーな、そんなんじゃねえよ』 急に声を荒げるのは照れてる証拠だ。俺の恋人は今日も絶好調に可愛い。にやけそうになる口元を必死で引き締めながら、ごめんごめんと機嫌をとる。ぶつぶつと文句を言っていたシズちゃんだったが、何かを思い出したのか、急に声の調子を変えてこう返してきた。 『おい、明日空いてるか? 空いてるよな? 空いてなくても空けろ。出かけんぞ』 「何それ横暴……まあ、幸いなことにオフだけど。どうかした? 君からデートのお誘いなんて珍し……いこともないか……」 驚くべきことに、平和島静雄は恋人に尽くすタイプだった。甘楽を名乗りながら付き合っていたときから薄々気づいてはいたが、シズちゃんは恋愛に対してとてもマメだ。釣った魚に餌をやらなければと思いつつ、うっかり忘れて餓死させるタイプだろうと決めつけていただけに「付き合って半年記念だからよ……」と照れながらプリンを渡されたときは、正直どこからつっこんだらいいのかわからなかった。 『どうかした? じゃねえよ、手前寝ぼけてんのか。明日はあの日だろうが!』 「あの日……?」 さて、まったくわからない。付き合って一年記念はこないだ終わったし、俺の誕生日もつい先日無事に終了した。ひたすら首を捻っていると、痺れを切らしたらしいシズちゃんの怒鳴り声が耳を貫いていく。 『手前、ぶっ殺すぞ。明日っつったらあれだろうが! スカイツリーだろうが!!』 「え? あ、あー……そうだね、そうだったそうだった」 そうだそうだ、経済効果の期待もでかい東京の新名所がオープンを明日に控えていた。高いところはいいねえ、実にいい。でもねえ、シズちゃん、 「それがどうかした?」 再度、シズちゃんの怒鳴り声がうなりをあげた。 『三枚におろすぞ手前ぇええええ! 行きてえっつってただろうが!』 「え? あ、うん、言ったような……でも、あそこまだ一般じゃ入れないでしょ? 完全予約制だし、もうチケット残ってないと思うよ」 わんわんいっている鼓膜を心配しながら、諭すようにそう告げる。けど、返ってきたのは意外な答えだった。 『ある。チケットもらった』 「え……えー!? うっそ、マジで?」 『手前、俺の弟を誰だと思ってやがる』 「わー……さすが羽島幽平……」 『もっと誉めてもいいんだぜ』 電話の向こうで胸を張っている姿が容易に想像できる。このブラコンめ。 けど、うれしい。スカイツリーに行けることはもちろん、何気なく言った言葉を覚えていて、しかもそれを実行してくれるシズちゃんの気持ちが何よりうれしかった。弟に迷惑かけるの嫌いなこいつが俺のために――そう思うだけで、胸の奥がきゅうんと疼く。 「ありがとう、シズちゃん。すごく楽しみだ」 『お、おう……いや……俺も行きたかったしよ……待ち合わせの時間と場所、あとでメールすっから』 「うん、待ってる」 『ああ、じゃあな』 「うん、あ、待って」 携帯電話を持つ手に、力を込める。シズちゃんの背中にしがみつくときの気持ちを思い出しながら、ゆっくりと息を吸った。 「仕事、頑張ってね」 『……お前もな』 空いた間は、何かに耐えた証拠だ。おそらく顔を赤くしているだろうシズちゃんの姿を想像しながら、電話を切る。浮かれ切っていることを自覚しながら、早々に仕事を片付けるためにパソコンに向かった。 「……スカイツリーか……」 女装してシズちゃんに近づいたときの、つまらない約束だった。律儀に覚えているシズちゃんに敬意を表し、明日は思いっきり楽しませてあげよう! と、思ったのに。 「……」 「……」 沈黙が痛い。黙りこくって俺を見ないシズちゃんの発する空気が痛い。どこ間違ったのだろう、足元がスースーするのを我慢しながら俯いた。『次はとうきょうスカイツリーです……』というアナウンスが聞こえてくる。シズちゃんは顔を上げて、席を立った。俺もそれについていく。シズちゃんは、こちらを見ない。電車を降りて改札に向かう間も、こちらを見ようとはしない。 「……っ」 サーモンピンクのワンピースをぎゅっと握りしめ、やっぱり俯いた。待ち合わせのときからシズちゃんはずっと怒っている。何に対してかはわからない、だって今日の俺はとてもいい子のはずなのだ。遅刻もしていないし、めずらしくバーテン服じゃないシズちゃんを誉めたりもした。それなのに、どうしてこっちを見てくれないんだろう。 今年の流行りのワンピースを買った。シズちゃんが似合うと言ったピンクにした。髪もメイクも一流のアーティストを朝から呼びつけてやってもらったのに、なんでシズちゃんは俺を見ない? 「シズちゃん……」 さすがに声は変えられないから、蚊が鳴くようにシズちゃんを呼ぶ。ちらりと視線だけを寄越して、でもすぐにまた前を向いてしまった。その背中を、とても遠くに感じている。 「……なんで?」 ぎゅうぎゅう握りしめているせいで、綺麗だった生地に少し皺ができている。ぎゅうっと締めつけられるのは服だけじゃない、心臓もだ。 シズちゃん、こっち見て、シズちゃん、シズちゃんシズちゃん――シズちゃん! 俺を見ないシズちゃんを見ていたくなかった。そっとあとずさり、距離を取る。シズちゃんの背中が遠くなっていくのを確認して、踵を返した。脱兎の如く走り出す俺を、同じ電車に乗っていた人たちが振り返る。見るのは好きだけど、見られるのはあまり好きじゃない。視線を感じなくてすむように俯いたまま、ただ走る。もう帰る、帰りたい。 シズちゃんは、なんだかんだで女装した俺に優しかった。恋人になってから、喧嘩してるとき以外は俺に優しくなったシズちゃんだけど、甘楽として接してたときには劣る。だから、俺が「ああシズちゃん女装してる俺の方が好きなんだなあ」という結論に至るのは、ごく自然なことじゃないだろうか? シズちゃんは俺のために大事な弟に頭下げてまでスカイツリーのチケットをもぎとってくれた。俺はそれがとてもうれしかった。だから、シズちゃんが一番好きであろう『甘楽』の姿になって驚かせようと思った。ただそれだけだった。どうも失敗したようだけど、やっぱり今日の俺はいい子だったはずだ。 「シズちゃんの馬鹿ぁ……」 走りながら、ツンと鼻が痛くなってきた。泣いたらメイクとれるから我慢しなくちゃいけないが、シズちゃんを好きになってからの俺の涙腺の弱さは半端じゃないのでもうやばい。滲みかけの視界の端で踊るサーモンピンクが憎たらしい。 女装したのは、なにもシズちゃんのためだけじゃなかった。男二人のデートなんて、手を繋いで歩くことすら遠慮しなきゃいけない。だから、俺が女の恰好さえしてりゃ大手を振って腕を組むことすらできるんじゃないかと、ちょっとだけそんなことを思ってしまったんだ。シズちゃんに寄り添って、東京の街を見下ろしてみたかったんだ。いつかのサンシャインの展望台でそうしたみたいに。 「……馬鹿……馬鹿、馬鹿……馬鹿……」 馬鹿は俺なのかもしれないけど、それにしたってひどい。メイクがとれないように遠慮しながら目元を拭う。その手を、誰かが掴んだ。 「! し、シズ、」 「彼女、一人? なんで泣いてるの?」 「…………」 彼女じゃないし、一人でもない。そのどれから説明すればいいのか迷いながら、とりあえず手を離してもらおうとぶんぶん振った。割とイケメンの部類に入るであろう男は、めげずに顔を近づけてくる。シズちゃんの方が百倍かっこいいなあと思いながら、とりあえず抵抗するために口を開いて――固まった。 「人のもんに触ってんじゃねぇえええええええ!!」 素晴らしく美しいフォームで、颯爽と現れたシズちゃんが男に飛び蹴りをかます。ぐえっと醜い悲鳴を上げて、男はホームに伸びた。死んでたら面倒だなあと思い、屈んで男の背中をつんつんとつついた。反応があったことにほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、シズちゃんが俺の腕を掴んで無理に立たせようとする。 「いたい……」 「うるせえ! 黙ってどっか行くな! 男に声かけられてんじゃねえぞ、この尻軽蟲!」 「し、しりがるむしって……ひ、ひどい……ひどいよ……」 シズちゃんと付き合いだしてから弱りまくっている涙腺が、我慢していた分だけ派手に崩壊した。ぼろぼろ泣いている俺と、ぎょっとした顔して慌てているシズちゃん。ホームを歩く人々は、同情の視線やら非難の視線やらを向けてくる。 「シズちゃんが俺のこと見ないから悪いんだろ! 俺頑張ったのに、今日ちゃんといい子だったのに! もうやだ帰る……帰るぅう……」 えぐえぐとガキみたいにしゃくりあげる俺を困ったように見つめ、シズちゃんはわしゃわしゃと頭をかきむしっている。あーだのうーだの言ったあと、そっと俺を抱きしめて、シズちゃんは溜息をついた。 「……悪かった……」 「……しりがるじゃない……おれ、しりがるじゃない……」 「わかってるよ、悪かった。嫉妬だ、ヤキモチだ。ごめんな、そんなんマジで思ってるわけじゃねえ」 ぽんぽん背中を叩いて、シズちゃんが何度も謝る。ぐすぐす鼻を鳴らして、シズちゃんにすり寄った。シズちゃんの匂いが、俺はとても好きだ。 「……なんで怒ってたの……?」 シズちゃんは一瞬黙ってから、観念したようにこう言った。 「手前がそんな格好してくるからだろうが……もう俺以外に見せたくなかったのによぉ……普通の格好してこいよな。女装なんかしなくても手前は可愛いんだからよ」 馬鹿みたいに真剣な声と顔でそう言われて、恥ずかしくて死にたくなった。でもやっぱりシズちゃんはこの格好の俺が好きみたいなので、今度エッチするときに女装してあげようと思った。 その後スカイツリーにのぼっていちゃいちゃして「これがぼろぼろになってもずっと一緒だぞ」ってシズちゃんが言ったので、夜はとても盛り上がりました。以上! 20120521 |