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ちっちゃい月島くんが静雄さんと臨也に育てられてる話








「月島くん、おはよう。朝だよ、起きようね」
月島の一日は、大体にして美しい声に名前を呼ばれることから始まる。もぞ、とベッドの中で捩る体を、優しく撫でてもらうのが好きだった。
「眠いかい? でもだーめ、起きようね。ホットケーキが冷めてしまうよ。俺、一生懸命つくったんだけどなあ……悲しいなあ……」
少し落ちた声の調子に、眠たかったはずの頭が一気に覚醒した。がばりと布団をはねのけるようにして起き上がると、にこりと微笑んでいる顔と目が合う。あ、またひっかかった、月島はそう思った。
「おはよう、月島くん。今日も最高に可愛いね」
放っておけば抱きしめて頬にキスでもしかねない勢いだ。月島はやんわりと距離を取り、ぺこりと頭を下げた。
「おはようございます、折原さん」
そう言ってから頭を上げると、とろけそうなくらい優しい視線に出迎えられた。目が覚めるくらいに美しい男――折原臨也は今日も月島に甘いらしい。
「ほんとに月島くんはいい子だなあ……さあ、朝食にしようね」
ただ挨拶をしただけなのに、まるで運動会で一等賞でもとったように誉め称えられるのがくすぐったくてむず痒い。けれど、そんな風に感じる気持ちと同じくらいにうれしいとも思う。差し出された手に自分の手を絡めて、月島はベッドを降りた。


「おう、起きたか。おはよう」
折原に誘われるままダイニングに入った月島に向かって、先に席についていた金髪の男が新聞からこちらへと視線を寄越した。その顔は、月島によく似ている。月島は見たことがないのだが、その男の幼い頃の顔は実に月島と瓜二つだったらしい。月島によくにた男――平和島静雄は、新聞を畳んで脇へと追いやった。
「おはようございます、平和島さん」
先ほど臨也にそうしたように、また頭を下げてそう挨拶をする。途端に、とんでもない浮遊感に襲われた。ふわりと鼻孔をくすぐる煙草の香りが、自らが置かれている状況を月島に教えてくれる。
「おーいい子だな」
膝の下に手を差し込まれ、月島は静雄に抱え上げられていた。サングラスに隠されていないやわらかな色の瞳を間近で見ることに慣れているのは、折原と月島くらいのものだろう。それでも慣れない照れくささにもじもじと身を捩ると、それを見咎めた折原が平和島に声をかけた。
「ちょっとシズちゃん、月島くん困ってるんだけど」
「あ?るっせーな、そんなことねえよなあ?」
「な、いです……けど、ホットケーキ食べたい」
月島のその言葉に、二人はぴたりと動きを止めた。そしてすぐさま月島を椅子の上に下ろし、テーブルにぐぐっと近づけてやる。目の前に置かれた皿の上には、少し不格好なホットケーキが乗っている。チョコソースで「LOVE」と書かれているそれは、紛れもなく折原の作だろう。
「自分がつくるって聞かねーんだよ。俺の方が上手いのになあ?」
隣に立ってこそこそっと耳打ちしてくるのは平和島だ。折原はあまり料理が上手ではなく、どちらかというと平和島の方がまだマシだった。なのでいつもは平和島に料理を催促する折原だったが、今日は何かあったのだろうか。首を傾げる月島の、平和島とは逆の隣に立った折原がじろりと平和島を睨みつける。
「うるさいなあ、こういうのは愛なんだよ。見ろよこのたっぷり詰まった愛をさあ!」
「LOVEって書いてるだけじゃねーかよ」
「なんだと!」
「やんのか?」
月島を挟んで睨み合う二人の様子に怯むこともなく、月島はナイフとフォークに手を伸ばした。こんな喧嘩は日常茶飯事で、月島はもう慣れっこなのだ。まだ湯気が出ているホットケーキにナイフを入れ、ぱくりと口に入れる。ふんわりと口の中に広がる甘さに、自然と笑みが零れた。
「あ、おいしいですこれ。平和島さんも折原さんも座って食べたらいいと思います」
そう言って二人を見ると、ぽかんとした表情が返ってくる。これもまた慣れたものだったので、月島はにこにこ笑ったままホットケーキを刺したフォークを二人に向けた。折原は腹を抱えて笑い、平和島はあーんと口を開ける。
「ああ、ほんとにさあ……君には敵わないんだよねえ」
「んー……ま、食えねえことはないな」
そんなことを言いながら、平和島がたまにしか食べられない折原の料理を密かに楽しみにしていることを月島は知っている。さらに言えば、折原の『敵わない』相手が自分だけではないことも。素直じゃない二人が、月島は素直に好きだった。
月島のことをいい子だいい子だと二人は言うけれど、それは二人が親代わりになって面倒を見てくれているからだということを、年の割に聡い月島は正しく理解している。けれど、そう思えるようになるまでには、小さな月島の中で大きな葛藤があったものだ。





月島には親がいない。顔も覚えていない。物心つく頃には、すでに施設で育てられていた。このまま生きていくのだろうと思っていた月島の前に現れたのが折原臨也で、あれよあれよという間に引き取られることになったのだ。そして、自分にそっくりらしい平和島静雄と引き合わされた。正直、何が何だかさっぱりだったのだ。
君との出逢いは奇跡なんだよ。出逢ったばかりの頃、折原は何度も何度も繰り返しそう言っていた。その意味が、月島にはよくわからなかった。わかっていたことはただ一つだけ。たぶん、自分はこの顔でなければ折原に引き取られはしなかった。ただそれだけだ。
子供というものは、周りの大人、特に親の感情にひどく敏感なものだ。生憎月島には親はいなかったが、他の人間よりは近い場所にいる折原の感情に敏感にならずにはいられなかったのだ。自分そのものではなく自分の一部のみを必要とされているのだという認識は、幼い月島の心に大きな傷をつけた。
折原に引き取られてから三ヶ月が過ぎたある日曜日、月島は折原の家を飛び出した。誰もいない家を空っぽにするのはとても気が引けたけれど、そこにいるのはもう苦しくてたまらなかったのだ。折原は月島に優しいし、平和島も月島に優しい。けれど、だからこそ、不安で不安で元いた場所に帰りたくてたまらなかったのだ。
とはいえ、月島が育った施設は子供の記憶と足で容易に辿りつける場所ではなかった。明るかった太陽が赤く沈み、やがて辺りが闇に包まれだした頃、月島は折原の家にいるときとはまた違った不安と恐怖で動けなくなった。どうしたいいかわからなくて、折原にもらったマフラーをぎゅうっと握りしめる。泣くのを必死に我慢していると、ひく、と喉が焼けるように痛くなった。

怖い、怖い、帰りたい――優しくて綺麗な声で俺を呼んでくれるあの人のところに――



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