破り捨てて、 | ナノ

君にあげよう、僕の愛の過去話





二度とは戻れぬ人生の春を青春と呼ぶならば、俺のそれは間違いなく高校時代だ。折原臨也に出会ってしまったあの頃、世界はただただ騒がしくて、ちっとも俺に優しくなかった。ひとりぼっちになるのが怖い俺と、ひとりぼっちになりたがる臨也。化物じみてる俺と、人間しか愛さない臨也。どう考えてもそりが合うわけもなく、殺し合いに近い喧嘩の繰り返しだった。
憎しみと嘲りしかなかったはずの関係性がいつの間にか変わってしまったのはなぜだったのだろうか、俺にはよくわからない。最初から俺で遊んでいただけだったのだろうか、それもよくわからない。ただ、俺の美化されつくした思い出の中で笑う臨也は、今でもあの頃と変わらず綺麗なままだった。


夕暮れの放課後だ。夕陽に照らされた臨也が、俺に気づいて声をかけてきた。誰もいない二人きりの教室の中、臨也を目の前にした俺を襲ったのはいつもの破壊衝動ではなかった。ひどくシンプルな気持ちだったように思う。赤く染まった臨也に、ただ、触れてみたかった。
「シズちゃん、どうかした?ぼーっと突っ立って、とても気味が悪いけど」
ナイフを構えた臨也を前にしても、動かない俺を訝しく思ったのだろう、臨也が窺うような声を聞かせた。弾かれたようにナイフに手を伸ばして刃を折ると、臨也は眉を寄せて吐き捨てるように言う。
「化物が」
ぞわ、と全身が総毛立った。ああそうだ、俺は化物だ。でも手前だってそうだろ。同じ穴の狢じゃねえか――言いたかった言葉をすべて臨也にぶつけてやりたかった、それでも、なにより伝えたい言葉を優先させてしまったのは果たして間違いだったのだろうか。
「好きだ」
衝動的に出た言葉だったが、音にしたことでそれはじんわりと体の中に馴染んできた。ああそうか、俺はこいつが好きなのか。そう自覚した途端に、憎たらしくて目を逸らせないだけだったはずの臨也の顔が妙にきらめいて見えるから不思議だった。当の臨也は、なんとも間抜けな顔をしていた。俺はそのとき初めて思ったのだ、ああ、可愛いなって。
「ごめん、もう一度言ってくれないか」
「好きだっつったんだ」
「何を?」
「……手前を」
「誰が?」
「お、俺、が」
「……つまりどういうこと?」
「っだ、から……手前のことが好きだっつってんだよ、クソノミ蟲野郎!」
まばたきを三度繰り返して、臨也はまじまじと俺を見つめる。その視線に耐えきれなくなって顔を逸らした俺を見て、臨也は笑った。
「照れるくらいなら言うなよ」
「うるせえな……俺は手前と違ってまともなんだよ」
「なんだよそれ。それじゃあ俺がまともじゃないみたいだな。君よりまともじゃないやつなんてこの世にいない……でも……そうだね、俺もまともじゃないかもしれないな」
左手にすこしひんやりとしたやわらかい感触を覚えて、びくっと肩が跳ねた。顔を教室の隅から臨也に戻す。臨也の目は俺を見てはいなかった、ただ、じっと俺の手を見ている。臨也の俺より小さな手に握られている、俺の左手を。
「俺も好きみたいだ、君のこと。こんなのおかしいね、変だよ。でも離したくないな、手」
そう言った臨也の小さな頭が揺れた。少しだけ見えた顔が赤かったのは、夕陽のせいだけだったのだろうか。あのとき、無理にでも聞き出しておけばよかったと切に思う。きっともう臨也が教えてくれることはないのだろうから。

付き合っていた。そう言っていいのかは今でもわからない。俺には臨也だけだったからだ。見てるだけで死にそうなくらいに心臓が跳ね上がるのも、ずっと傍にいてほしいと思うのも、体も心も全部欲しいと思うのも。全部が全部、臨也だけだった。他に経験がないから、付き合ってたのかは今でもほんとうによくわからない。
「臨也、キスしたい」
そう言うと、臨也は決まって黙り込んだ。最初は嫌なことを言ってしまっただろうかと謝ったものだが、雰囲気と欲望に負けてその要望を口にする度、ふと気づいたことがある。引き結んだくちびるの斜め上、丸っこい頬が、少し赤くなっていた。
ぽかんと口を開いたまま、臨也を見る。臨也は不機嫌そうに、なんだよ、と問うてきた。その声が微妙に上ずっていて、俺は思わず聞き返していた。
「手前こそなんだ、そのツラ。もしかしてよーいーざやくんよォ……照れてんのか?」
「は?なにを言い出すかと思えば、言うに事欠いて照れてる?照れてるだって?この俺が?なあ、君ってほんとうに単細胞だね。呼吸で取り込んだはずの酸素が体中に行き届いてないんじゃないか?ならもういっそ葉緑体を生成することをお薦めするよ。それくらい君ならできるだろ。二酸化炭素吸って酸素吐き出せよ。そしたら君も少しは世の中の役に、」
細いばかりの右腕を掴むと、臨也がひゅっと息を飲んだ。けど、そんなことは悟らせまいとするかのように憎たらしい仕草で片眉をつり上げて見せる。ああ可愛いな、またそう思った。臨也を好きだと自覚してから、俺の中で臨也はこの世で可愛いものの一番に君臨し続けていた。もちろん――今でも変わることなく、だ。
「……なんだよ、離せよ」
「手前でも照れることってあんだな」
「君はほんとに人の話を聞かないな」
「あー……手前は肝心なことは言わねえからよお……口から出てくる話はあんま聞いてねえかもな。けどよ、なんとなくわかるっつーか……態度とか目線とか匂いとか、とにかくわかんだよ。照れてんだろ、手前」
そう言い切ると、臨也の目が丸くなった。その斜めすぐ下、頬の一番高いところはやっぱり赤く染まっている。自分の発言になお自信を持って臨也の目を真っ直ぐに見た。はあ、と殊更大きな溜め息が聞こえた。
「……わかってないよ」
「あ?」
「わかってない。シズちゃんは全然わかってない。照れてるってわかってるなら、わざわざ言葉にするな。シズちゃんは、俺のことほんとに全っ然まっっったくわかってない」
そう言った臨也の表情は、俯いてるせいでわからなかった。けど、顔見なくたってやっぱり俺にはなんとなくわかる。だから、今度は何も言わずに肩に触れてみた。ぴくりと震えた薄い背中は、俺を拒絶してはいなかった。
「……恥ずかしいんだよ、わかれよ」
「悪かったって」
「その……まだ、キスしたい?」
「ああ、してえな。でも、手前が嫌ならしねえ。嫌われてまでしたくねえし」
それは正直な気持ちだった。触りたいし、キスしたいし、できればその先も臨也としてみたい。けどそれで嫌われでもしたら元も子もない。少しずつ変わっていく関係とは裏腹に派手な喧嘩なんかは相変わらず日常茶飯事だったが、臨也に対する怯えだけは育っていくばかりだった。
黙ったきり俯いたままの臨也の細い体を抱きしめてみる。またぴくりと背中が震えたが、両腕が俺の背中に触れたから抱きしめてもよかったんだなとほっとした。
「……嫌じゃない……嫌じゃないから、しよう。でもここじゃ嫌だ。旅行に行こうよ、シズちゃん。バイトしてお金貯めて遠い所へ行こう。俺とシズちゃんを知ってる人が一人もいないくらい遠い所へ」
ファーストキスの場所にこだわるとか手前はどこの夢見る乙女だよとからかってやろうかと思ったが、やっと顔を上げた臨也の目がやけに真剣で、結局口にすることはできなかった。すり、と綺麗な黒髪を俺のブレザーに押しつけて、臨也が目を閉じる。
「遠くへ行こう。だーれもいないところ。俺と君しかいないとこに」
「……ああ」
人間がいないと生きていけない臨也にしてはひどく現実味のない言葉だったが、俺は臨也がそう言ってくれるだけで死ぬほどうれしかったので深くは考えずに頷いた。そしたらやっと臨也がうれしそうに笑ったから、ただ抱きしめる力を強くした。
幸せだった。たとえその数分後に馬鹿力痛い死ね化物と罵られて放課後まで殺し合うことになったとしても、幸せだった。

それから必死でバイトした。バイトしてクビになって、また新しいバイト見つけてクビになっての繰り返し。その原因の五割は俺の短気な性格のせいで、残りの五割は臨也のちょっかいが原因だった。いや、俺が四割であいつが六割か?まあそれはどうでもいい。
そのせいで金はなかなか貯まらなかった。手前が言い出したのになんでちょっかい出してくんだよと言ったら、臨也はあーだこーだとまた屁理屈と御託を並べまくる。いい加減ブチギレて一発、いや三発ぶん殴ろうと思ったが、胸倉掴んだ瞬間に臨也がこう言ったので俺はその場にしゃがみこむしかできなかった。
「俺以外に愛想振りまいてにこにこしてんじゃねーよ!惚れられたらどうするんだ!」
あんまりにも真剣な顔でそんな可愛いことを死ぬほど惚れてるやつに言われて、正気でいられるようなやつは坊主にでもなった方がいい。生憎俺は正気ではいられなかったので、三発ぶん殴るはずだったところをデコピンに変更して臨也を抱きしめるしかできなかった。
「手前、俺がどんだけ手前に惚れてるか知らねえのか?」
「知ってるよ。知ってるけど……ムカつくんだよ、化物のくせに人間みたいに笑ってさあ……」
駄々捏ねるガキみたいに、そう言いながら臨也は俺に飛びついてナイフをグサグサ突き刺してきた。痛いというかむず痒いというか、とにかく怪我はしないから別にいい。なんなら怪我したっていいと思ってる。臨也にもらえるものは何でも欲しい。
「……旅行行ったらよお……何食う?」
そう聞いたら、グサグサがグサ、になって、ピタ、と止まった。カランという音は、臨也が地面にナイフを捨てた音だろう。ナイフの代わりに臨也の手が俺の体に触れる。うん、やっぱこっちの方がいい。
「美味しいものがいい」
「マグロの解体ショーとか楽しそうだよなあ」
「……ぜ、絶対に嫌だ。死んだ魚の目、嫌い」
「あ?あー……そういや手前、鮮魚コーナーで固まってたよな……苦手なら無理していやらがらせしにこなくてよかったのによお……」
「……あれは、そうじゃなくて……だけ……で」
途端に臨也が俯いて、何事かをぼそぼそと口にする。聞こえなかったから、耳を近づけた。
「なんて?」
「っ……いやがらせしに行ったんじゃなくてただ会いに行っただけだっつったんだよ!死ねよもう!!」
またしても袖からナイフを取り出し、臨也は俺の背中をグサグサ刺してくる。さっきよりもちょっと痛い気がしたが、赤くなった臨也が可愛かったので全部どうでもよくなった。なめらかな頬のラインを辿り、くちびるを見つめる。ああ早くキスしてえな――そう思いながら、細っこい体を抱きしめた。


二度とは戻らない、愛しい日々だ。臨也と行くはずだった旅行のパンフレットの切り抜きを、俺は今でも捨てられない。臨也の分と俺の分、二枚あったはずだったのに一枚しか手元に残ってないのは、離れ離れになることがあの頃から決まっていたからだろうか。
わからない、俺には何もわからない。わかってることはたったの二つだけだ。その一つは、俺は稼がなきゃならないということ。ずっとずっと永遠に。そうしなければ臨也にはもう触れられない。俺以外の人間が、臨也に触るのは許せない。だから、俺はひたすら働くしかない。
もう一つ、わかっていること――ただ、愛してる。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ、ただ、愛してる。



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