「シズちゃん、これあげる」
そう言って飛びついてきた臨也の髪からは、雨の匂いがした。それに混じって、嗅ぎ慣れない香りがする。
すん、と鼻を鳴らして臨也の首筋に顔を埋める。そしたら、くすぐったいよ馬鹿と笑われた。
「……臨也、チクチクしてうぜえから離せ」
背中に回している右手には、多分ナイフがあるのだろう。ざくざくと突き立てられたところで刺さらないからどうでもいいのだが、鬱陶しいことに変わりはない。
「チクチク……ね……わかった、次はハンティングナイフにするよ」
そう言って、臨也はくちびるを突き出してキスをしてきた。臨也の匂いと雨の匂い、それから、人工的なものではない少し甘い香り。
「ね、これをあげるよ、シズちゃん。花屋で買ってきたんだ」
臨也の左手から、カサカサと音がする。なんだ?と思って首を捻って背後を見ると、見慣れない青みがかった紫色の花が視界に飛び込んできた。
こいつに花とか、マジ似合わねえ。そんで、それ以上に、俺にはもっと似合わねえだろ。複雑だ。
「なんだい、その顔」
「……手前、花はねえだろ、花はよ……シェーキにしろよ」
「風情のふの字もないよね、君ってさあ」
臨也は馬鹿にしたようにそう笑ってから、俺から距離をとった。そして、胸に小さな花束を押しつけてくる。花が潰れちまいそうで、俺は思わず両手でそれを受け取っていた。
臨也の体温が離れていってしまったことを少し寂しく思ってしまったのが癪で、ずれてもいないサングラスをかけ直す。臨也はさらに笑った。ムカつく。
「その花の名前を知っているかい?」
臨也が、静かにそう聞いた。知るわけがない。俺が知ってる花なんざ、せいぜいバラとかタンポポとかチューリップだ。わかってて聞いてやがる。
イラッとして、潰れないように気づかったばかりの花束を持つ手に力を込めてしまった。それを察した臨也が、怖い怖いとおどけて手を叩く。
「竜胆だよ、その花」
「りんどう」
「そう、竜胆。可愛い花でしょ?」
小首を傾げてそう言った臨也の方が、などと頭の腐りきったことを考えかけたところで、一つ舌打ちをした。臨也が、こちらに指を伸ばしてくる。人差し指が、花をそっと撫でた。
「悲しむ君が好き。俺のために苦しんで、もっと不幸になってよ。そうしたら……そうしたら、きっと俺は、君のこと……きっと」
歌うようにそう呟いて、臨也はまた口角を上げた。いつもの殴りたくなるような嫌味ったらしい笑みではなく、かといって、たまに見せるガキのような無邪気な笑みでもない。
泣くのを我慢したせいで、たまたま笑ったように見えているだけのような、そんな顔だった。
「……誰が手前なんかのために不幸になってやるか」
「だめなの?」
「いいわけねーだろ」
臨也の手を掴み、両手に抱えていたりんどうとかいう花をそこに押しつけた。返品の意図を探ろうと上げた顔に近づいて、そのままキスをする。
音を立てて吸いついたくちびるはやわらかくて、舌をつっこんだ口の中はあたたかかった。殺したいくらいに嫌いなノミ蟲とのキスが嫌いじゃねえ理由を聞かれても困る。俺の方が聞きたいのだから。
「シズちゃん」
くちびるを離すと、名残を惜しむような声で臨也が俺を呼ぶ。臨也の手にある紫の花を一つちぎって、襟元から服の中に突っ込んでやった。ひ、と小さな悲鳴が上がる。
「つ、めた!」
「このクソノミ蟲が。悲しむ君が好きだあ?ふざけんな、馬鹿。手前こそ俺のために苦しんで、俺のために死ね」
花をちぎったせいで青臭くなった指を臨也の口につっこんだ。苦しそうにする顔に、欲情するのはいつものことだ。なんだってこんな人格破綻者に――でも理屈じゃねえんだからしょうがねえ。
「馬鹿言ってねえで、黙って俺に愛されてろ。不安なことがあるんなら言え。わかったのか、このアホ蟲が」
「……単細胞のくせに、なんでこんなときばっか……そういうとこが、嫌いなんだ。シズちゃんのくせに生意気だ」
悪態ついたところで、俺の言ったことは大体合ってたんだろう。ノミ蟲が両手を伸ばして抱きついてきた。ぐりぐりと押しつけられる小さな頭を撫でてやると、不意に花の香りが強くなった。
「おい、花潰れちまうぞ」
「いい」
「……コート汚れんぞ」
「いいってば」
「そうかよ」
「うん」
離れがたいのは、お互い様だった。こんな厄介なやつに惚れた自分を呪いつつ、それでもやっぱり可愛いもんは可愛いと開き直れるくらいには、俺は夢中なのだ。何かにかこつけなければ素直に甘えることもできない、面倒くさくて手のかかるこの男に。


110515

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竜胆:悲しむ君が好き

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