今日もまた車輪が進む音がする。ガラガラ、ガラガラと石灰が降りながら跡には真っ白な道が残される。草の上に降った石灰は雨が降ったら流されて消えてしまう、雨が降るまでの間積もった石灰はきっと下の草の呼吸を奪うのだ。光合成もできないだろう。下手すればそのうち枯れてしまうかもしれない。
 でも俺は、枯れるならそのまま枯れてしまえばいいと思う。ニノさんとの手探りの恋も、白線を描く人への憧れにも似た欲も全部抱えたまま、土に還るのだ。土になれば、またあの人は消えてしまった白線の上に、新たな石灰を降らせてくれるだろうから。


「シロさん」
「おや、リクくん! どうしたんだい?」
「いや、この白線どこから始まったのかな、って」
「うーん…いつもは家から始まるけどね」
「一番最初は、どこだったんですか?」
「忘れちゃったな、ずっと白線渡りしてると」

 俺が進む道はこの白い道で、外に出たら妻が白色コーニッシュになってしまうからねとシロさんは笑った。終わりなんてないさ、石灰がなくなるかこいつが切れるか、俺の命が消えるかするまでずっと白の上を歩くよ。
 軽やかに宣言したシロさんに、少し照れながら純粋な好奇心を装って、俺はささやかな誘いをかけてみた。

「ねえシロさん、俺もちょっとだけ白線の上を歩いていいですか」
「お、リクくんもついに目覚めてくれた? いいよ、歩いて!」
「俺、あっちに行ってみたいんですけど」
「あっち? 分かった、じゃあそっち行こうか」

 ほらリクくん、白線に乗って。はみ出ちゃダメだよ、平衡感覚を大事にして。そんなことを言いながら、シロさんはガラガラとコーニッシュを押していく。
 俺は投げ捨てた羞恥にいつもの奴らに会わないことを心から願いつつ、わざと指定した人気のない方にシロさんと進んでいく。風をゆっくりと切りながら、楽しそうにコーニッシュを押すシロさんの背中とか揺れる髪を見ながら俺は悶々とした思いに悩まされていた。空は清々しいほどの青空で、川の流れはいつものように穏やかだった。
 だんだんさっきの場所からは離れてきて、そろそろ休もうかとシロさんがいきなり振り返ったから思わずどきりとして、ええそうですねと早口で返事してしまった。そして計画通り後ろ足でざっと白線を途切れさせた。
 気づかずにシロさんは腰を下ろしたから俺は白線から出て、足で巧妙に途切れた白線を隠す。


「どうだった、リクくん? 意外と楽しかっただろ?」
「ああ、はい」
「良かったら君にもラインマーカーあげようか?」
「それは遠慮しときます」

 こんな遠くに来るのも久々だなあと呟きながら、シロさんはごろりと背を投げ出した。それから今日はよく晴れているなあと言った。
 横でその一連の動作を見ていた俺はたまったもんじゃない。何だその無防備な姿勢。襲われても文句は言えないであろう安らいだ表情に、俺は押し込めてきた何かにぴしい、とひびが入った音を確かに聞いた。

「……シロさん」
「わっ…と、リ、リクくん?」

 ぐっとシロさんの上に跨がって、両手を彼の頭の横につける。今彼が見ているのは青空なんかじゃなくて、いやに切羽詰まった表情の俺だけだ。戸惑いを隠せない彼に甘い痺れが背筋を駆け上がって、勢いで薄く開かれた唇にくちづけた。言葉よりも先に動作の方が脳から指令が出るから仕方ないと思う。ただ唇を離して、冷えた頭にまず去来したことは、やってしまったという後悔だけだった。

「……リクくん」
「………はい」
「どうしたの?」
「…さあ、」
「ニノちゃんが悲しむよ」
「……分かっています」
「ならなんで、」
「分かりません」

 きっぱりと言い放つと、彼は眉を下げて微笑した。しょうがないなとでも言いたげに、歳上の余裕とやらの中に色香(間違いなく無意識)を滲ませながら俺の頭を撫でる。俺みたいなおじさんにキスしたって楽しくないだろうと言いながら、俺の唇を指先でそっと拭った。
 ねえ、今のことは忘れるから帰ろうよと言う彼になぜだか苛ついて、首の付け根、服で誰にも見えないところにがりりと噛みついて歯形をつけた。声にならない本気を感じたらしい彼は俺の名前を弱々しく呼びながら起き上がろうとする、が長く途切れた白線に息を飲んで、愛車に伸ばされた手は掴んで拘束された。

「シロさん」
「……リク、くん」
「本当に分からないんです、あなたにそんな顔をさせたいんじゃないのに」

 いつもとは離れた場所で、彼が歩む道を遮断した上で無理に迫る俺は歪んでいる。優しい彼は強く俺を拒めない。空中や地中は歩けやしないから、前にも後ろにも進めない孤立した白線の中で、いっそ終わってしまえばいいんだ。救えないことにこれは計画的で、背徳的。
 俺は恋愛経験なんかちっともない、仮に人を好きになったとしても何をすればいいのか分からない。だからこんな、幼稚な愛情表現しかできない。


 このまま隔絶された小さな小さな場所で、彼と二人土になってしまいたかった。雨を待てずに枯れた草となるよりも、早く土になってしまえば地中でシロさんと何の憂慮もなく共にいられる。石灰を先に埋めておけば、彼の慰めにはなるだろうし、ひょっとしたら島崎が上に白線を引くかもしれない。光合成すらできない呼吸困難の草よりもそっちの方がはるかに楽だろう。
 シロさん、と俺は引き攣れた声で彼を呼んだ。彼は何も言わなかった。ただ穏やかに笑んだまま、ごめんね、と静かに唇が形を作っただけだった。





(その表情にさえぞくぞくしてしまう)




090430


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