愛される | ナノ


「月島……っ」

空耳だと思った。いつか絵本で読み聞かせられた、おばけが迎えに来たのだと思った。けれど、怖くて動けない体をきつく抱きしめられたとき、見上げた先で赤みがかった瞳と視線がぶつかった。額に汗をかいていたし、息も少し乱れている。月島の知っている折原はいつだって冷静で大人で、笑った顔を崩しはしなかったのに。
「このっ……馬鹿!!」
ばちっと乾いた音が鳴って、頬がじわりと痛くなった。折原に叩かれたのだとわかったときには、月島はぼろぼろと涙を零していた。痛かった、でもそれだけじゃない。今まで優しく優しく、まるで大事なお客様のように月島に接していた折原に叩かれて、月島はほっとしたのだ。うまく言えないけれど、とにかくほっとしたのだ。
声を殺したまま、ぼろぼろと泣く月島を見て、折原はなんとも言えない顔をしていた。マフラーを握りしめたまま泣く月島を他人の目から隠すように抱きしめて、携帯電話に何かを打ち込んだ。そして一つ息を吐いて携帯電話をポケットにしまい、体を離して月島の頬を指で拭った。
「……ごめん、痛かったね」
「っ、ぉ、りは、ら、さ……っ」
「……無理を、させていたのかな……」
傷ついた顔で笑う折原に、月島はただ首を横に振るしかできなかった。折原から連絡を受けたのだろう、折原と同じように血相を変えた平和島が迎えにくるまで、ただ折原にだきしめられていた。
「……帰ろうね、月島くん」
こく、と首を縦に振った月島を見て、折原は安堵の溜め息をついていた。自分が折原を傷つけてしまったのだということを自覚し始めた月島は、小さな声でごめんなさいと謝った。それを聞いた折原が、きゅっと月島の手を握る。いつもは少しひんやりとしている手は汗をかいていて、月島は胸の奥がぎゅっと痛くなった。


折原の家に戻った月島は、折原に風呂に入れられたあと、折原に抱きしめられたままベッドに寝転がっていた。折原は寝てしまったらしい、月島は眠れなかった。コンコン、ドアを誰かが叩く。それが誰なのか、月島にはわかっていた。
「あ?なんだよ、ノミ蟲が先に寝ちまったのか?……ったく、こいつはほんとによお……」
呆れたようにそう言う平和島の顔を見ることができない。平和島は月島のそんな葛藤に気づいているのだろう、がしがし頭をかいた後で、二人が寝ているベッドに腰かけた。
「臨也に殴られたって?あいつよお、死にそうな顔してたんだよなあ……お前のこと、大事にしてっからさ」
さら、と折原の黒髪を指で弄びながら、平和島はそう言って笑った。そうじゃない、折原さんが俺を大事にしているのはあなたと似てるからだ――そう叫びたくなる気持ちをぐっと堪えて、月島は隣で眠る折原の顔を見つめた。綺麗だと思う、悲しくなるくらいに。
「まあよ、お前も思うところがいろいろあるんだろうけど、許してやってくれよ。こいつ、見た目よりずーっと憶病でめんどくせえやつだからよ」
「……おく……びょう?」
「あー……怖がりってこったな」
そう言って、平和島は折原を見つめた。大切な宝物を見ているような、優しい目だった。折原の髪を撫でていた指が、今度は月島の髪に触れる。ひっかきまわすように撫でられて、また胸がぎゅっと苦しくなった。
「嫌なことがあるんなら、ちゃんとこいつに言ってやれ。出ていくんじゃなくて、まず話をしてやってくれ。お前を引き取った日から、こいつずっと頑張ってたからよ」
「……俺なんか……平和島さんに似てるから、折原さんは俺を引き取ってくれただけだし……」
「まあ、きっかけはそうなんだけどよ……ああ、そうか……お前、ずっとそうやって我慢してたんだなあ……ごめんな」
平和島の手が、ことさら優しく月島の頭を撫でる。じわりと、乾いていたはずの涙がまたあふれてくるのを感じる。シーツでごしごし擦っていると、平和島が笑った。
「ちょっと難しいかもしんねえけど、俺の話聞いてくれるか?」
「……はい……」
「ありがとな……俺と臨也は……まあ、あれだ、恋人なんだけどよ……男同士じゃ子供はできねーってのはわかるよな?あいつ、それを結構気にしてるとこがあってよお……そりゃあ俺だってその辺はあいつの親とか妹には悪ぃなって思ってる。でも俺は臨也じゃないとだめだし、多分こいつもそうだから、しょうがねーことなんだよ。けどな、そんな臨也が見つけたのがお前だったんだ。引き取るっつったときは、そりゃあもう大喧嘩でよ……」
思い出したようにげんなりと眉を寄せた平和島を見て、月島は小さく笑った。そんな月島を見て、平和島も笑う。ぽん、ぽん、平和島が折原の背中をあやすように叩く音が静かな寝室に響いている。
「だってシズちゃんこんなの奇跡だよ、あの子のこと幸せにしたいんだーっつってよお……何様だっつー話だよなあ?お前が幸せかどうかなんて、お前が決めることなのになあ……無理させてたか?」
折原と同じことを聞かれて、月島は言葉に詰まった。無理をしていなかったと言えば、それは確実に嘘になる。けれど、すべてがすべて無理でできていたのかというと、それもまた違う気がした。
だって、自分を呼ぶ声はいつも優しくて、自分を撫でる手はいつもあたたかくて、そこに確かな幸せを感じていた。自分という存在そのものを見てもらえていないのだろうかと考えるだけで胸が張り裂けそうになったのは、折原と平和島が月島の中でとてつもなく大きな存在になっていたからなのだ。
「……俺らはな、月島と家族ごっこがしたいんじゃねえ。家族になりてえんだよ」
「俺も……俺も、なりたいです……折原さんと平和島さんの家族になりたいです……」
ずっとずっとここにいたい、一緒にいたい――そんな気持ちをこめて、ぎゅっと平和島の手を握りしめる。力加減をしながら握り返してくれた手は、とてもあたたかくて力強かった。
「ありがとよ。それさ、こいつが起きたら言ってやってくんねえ?死ぬほど喜ぶからよ」
「はい……」
「ん。じゃあ、もう寝ないとな。いい子は寝る時間だぞ」
「……はい……」
折原の背中を叩いていた手が、いつの間にか月島の腹を叩いていた。一定の間隔で叩かれるリズムと振動は、疲れきっていた体に優しい眠りをつれてくる。やがて、月島は眠りの淵へと落ちていった。

「……泣くなよ、ばーか」
「っぅ、るさい、泣いてねーっつーの!シズちゃんこそ目赤いけど?」
「ばっ、う、うるせーんだよっ」

そんな会話が繰り広げられていたことを、月島は知らない。





「どうしたの月島くん、ぼーっとしちゃって……どこか具合でも悪いのかい?」
心配そうな折原の声で、月島は回想を終了した。ふるふると首を横に振り、にっこりと笑ってみせる。いつだったか、折原が一番好きだと言ってくれた笑顔になっているだろうか。
「今日も幸せだなーって思ってました!」
ぱくっとホットケーキを食べながらそう言った月島に折原が飛びつくまで後三十秒、
見かねた平和島が折原の頭を叩くまで後四十五秒、
二人の喧嘩が始まるまで後五十秒、
月島が怒りだすまで後一分十三秒、


そして月日は流れ行き


月島が育ての親によく似た黒髪の青年に出会うまで後――、
月島がその青年と恋に落ちるまで後――、
絶対許しません!と激怒した折原が池袋で大暴れするまで後――、
呆れ返った平和島が折原を止めに入るまで後――、
月島と青年が幸せになるまで後――、


20110822

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