「俺でいいの?」 「あ?勘違いしてんじゃねーぞ、クソが」 そんな言葉とともにこちらに寄越されたてのひらに、自分の手を重ねた。引き寄せられて、抱きしめられて、頬にくちびるを落とされる。やわらかなその感触を、もう何年も愛しく思っている。 「手前でいいわけねーだろ……手前じゃなきゃ、よくねーんだよ。何にもよくねー」 ぎゅうぎゅう抱きしめながら、言葉遊びのような囁きを耳に吹き込んでくる男が、俺はこの世で一番嫌いだ。呼吸ができなくなるくらいに、彼しか見えなくなるから。世界に、彼しかいなくなるから。 「俺のやなとこ全部見てきたくせに、そんなこと言っちゃうんだ」 「ノミ蟲が害虫なのは当然だろ。俺以外にくっつくんじゃねえ、殺す」 「くっつかないよ」 笑ってそう言うと、彼の目がふとやわらかくなった。心を許した者にだけ見せるその視線――ほんとはそれだって欲しかった。俺に向けるあの殺意に塗れた視線だけでは我慢できなかった。ずっと、ずっとずっと、全部ほしかった。 「誰にもくっつかないから、君にくっついていい?」 「もっとか?」 「そう、もっと。もっとずっといっぱい」 「……ガキか」 溜息つきながら、それでも巻きつく腕の強さが変わっていく。ほんのわずかもいらなかった、隙間も空白も全部彼で塗りつぶしてほしくて仕方がないから、俺も抱きつく力を強くする。煙草と石鹸の香り、彼の匂い。包みこまれることのあたたかさを、俺は彼に教えられた。 世界でたった一人の彼だった。世界でたった一人の俺だった。出会いもその後も最悪で、たぶん、愛しいと思った回数よりも、本気で殺そうとした回数の方が多いだろう。こうして一寸の隙間も許したくないと抱き合っている今でも、それは変わらない。愛していると、そう思う気持ちは嘘ではないのだが。 「シズちゃん、ねえ、ドレスは何色にしようか?」 「……手前のか?」 「君のだけど?」 「はあ?」 心底気持ち悪そうにひそめた眉の間に人差し指を置いて、ちょんちょんとつつく。可愛い俺の恋人は、自分の魅力をわかっていなさすぎるのだ。 「君、似合うと思うんだよね」 「……そうかそうか、手前は今俺らが立ってるこの道を手前の鮮血で赤く染めたいわけだな?ヴァージンロードに先駆けたいわけだな?」 「やだなー思考が乱暴なんだからぁ……冗談じゃない」 背中に回していた腕を離して、彼の頬を撫でる。滑らかな肌を楽しむようにそうしていると、不意に彼が口を開いた。真剣な眼差しが、色のついたガラスを通り越してまっすぐに俺に向けられる。背筋がゾクゾクした。たとえようのない高揚感と支配欲、そして、ほのかな恋情で。 「臨也」 頬を撫でていた俺の手をとって、彼がてのひらにくちびるを押しつけた。ちゅっと吸われたそこに痕が残っているのかはわからないけど、残ってほしいと思う。彼によって何かを刻みつけられることを心地よく思うなんて、ほんとにどうかしてる。でも、もう戻れないから。 「手前の全部、俺に寄越せ。殺したくなるくらいうぜえとこも、ちょっとは面倒見てやる。だから俺の目の届かねえところでぴょんぴょん飛び跳ねるのはもうやめろ。殺したくなる」 それって顔を赤くして言うことだろうか。そして、顔を赤くして聞くことだろうか。まともじゃない彼のせいで、俺までまともじゃなくなってしまったらしい。だって、だって、こんな馬鹿みたいなプロポーズに泣きたくなるんだから。 「……俺でいいの?」 「殺すぞ」 「……俺が、いいの?」 「……ああ」 ようやくわかったかこのクソノミ蟲野郎――そう言う彼の顔が、ひどく大切なものを見るような色を帯びているから、だから、俺もひどく大切なものの名前を呼ぶような音を紡いだ。あふれだしそうなこの心、ほんの端っこでもいいから君に届けばいい。届いて、ほしい。 「じゃあ、君で我慢してあげるよ。シズちゃん」 「そうかよ。ありがとなあ、いーざやくん?」 そっと耳に寄せられるくちびるにキスしたい気持ちを我慢して、鼓膜の震えを待つ。吹き込まれる音が体中を巡りめぐり、そうして、心と呼ばれるらしい部分にそっと色をつけてくれることを願っていた。 「……そんな泣きそうな顔で言うんじゃねえよ、馬鹿が」 反論するより先に、くちびるに噛みつかれた。深く、浅く、また深く、じっとりと絡まる舌を噛みきってやりたくなる。宥めるような指の動きが嫌いだ、慰めるような舌の動きが嫌いだ。でも、ずっともっと優しくしていて。だってそれが証拠だろ?俺を愛してるっていう証拠だろ? 「っん、ねえ、」 「んー?」 「は、ぅ、ねえ、って、」 「……なんだよ」 「……君も、俺のものになれよ。俺だけの君にしたい」 キスの合間を狙ってそう言うと、一瞬だけ丸く目を見開かれた。すぐに細められたその瞳の意味を知っている。ああ、うれしいんだな。 「やるよ。いくらでもくれてやる。何がほしい?どうしてほしい?言えよ、全部やってやる」 そう言う顔があまりにもうれしそうで、包み隠さず言うなら、普通にときめいた。それが恥ずかしくて、わざとらしい挑発を舌に乗せてみる。 「ドレスも?」 「……茶化すな」 だめだな、失敗だったらしい。何がって?彼が真剣であることが死ぬほどうれしいってことを自覚してしまったことが、だ。 「……名前呼んで」 そう言うと、彼は素直に臨也と呼んでくれた。 「……キスして」 そう言うと、彼は優しくキスしてくれた。 「……傍に置いていて」 そう言うと、彼はぎゅっと強く抱きしめてくれた。 「一緒に暮らすか?」 「……俺が人ラブしてても怒らないなら、暮らしてやってもいいよ」 「安心しろよ。その倍以上、シズちゃんラブさせてやる」 「なにそれ、いやらしいんだ……」 首に手を回して、ちゅうっとキスをした。後頭部に回される大きな手、これは俺のだ。他の誰にもやらない。俺のためだけにある手だ。 「臨也、愛してる」 繰り返し降り注ぐ愛の言葉を受け止めながら、口を開いた。同じ言葉を同じ数だけ。彼からの愛の言葉を、もっともっととねだる心をおとなしくさせるために。 20111002 |