カフェ・ヴァルハラへようこそ | ナノ

婚活静雄さんとカフェオーナー臨也(ギャルソンエプロン着用)






予報外れの雨に打たれながら、待ち人の来ない公園の片隅でがっくりとうなだれることしかできなかった。これで一体何度目だろうかと、指折り数えながら木の下へと避難する。どんよりと重く垂れ込める雨雲は、まるで自分の心のようだと思った。
思えば、物心ついてからというもの、異性とはとんと縁がない。子供のころからコンプレックスでしかなかったおかしなこの体質に輪をかけて、不愛想で口下手なのが災いしているのだろうか。隠しきれない溜息を吐きながら、静雄は公園を出ることにした。
包み隠さず言うならば、静雄はデートの約束を反故にされたのである。悲しいことに初めての経験ではない。連絡の一つも寄越さずにすっぽかすとは、と憤るわけでもなく、ただただ虚しい気持ちになるばかりだ。
けれどそれも仕方のないことだろうと静雄は思う。なにせ自分ときたら長身で金髪で借金の取り立てなんかを生業にしているのだから。己の仕事を貶めるつもりはないし、自分なりの誇りを持って働いてはいるが、一般女性からしてみれば直接お断り申し上げにくい存在であろうことはなんとなく自覚済みだった。
こうして待ち合わせ場所に女性が来ない度に、静雄はもうこういう思いを味わうのは嫌だなあと思うのだが、後輩思いで世話好きの上司の好意を無碍にもできずに何度も何度も女性を紹介してもらっては傷ついて、また紹介してもらって、の繰り返し。溜息の重さは、静雄が傷ついた回数に比例する。
静雄とて、決して恋愛に興味がないわけではない。むしろ無条件に自分を受け入れてくれる存在に心惹かれてやまないくらいだ。家族以外にそういう存在がいたら、少しは自分を認められるかもしれないと思う。だからこそ、静雄はもう嫌だと思う気持ちと、次こそは、と思う気持ちの間でいつも板挟みになる。そして、何度も何度も傷ついては、その傷を癒してくれる心のより所を探し続けているのだ。
そこまで考えて、静雄は鼻がむずがゆくなった。ひょっとしたら、今まで静雄を袖にしてきた女性たちにはそんな気持ちを見透かされていたのではないだろうか。ともすれば、包み込んでくれるなら誰でもいいのだと言っているように思われても仕方のない浅ましい考えを。
じゃあやっぱり自分が悪いなと静雄はとぼとぼと歩きながら思った。それなら、もう仕方のないことなのだと割り切るしかない。悲しくないわけではないが、他にどうしようもないから、やっぱりどうにも仕方がない。
とはいえ、人より少しばかり脆くできている静雄の心は、いつでも傷ついて涙を流していた。今、静雄の少し傷んだ金髪を容赦なく濡らす雨のように。

止まない雨はないと言うけれど、自分の上に降り注ぐこの雨はもう二度と止まないのではないだろうか。そんな感傷的な考えに浸りながら、静雄は家路についていた。ついていたのだが、家が近づくにつれ足取りは確実に重くなっている。
思ったより濡れてしまったこの姿を兄思いな弟に見せるのは忍びなく、かといって上司に助けを求めるなどもっての他だった。どこかで雨宿りがてら時間を潰そうか、そんなことを考えていたときだった。
「……?」
まるでおとぎ話にでてきそうな古ぼけた階段の上から、鼻をくすぐる甘い香りが届いてくる。雨にかき消されてこの濃さなら、晴れた日はどれだけ腹を刺激する匂いが漂うのだろうかと静雄は少女のように心を踊らせた。もともと甘いものが好きなこともあるが、平和島静雄はたったそれだけで少し気持ちが上向いてしまうような男だった。
この雨を避けるため、そう自分に言い訳をしながら、静雄はその香りに誘われるように階段に靴底を押しつけた。ギシ、と木が泣く音がする。決して緩やかとはいえないその階段を上っていくと、香りはますます甘く、濃くなっていった。やがて目の前に表れた重厚な造りのドアを何の迷いもなく押すと、カランという軽やかな音が鼓膜を打った。
「いらっしゃいませ」
ドアに取りつけられた鳴りものよりもずっと軽やかな声が、静雄の胸を叩く。カウンターの向こうにいる若い男の声だろうか、ひどく澄んでいた。まるで、青空が語りかけてきたのかと思わせるくらいに。
男は何も言わずに立ったままでいる静雄に、不思議そうな目を向けてきた。けれど、ぐっしょりと濡れた静雄の髪やシャツに気づいたのか、困ったように眉を寄せる。なんとなく面映ゆくなって視線を逸らすと、またも軽やかな声が静雄の鼓膜に届いた。
「……随分濡れているね、ちょっと待ってて」
それだけ言うと、男は店の奥に引っ込んでしまった。それになぜかホッとしながら、静雄はきょろきょろと店内を見回す。どっしりとした印象を受けるテーブルと椅子がランダムな配置で並べられており、静雄はそのうちの一番奥にある一番小さなテーブルを選んで腰かけた。店主の趣味だろうか、初めて聞くスローテンポのBGMは、音楽はさっぱりな静雄でも心地よいと感じる。多分ここはよい店というやつなのだろう、なんとなくそう思った。
「お待たせー」
三度、声が静雄の胸を打つ。顔を上げると、さっきの男が笑顔を浮かべて静雄に向かってきている。人差し指に指輪がはめられている手にあるのはよく見なくてもタオルだったので、静雄は何とも申し訳ない気持ちになった。
「はい、どうぞ。風邪をひいてしまうよ」
思ったとおり、男は静雄にそのタオルを差し出してくる。小さく礼を言って受け取ると、男はますます笑みを深くした。そこで初めて、静雄はその男が随分と整った顔立ちをしていることに気がついた。体躯もすらっとしており、腰紐によってぐるぐると巻き止められているギャルソンエプロンがその細さをより強調している。タオルで水滴を拭き取りながらそんなことを思っていると、ふと男と目が合った。
不思議な色をしている、それが一番強く思ったことだ。差し込む光の角度によっては赤く見えそうにも思えるその瞳の色を、静雄は素直に綺麗だと思った。まじまじと見ている自覚はなかった。男が苦笑しながら、穴が開いてしまいそうだと嘯くまで。
「メニューをどうぞ」
そう言って、男が静雄にメニューを渡す。開いて、字を追って、静雄は頭を抱えたくなった。そこに書かれている意味が、さっぱりわからなかったからだ。なんたらティーという単語のおかげで、ああ紅茶なのかということはわかったが、ただそれだけだった。
うんうん唸る静雄を、男がおもしろそうに見つめる。そして何かに気づいたようにドアの方を見てから、おもむろに口を開いて静雄に声をかけてきた。
「ゆっくり選んでくれたらいいよ。俺は看板をしまってくるから」
「え……閉店の時間だったんすか?」
慌ててメニューから顔を上げて問いかけると、男は首を横に振る。意味がわからず首を傾げた静雄に言い聞かせるように、男は殊更優しい声を出した。
「ずぶ濡れで泣きそうな顔してるとこなんか、あんまり見られたくないだろ?」
そう言い残し、男はドアを開いて出ていった。あんな細い体でも、やはり踏まれた木はギシギシと泣くのだろうか。どうでもいいことをぼんやりと考えながら、静雄は忘れていたはずの溜め息を吐き直した。
「……泣きそうな顔してんのか?俺」
呟きは、音楽にまぎれてどこかへ消えてしまった。

看板をしまって戻ってきた男にタオルを返してからも、静雄はまだうんうん唸っていた。なにせさっぱりわからないのだ。紅茶にこんなに種類があるなど、静雄にとっては寝耳に水だ。熱いか冷たいか、ミルクかレモンか、その程度の違いしか静雄にはわからない。
辛抱強いのかなんなのか、先ほどからただただ静雄の注文を待ち続ける男は、やっぱりどこか楽しそうに静雄の様子を眺めている。静雄と同い年くらいなのだろうか、ひどく子供っぽくも見えるし、妙に落ち着いた印象も受ける。一言で言えば、不思議な男だった。
向けられる視線のせいで、静雄はどうにも落ち着かない。そして何度文字を追ってもよくわからない、むしろわかる気がしない。以上二つの事柄を勘案した結果、静雄は自分のとるべき行動を頭の中で弾き出した。どんなことでも知っている人に聞くのが一番である。
「あの、俺こういう店初めてで何頼めばいいかよくわかんねえんだけど……」
「だと思った」
そう言って、男はいたずらっぽく笑う。だったらもっと早くに助け船を出してほしかったと静雄は思ったが、指輪をはめた細い指がメニューの文字をなぞるように動いたのでそちらに意識が向いてしまった。
「こっちが定番で、こっちが季節のフレーバー。アイスとホットどちらになさいますか?」
「あー……じゃ、あったかいやつ」
「それじゃあこの辺がいいかな。どういうのが好み?渋め?」
「渋め?いや、紅茶はミルク入った甘いやつしか飲んだことねえからよくわかんねえ」
男の目が丸くなった。なにかおかしなことを言っただろうかと静雄は少し不安になってしまう。大の男が甘ったるいミルクティーしか飲んだことがなくて何が悪いのだと思っているわけではない。まして、可愛いだろうと狙ってやっているわけでもない。ただ単にそういう意識が静雄には欠如しているというだけの話だった。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。単純明快だ。
丸くなっていた男の目がしゅるしゅると萎んでいく。そして、今度はすうっと細くなった。三日月の形につりあがったくちびるから、音が零れていく。
「ミルクティーが好き?じゃあアッサムがいいと思うよ」
「なら、それにする」
「はーい。一緒にスコーンはいかがですか?」
「それ美味いのか?」
「そんじょそこらじゃ味わえないくらい美味しいよ」
「いる」
静雄の即答に笑いながら、男は伝票にサラサラとペンを走らせた。少々お待ち下さい、そう言って奥に引っ込んでいく細い後ろ姿をなんとなく見送ってから、窓に目を向ける。小さな窓から見える外の世界には、相変わらずしとしとと雨が振り続けていた。


「お待たせしました」
その声に、ぼんやりと窓の外に旅立っていた静雄の意識が戻ってくる。花模様が愛らしい白いティーカップと砂糖、そしてミルクがまずテーブルに置かれた。続いて、大きなティーポットがどっしりとテーブルに腰かける。男の細い指が、なにか小さな丸っこい形の器具を掴むのを、静雄はただ眺めていた。その丸っこい器具をカップの上に構え、持ち上げたティーポットを男が傾ける。途端に広がる香ばしい香りに、静雄は無意識に目を細めていた。白いカップに注がれていく紅茶は、とても綺麗な色をしている。男の目の色と少し似ているなと静雄は思った。
「ミルクと砂糖はお好みでどうぞ。スコーンもすぐ持ってくるから」
「うん」
静雄は砂糖の入った容器に手を伸ばし、スプーンですくって紅茶の中に落とした。同じようにミルクもたっぷり入れて、かき混ぜる。男の目に似ていた色は、すっかりやわらかなものへと変化してしまった。少し名残惜しいような気もしたが、そんな風に思ってしまった理由は静雄にはよくわからなかった。
宣言通り、すぐにスコーンが運ばれてくる。こちらも花模様が愛らしい皿に乗せられた二つのスコーンは狐色で、なんとも食欲をそそる匂いをふりまいている。ジャムと生クリームが乗った小さな皿が脇に置かれた。お好みでどうぞと言い残して、男はカウンターの奥に引っ込んでいった。
フォークを手にして、スコーンに突き刺してみる。そのまま小さく割りとって、生クリームを乗せて口に運んだ。優しい甘さが口いっぱいに広がって、しっとりとした食感が舌を喜ばせる。
「おお……美味い……」
唸るようにそう呟くと、くすくすと笑い声が聞こえてきた。独り言のつもりだったが、ばっちり聞こえていたらしい。静雄は何となく恥ずかしくなった。そんな恥ずかしい気持ちのまま、二口目のスコーンにはジャムをつけてみた。さっぱりとした甘酸っぱさが口に広がって、やっぱり美味しいと静雄は素直にそう思った。
失恋したばかりだろうがなんだろうが、お腹は減るし美味しいものは美味しいものだ。スコーンに夢中になっていた静雄だが、ふと喉の渇きを覚えて混ぜてたまま放置していた紅茶に手を伸ばした。細い持ち手をうっかりもぎ取ってしまわないように注意しながら、カップに口をつける。今までで一番強い香りが、ふわんと鼻に飛び込んできた。
「……あったけぇなあ……」
あたたかくてやわらかな味が口の中に広がって、なんとも幸せな気分になった。今までに飲んだことのあるどんなミルクティーよりもずっとこっくりしたまろやかさに、静雄は舌鼓をうつ。気づけば早々と一杯飲み干していた。
「気に入ってもらえたかな?」
カウンターに頬杖をつきながら、男がそう尋ねてきた。そんなつまらない仕草も、美しい顔立ちのせいか、妙に気取ってみえるから不思議だ。それが損なのか得なのか、静雄にはよくわからない。
問いかけに軽く頷いて、静雄はポットを掴んだ。そのままカップに注ごうとしたが、慌てた声で制止がかかる。カウンターをひらりと飛び越えた身軽さに目を見張る静雄などそっちのけで、男は足早にテーブルまでやってきて、さきほどの丸っこい器具を掴んだ。
「ちゃんとティーストレーナー使わないと」
そう言って、男がカップに紅茶を注いでくれた。また、ふわんといい香りが広がる。そのティーストレーナーというらしい器具の名前も、多分明日には忘れてしまうんだろうなと静雄は思った。それが、なんとなく寂しかった。その理由が、静雄にはやっぱりよくわからなかった。わからなかったけれど、いや、わからなかったからこそ、静雄は動かずにはいられなかった。
「……なあ、この店の名前教えてくんねえ?」
必死で頭を回転させてようやく選んだ言葉がそれだったが、自分にしては随分と上出来の話題ではないかと静雄は自画自賛した。男も特に不自然とは思わなかったらしく、軽く頷いてから店の名前を教えてくれた。
「ヴァルハラだよ」
「ヴァ……?」
「ヴァルハラ。天国みたいなもん」
「天国」
静雄はもちろん天国なんてところに行ったことはないし、深い知識があるわけでもない。ただ、とても幸せで綺麗なところなのだろうなと思っている。それなら、天国で紅茶を入れているこの綺麗な顔した男は天使というやつなのだろうか。そんな自分でも引くようなことを一瞬でも考えてしまったせいで、とても居たたまれない気持ちになる。
そんな静雄のお花が咲いたとしか思えないような思考回路など知る由もない男は、そっと窓の外に目を向ける。つられるように、静雄も目を外の世界に向けた。しとしと、ぴちょん、雨はやはりやむことを知らないのだと静雄は思った。そのせいで、また心にどんよりとした渦が広がっていく。
たった一人でいいのだ、誰よりも自分を知ってくれる人。愛して、許してくれる人。そんな存在を求めるのは、そんなにいけないことなのだろうか。大きな溜息を他人事のように聞きながら、静雄はカップに口をつけた。
「俺さあ、天国に行きたいんだ」
「……は?」
突然、男が口を開いた。そこから飛び出てきた、何かの電波を受信したのかと疑いたくなる呟きに、静雄は間抜けな声を上げてしまう。男は、ふふっと微笑んだ。男なのに、とても美しい笑顔だった。
「天国なら、きっと見つけられると思うんだ。俺が愛してるのと同じくらい、俺を愛してくれる人間たちを」
端々におかしいところが見受けられたが、それでも困ったことにその言葉は静雄の中にすとんと落ちてじんわりと広がっていった。まるで紅茶に落とされたミルクが混ざっていくように、男の言葉と静雄の体の境界線が曖昧になっていく。なんといえばいいのかわからない感情を持て余して、ひどくやきもきしながら、静雄は男を見つめた。
「ねえ」
男の形のいいくちびるが、甘ったるい声を紡ぐ。静雄は、黙ったまま男を見つめ続けた。
「一緒に天国に行かない?」
その言葉の意味を、静雄はまったく理解できなかった。けれど、気づいたときにはもう首を縦に振っていた。男の不思議な色をした瞳がきゅうっと細められる。それに誘われるように、静雄は男に手を伸ばしていた。やっぱり天使かもしれない、そんなことを思いながら。





扉を開いて、外の世界へと足を踏み出す。いつの間にか雨は止んでいた。先ほどまで熱に浮かされていた頭はどこまでもぼんやりとしていて、階段を踏み外さないように気をつけるので精一杯だった。
「ずぶ濡れになって泣きそうな顔してるのがね、独り占めしたくなるくらい可愛いなって思ったんだ」
キスの合間に、甘いくちびるがそう囁いていたのを思い出して顔が熱くなる。なるほど、やっぱりやまない雨なんていうものはないらしい。重苦しい気持ちなどどこかへやってしまった静雄は、羽のように軽くなった足取りで帰り道を急ぐ。
もう上司に女性を紹介してもらう必要も、約束を反故にされて傷つくこともなくなったのだと思うと、どうにも気持ちがそわそわとして仕方がない。恋愛に免疫がないというせいもあるが、平和島静雄は好きな人がいるというだけで世界を薔薇色に染めてしまえるような男だった。
「またおいで。ミルクティーにぴったりな紅茶をまた一つ教えてあげる……ついでに、俺の名前もね」
そう言って笑っていた綺麗な顔を思い出して、静雄はぶるりと背中を震わせる。浮足立ちながらぺろりと舐めたくちびるは、ほのかにミルクティーの味がした。


20111118

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