六月六前提、月島+臨也 「そこの可愛いお兄さん、これをあげよう」 それは、雨宿りを終え、さあそろそろ予備校に向かおうとコンビニを出た瞬間のことでした。冒頭のセリフと一緒に差し出された色とりどりの花の塊よりも、その笑顔に俺は一瞬で目を奪われました。 「え?え?」 誰かと間違っているのだろうかと、きょろきょろと辺りを見回しても誰もいません。じゃあこれはやっぱり俺に言ってるんだろうかと思いつつ、顔以外に見覚えがないその人をただ見返すだけ。 そしたら、急にその人が腹を抱えて笑いだしました。不躾に見てた俺が言うのもなんですが、ちょっと失礼だと思います。 「……あの……」 「……失敬……俺が知ってる人と、顔以外まったく似てないもので」 「え」 なんと俺が思っているのと同じようなことを目の前の人も考えていたらしく、不思議なこともあるものだと思いました。けど、俺が今思い浮かべているあの人はこんな風に声を上げて笑うことがまずないので、こんな笑顔を見るのは新鮮です。ちらちらと視線を彷徨わせると意味ありげな含み笑いを返されてカッと頬が熱くなりました。 「どうしたの?」 「い、いえ……その、俺もあなたとそっくりな人を知っているので……」 「おや、それはそれは。偶然にしてはできすぎだね……で?君はその俺にそっくりな人のことが好きなのかな?」 「ぶっ」 酸素がおかしなところに入るくらいには、衝撃的な言葉でした。げほげほと咳き込む俺の背中を、花を持っていない方の手でさすってくれるこの人の顔はやっぱりあの人にそっくりで、心臓が無駄にばくばくと音を立てます。 気遣わしげだった視線に、ふとからかいの色が加わりました。くすくす笑うその声すら似ている気がしてしまいます。ああでも顔がそっくりということは顎あたりの骨格も似ているということでしょうから、声が似ていても不思議ではないかもしれません。綺麗なあの声に名前を呼ばれると、騒ぎ出したい気持ちになるのは何故なのか。深く考えなくても、答えは一つだけなのでしょう。 「……好きですよ、とても」 咳がおさまるのを待ってから口にした言葉に、不思議な色をした瞳が丸くなりました。聞いてきたのはあなたでしょうとムッとすると、彼はごめんごめんと首を振りました。 「いや、あんまり素直に認めるものだからね……ちょっと驚いちゃって。ほんとに顔以外似てないなあ……」 まじまじと俺を見つめる彼の表情に、少しばかり憂いの色が見えたのは俺の気のせいではないはずです。もしかしてこの人も、俺と顔以外似ていないらしい人に特別な感情を抱いているのかもしれません。出会ったばかりの俺にも、この人が素直にそんなことを認めるタイプではなさそうなことはわかります。顔が似ているせいなのか、思わず手を差し伸べたくなりました。 「……ペンステモンていうんだよ」 俺から視線を外した彼が、ふとそんな言葉を口にしました。俺から外れた視線はまっすぐに手の中にある花に注がれていて、ああその花の名前なのかとすぐにわかりました。ペンステモン、ちっともピンとこない馴染みのない名前です。でも、釣り鐘のようなふくらみが、とても可愛らしい花だと思いました。この人には、ちょっと似合わないくらいに。 「似合わないって思ってるでしょ?」 「えっ」 「顔に出てるよ。素直な子だね」 くすくす笑う度に揺れる体に合わせて、可憐なその花もゆうらゆら。思わず見惚れていると、最初声をかけられたときのようにずいっと差し出されました。 「あげるよ。君にもらってほしい」 「え、でも、」 「いいんだ、俺には似合わないって自分でもわかってるから」 「あの……じゃあ、なんで?」 おずおずと口を開くと、彼は意味深に微笑みます。その視線はもう花にも俺にも興味がないようで、ただ遠くを見ていました。そこにあるのは、彼が好きだという俺に似た人かもしれません。 「花言葉がね、いいなって。思っちゃったんだよねえ」 「花言葉、ですか」 「うん」 遠くにあった彼の視線が、俺の方に戻ってきました。憂えた瞳が綺麗で、色が違うのに目を離せなくなりました。 「あなたに見惚れています、だって。素敵だろう?」 悲しそうに笑うのはどうしてなのか。あの人と同じ顔がそんな風になるのは見ていられなくて、思わず手を握ってしまいました。少し体温の低い俺より小さな手が、びくりと反応しました。 「……どうしたの?そんな焦らなくてもあげるよ」 見当違いなことを言う彼に小さく笑みを向けてから、その花の塊から一輪だけ。抜き取ったペンステモンは、凛と咲き誇っていました。 「俺はこれだけでいいです。それは、あなたが持ってる方がいい」 「なんで?」 「だってあなた、ずっと見惚れてますから。ここにはいない誰かに」 そう言うと、彼は綺麗な目を丸く丸く見開きました。そして、花に顔を埋めて肩を震わせて笑い出しました。やっぱり失礼な人です。 「はははっ……妙に鋭いっていうか、気づかれたくないとこに気づいちゃうとこは似てるね。腹立つなあ」 「はあ、すみません」 「誉めてるのさ」 彼は花を一輪抜き取って、香りを確かめるように顔を寄せます。綺麗な絵のようなその光景を見るともなしに見つめて、そういえば名前すら聞いていなかったなと思い出しました。 「あの、名前を聞かせてくれませんか?俺は、」 「ストップ」 ずいっと花を俺の口に押しつけて、制止をかけた彼はこう言いました。 「もしもまた会えたなら、そのときに名乗り合おうよ。可愛いお兄さん。なんだか、君とはまた会える気がするんだ」 そう言った彼の顔が、歪んで―― 「月島!」 大きな声で呼ばれた自分の名前に、びくっと体が跳ねました。顔を上げると、そこは見慣れた予備校の学習室で、俺は自分の机に座っていました。きょろきょろ見回しても、あの人はどこにもいません。あの、憂い顔の綺麗な人はきっと夢の国の人だったのでしょう。 「おい、月島?聞いてるか?」 「は……いっ!?」 きょろきょろ動かしていた頭をぐぐっと固定させられたかと思うと、眼前に思い浮かべていた顔と瞳の色が違う顔が迫ってきて死ぬほど焦りました。こくこく頷いた俺に疑いまくりな視線を寄越しつつも、頭を解放してくれたその人。俺の予備校の先生で、俺の大好きな、大好きな人です。 「ったく……寝るんなら帰りな。もう暗いしさ」 「す、すみません」 「お前すぐ迷子になるから心配なんだよなあ……ん?なにそれ?」 「え?」 六臂先生の視線を辿ったその先にあったのは――一輪の花。 「ペンステモン?好きなの?可愛いよね」 「……っ」 そう言って笑うあなたの方が、ずっと綺麗で可愛い。あの人からもらったペンステモンを握って、俺は勇気を振り絞りました。 「六臂先生、俺、あなたが……」 雨の匂いがする度に思い出す、そんな不思議な、夢の話です。 110912 --- ペンステモン:あなたに見惚れています |