北風が身に沁みる季節だ。ファーで守るように首を引っ込め、風で袷が開かないようにぴっちりと封をする。トレードマークともいうべきファーコートで鉄壁の守りを実現しながら、折原臨也は真冬の池袋を踏みしめていた。
そろそろクリスマスも近づこうかというこの時期は、人も街もみなそわそわと浮き足立っているようにしか見えない。人間を愛していると言って憚らない新宿の情報屋にとっても、まさしく浮き足立つ季節であった。
我知らず鼻歌を歌いながら首を振り振り歩く美しい青年を、道行く女性たちの多くが振り返る。偶然視線が合おうものなら、優しい微笑みが返ってくる始末だ。ぼっと染まる頬は、トナカイの鼻を思わせる。

――可愛いものだね

嘲笑と紙一重な微笑を湛えながら、臨也はコートのポケットに手を突っ込んだ。確かにそこにある変わらない感触に吐いた息は、白く染まって宙に消えていく。その行方をぼんやりと見守っていた臨也の視界の端に、ふと金色が入り込んだ。それは災厄の象徴だ。少なくとも、臨也にとっては。
「おっと」
溜息をつくより早く飛んできた自販機を避け、やれやれと肩を竦める。池袋は広い。なのに、なぜこうも毎度毎度毎度毎度鉢合わせするのかまったくもって理解に苦しむというものだ。だが、臨也は知らない。理解に苦しんでいるのが自分一人だけだということを。
「いぃーざぁぁーやぁぁあーくぅうううん!」
自販機がどこかのビルにぶつかる轟音に紛れて聞こえてきた自分の声に眉根を寄せ、臨也は今度こそ深く溜息をついた。ポケットに入れた手はそのままで、視線だけで化物を射抜く。化物は、その名を平和島静雄という。
「ごきげんよう、シズちゃん」
「ごきげんよろしくねーよ、ノミ蟲くんよおー!池袋にくんなっつってんだろうが!」
「なんで君の言うこと聞かなきゃいけないのかな?」
「悪い虫がついたらどうすんだ!俺が新宿行ってやっから大人しく家で跳ねてろ!」
「え?待って、なんか今おかしくなかった?」
「くそうぜえ」
イライラしたようにガシガシと頭をかく静雄は、まあいつもどおりだ。だがしかし、先ほどの発言は妙ではなかっただろうか。高いスペックを誇るはずの臨也の脳が処理することを拒否する程度には。
「君さあ、俺のこと嫌いなんだよね?」
「あ?嫌いに決まってんだろうが。虫酸が走るんだよ、俺以外にまとわりついてる手前なんざ特に大嫌いだ」
「う、ん?うん?なんかやっぱり変な気がしたね?」
「うるせえ黙れ帰れ死ね殺す」
「あ、今度はいつも通りだ、よかった」
ほっと胸を撫で下ろす間にも、びゅんびゅんと飛んでくる凶器たち。当てる気があるのかよくわからない軌道を描く飛来物を避けるのは造作もないが、静雄の血走った視線だけは上手くかわせない。なんなのだ、一体。
「こっち見ないでよ、っと」
「ぴょんぴょんぴょんぴょんうぜえんだよ!」
「君が投げてくるからじゃないか」
「百歩譲って避けるのは勘弁してやるけどよー手前そりゃどういうことだ?ああ!?」
静雄は、引っこ抜いた標識を教鞭のようにして臨也を指した。人に指差しちゃいけませんって習わなかったのかなあ、と臨也は思う。化物の幼稚園では教えないものなのだろうか、などと、静雄が聞いたら一瞬で沸騰しそうなことが頭を過った。
「それって?」
「そのコートだよ!」
「……?」
そう言って、静雄はひどく恨めしそうな視線を臨也のコートに向けた。臨也はさっぱりわけがわからず、一瞬すべての動きを止めて考え込む。そして、なにかを思いついたようにぽんと手を叩いた。
「……ああ!すごい、よくわかったね!そうなんだよ丈を5mm短くしたんだよね。すごいねシズちゃんストーカー乙」
「はあ?知るかそんなもん。俺が言ってんのはボタンだボタン」
「ボタン……え、かけ違ってる?」
慌てて視線を下ろした臨也の視界には、ぴったり正しくはめられたボタンたちがいる。ほっとしながら文句を言おうと開いた口は、けれどそのまま綺麗に固まった。何故か?
「……手前、やっぱりか」
平和島静雄がコートの裾を掴み、ぴらりと捲り上げたからである。ちょうど、小学生男子が女子のスカートを捲るように。
「なっ、な、なに、なにして」
スカートを捲られた少女の気持ちを、まさかこの年になって味わう羽目になるとは思ってもいなかった臨也なので、若干のパニックに襲われるのはある意味仕方のないことだった。まして、その相手は殺すべき天敵、平和島静雄である。うまく回らない舌で非難しようした臨也を、静雄は尚一層強く睨みつけた。
「手前……着込みすぎだろうが、コラ」
「はあ?冬に服着て何が悪いって?も、いいから離せよ!」
「よくねえ!いいか?冬のチラ見せほどたまんねえもんはねえんだよ!」
「君は公衆の面前で何を言い出すのかな……あと、冒険すぎるキャラ路線変更はやめようね?」
臨也は固まっていた手を動かして、掴まれていたコートを奪い返した。が、その途端にまたしても静雄がコートに手を伸ばしてくる。もう奪われてなるものかと、臨也は応戦しつつじりじりと静雄から距離をとった。
「やめろ、変態。とうとう脳神経までぶちギレたか」
「うるせえ、うまそうな匂いぷんぷんさせといて完全防備ってどういうことだ?あ?」
「やめてくれ、その目マジで気持ち悪い!」
ぞわっと背筋を走る寒気に、思わず臨也は両手で体を抱き締めた。それを見た静雄が、にやりと危ない笑みを浮かべる。自分の迂闊さに臨也が気づいたときには、すでにコートの裾は静雄の手の中だった。今度は両手で掴まれているため、逃げられそうもない。臨也の背筋を、寒気にプラスアルファして冷や汗が伝った。
「いーざや?捕まえたぜ?」
「ま、待て……話せばわかる」
「わかった、わかった。問答無用だ」
「ぎゃっ!」
静雄が、コートを掴んだ両手を容赦なく左右に広げた。そうなると、もちろんコートは左右に引っ張られることになる。ましてや引っ張っているのは、池袋のフォルテッシモ――憐れ情報屋の決して安くはないコートのボタンは無惨に弾け飛んだ。
「何するんだ!死ね化物!」
「死なねえしうるせえ。ちっ、まだ多いな」
「や、ちょっ、と!」
静雄の不躾な手は止まることを知らない。臨也が逃げないように腰に手を巻きつけ、するすると黒のインナーを辿る指が鬱陶しい。捩る体を押さえつけられたまま、ズボンの裾からインナーを引きずり出された。屈辱に染まる臨也の頬を、静雄の視線がじとりと舐める。
「……まだ着てるじゃねえか」
静雄は忌々しげに舌打ちをして、臨也のインナーの下にある布をなぞった。寒い冬もこれを着ればあたたかい!働く人の強い味方!というキャッチコピーに惹かれて大量購入したことを、まさかこんな形で悔やむことになるなんて流石の臨也でも予想できなかった。
「う、るさい。寒いの嫌いなんだってば……」
「……ふーん」
「もう離せよ!人前でよくもこん、んっ、んーっ!!」
臨也の言葉を途中で奪った静雄は、ひたすらに舌を絡めて臨也の口内を蹂躙した。キスと呼ぶにはあまりに色気のないそれの合間に、静雄の手がいそいそと臨也の着衣の乱れを正していく。なに考えてんだ、こいつ。そう思いながら、臨也はふるりと睫毛を震わせた。静雄のくちびるが名残惜しげに離れてくれるまで。
「っは、ぅ、死ねよ、クソ野郎……!」
「そういや手前は夏でも袖が長かったなあ。寒がりだったんだな、悪かったよ……まあ、あれだ、俺があっためてやるよ」
「ああ言うと思った、言うと思ったよ!そういうベタな台詞やめてくれないかな!」
「よしわかった、可愛がってやるよ」
「ちょ、マジ勘弁、や、やだやだやだ!助けてドタチーン!!」
その叫びが、池袋の良心門田に届いたかはわからない。わからないが、池袋の某ホテルの一室で、さめざめと泣く情報屋の姿があったとかなかったとか。冬は、北風が運んでくる妙なものに注意をしたいものである。


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