かくも愚かな恋の詩 | ナノ

・どこまでも報われない新←←←臨
・友人のお誕生日に書かせていただきました











咄嗟に思った言葉は、ついに音にはならずに喉の奥に貼りついたままだった。ぎり、と噛みしめた奥歯がじくじくと痛みを訴えている。(触るな。)
目の前の男は押し黙ったままの俺の肩を引き寄せて、それはそれは気づかわしげな視線を寄越す。とにかくそれが嫌でたまらなかった。
俺の望むものなんてなにひとつ与えてくれやしないくせに、そうやって優しさの欠片をちらつかせないでほしい。これ以上お前の存在を育てたくはないのに、どうしてお前はそうなんだ。どうして、そうやって俺の心に入りこもうとするんだよ。

やっとの思いで搾り出した声は思いのほか弱々しくて、自分でも情けなくなるくらいに震えていた。(触らないでくれ。)
それを彼はどう思ったのだろう。少しだけ驚いたように目を見開いていたし、虚を突かれた、というところだろうか。別になんでも構わないが、とにかく今は願いを叶えてほしかった。
突き放すように、というよりも突き放すために彼の腕を押し返す。けれど、その手を逆に握り締められてひどく狼狽した。触れたところから感情が伝わってしまいそうで、それがひどく恐ろしかった。
滅多に使わないくらいに冷たい声をあげて威嚇する。(触るなって、言ってるだろ。)それでも、手首を握り締める力は少しも緩まない。それどころか逆にどんどん強くなっていく。
痛みに顔を顰める俺に彼はごめんと謝ってくれたけれど、決してその手を離そうとはしなかった。俺は恐ろしくてたまらなかった。
もうほとんど泣きそうになりながら、俺は彼に訴える。(嫌だ新羅、やめてくれ。)
彼の前に出ると、虚勢を張る余裕すらない。だから、俺はいつも丸裸の自分を晒さねばならなかった。
嘘も偽りも、彼の前では言葉遊びにすらならない。彼の瞳はどこまでも深くてまっすぐで、奥の奥まで見透かされている気分になる。
けど、それも笑える話だ。彼が見ているものが俺などではないことなんて、嫌というほど思い知っているというのに。

静かな、けれどどこか怒りを孕んだ口調で彼は尋ねる。(嫌?なにが嫌なんだい。早く治療しないと傷が残る。)それにびくりと反応しながら、俺は彼から視線を背けた。
(臨也、黙ってちゃわからないよ。)彼は静かに怒っているようだった。それに焦りつつも、どこか冷静な俺がいる。
(言ったところで、新羅にはわかりっこないね。)冷ややかにそう告げると、一瞬で彼の瞳の色が変わった。怒らせた、と思う余裕があったのはほんの刹那で、気づけば固い床に背中を打ちつけた痛みに喘いでいた。
押し倒されたことに思い至ったのと、珍しく冷たい彼の瞳と視線がかち合ったのはほぼ同時だった。(……さすがに、怒るよ?)搾り出したような声音に、もう怒ってるじゃない、とは返せなかった。
嫌だ、という意思を表示するために俺は顔を背けて彼の胸を押し返した。まっすぐな瞳が、俺には恐ろしい。いつだって彼女にしか向けられないその視線を、自分のものにしたくて足掻いてしまいそうで。
(痛い、新羅。痛い。)そう訴えても、彼は動かなかった。ただ小さく謝罪の言葉を零しただけだった。(そうだね、痛いね。ごめんよ。でも、だめだ。)

(臨也、こっちを向いて。)俺の好きな優しい声で、俺の名前を呼ぶのはやめてほしい。そうするたびに、俺の心に傷をつけていることも知らないくせに。
俺がどれだけ、その優しい声を自分だけのものにしたいと願っているかなんて知らないくせに。なにも知らないくせに。知る必要もないくせに。
頭を振って拒否すると、彼はもう一度、今度はとても悲しそうな声で俺を呼ぶ。(臨也。お願いだよ。友人くらい救わせてくれ。)それにびくりと肩を震わせて、溜め息とともに顔を彼に向けた。
結局、俺が彼に本当に逆らうなんてことは到底無理なことなのだ。これが惚れた弱味というやつならば、俺も案外平凡な男だったらしい。
やわらかさが戻った瞳と視線がかち合うと、息が止まりそうになる。その度に、ああ俺は彼が好きなのだと嫌でも実感させられる。それが冗談抜きで嫌だった、いたたまれなかった。
だって、どれだけ想ってみたところで彼を独占するなんてありえないことだ。彼が見ているものはいつだってあの首のない妖精だけなのだから。
愛する彼女とそれ以外に大別された世界に住む奇特な男。そんな彼が俺は好きで、だからこそ、心の底から憎たらしかった。

彼は向きを戻した俺の顔を見て、優しく微笑んだ。その笑顔にもやっぱり胸が高鳴るけれど、同時に心のかさぶたが剥がれてしまいそうで思わず強くくちびるを噛んだ。(あ、)
それに目聡く気づいた彼は、人差し指でゆっくりと俺のくちびるをなぞった。(噛んだらいけない、血が出るよ。)触れられた所が熱くて、俺は本格的に息ができなくなりそうだった。
(触るな、触るな触るな触るな、よ。)そう叫びたいのに、声は喉のどこかに張りついたまま、言葉として口から出て行くことはなかった。
俺を心配そうに見つめる彼の視線が、煩わしくて愛おしい。これが俺だけのものだったなら。幾度そう思ったことだろう。
そろそろ諦めの境地に達してしまうくらいの長い時間、俺はずっとずっと彼が好きだった。彼のことが、とても好きなのだ。
同じ感情を彼に求めたところで、冗談と片付けられてしまうだけだとはわかっていた。こうして触れられることさえ最早苦痛でしかない。
だから、俺は必死に言葉を搾り出そうとするのだ。(新羅、嫌だ。俺に触るなよ。)

彼は何度かまばたきをして、そうしてやっぱり悲しそうな顔をしてみせる。(どうしてだい?どうしてそんなことを言うんだよ?)そんな顔をさせたのが俺だということに、おかしな優越感を抱く。
そして、それと同時にどうしようもなく殺したくなるのだ。(新羅、)小さく名前を呼ぶと、彼の瞳と俺の瞳がぶつかる。
あふれ出しそうな愛しさを、どうすればわかってくれるのだろう。(……触るな。)言いたかったのは、こんなことじゃなかったはずなのに。

ほんとうの気持ちも(好き、)気を引くための嘘も(嫌い、)とても言えやしない。お前だけが、俺を恋に溺れたただの馬鹿な男にする。


20110903