「赤林さん」
「ん? 何ですかい、四木の旦那」
「手を」
「手?」

 杖を持っていない左手を差し出すより先に四木は赤林の手をとった。そ、といつになく優しい手つきに赤林は思わずびくりと身体を震わせる。今までの経験がこれは危険信号だと黄信号を灯した。なぜなら、こんなふうに四木が優しくするときは決まって直後に自分にとってよろしくないことが発生するからだ。押し倒しとか引き倒しとか足払いとか。とりあえずは引きつった笑みを何とか顔面に浮かべて、やんわりとその手を引きはがそうと試みる。

「ええ…っと、…旦那ァ、これぁどういうおつもりで?」
「いえ、何も。ただ握りたくなったのですよ」

 にこにこと何も知らない人が見たら、人好きのする笑顔で、四木はにこにこと手にぎゅううっと力を入れてくる。これは本気で危険だ。とりあえずはどうにかして逃げないと、まちがいなく犯される。冷や汗がたらりと背中を伝う。
 数々の修羅場をくぐりぬけてきた自信がある赤林だが、そんな彼が真っ先に怯えるものと言えば四木と雷である。粟楠の赤鬼と謳われる赤林の、残念な弱みである。雷のことはどうにかできても、四木だけはどうやっても本人に隠しきれない。むしろ付き合っている男なのでどうにもできない。嫌いではないのだ。好きなのだ。だが、ちょっと自分に仕掛けてくる内容がアレなだけで。

「旦那ァ、おいちゃん、今からちょっくら仕事に行かなきゃなんねぇんで、放していただいてもいいですかねぇ?」
「おや、あなたの今日のぶんの仕事は終わっていると先ほど風本から聞きましたが」
「風本……」

 余計なことを、と舌打ちする。舌打ちの音は案外響いて、間違いなく四木にも聞こえているはずだが彼の表情は変わらない。口角を吊り上げた笑みを深くしただけだ。ねぇ赤林さん、その舌打ちはいったいどういった意味でしょうかねぇとくつくつ笑いながら、ぎゅううっと握る手に力をこめなおす。いんや、なんでもないよぉと笑いながらさりげなく手を振りほどこうと試みるが、それは四木の手の力で圧されてそうすることができない。おいちゃんさぁ、野暮用があるんだけどさぁ、離してくれませんかねぇ、ねぇ、四木の旦那ァ?

「いえ、いいでしょう? 少し、構ってくれませんか」
「いやぁ、おいちゃんもねぇ、たまにはこう、用事ってもんがね」
「なぜそんなに避けるんです? 私、あなたに何かしましたっけ?」
「…ご自分の胸に手を当ててよーく考えてみちゃくれませんかねぇ」

 お互いに笑んだまま、ギリギリと手に力を入れあう。周りの空気が急速に冷え込んでいる気もする。が、そんなことは双方気にしない。赤林の方は食われまいと必死だ。性的な意味で。
 しばらく笑顔のまま睨みあうが、やがて四木はため息をつきながらそっと赤林から視線を外して、そっと目を伏せる。いきなり見せるしおらしい四木の様子におや、と思ってほんの少しだけ手に込める力を緩めた。

「……私だってね、たまには優しくしたいと思うのですよ」
「え?」
「何も、毎回毎回あなたを取って食おうとしているわけじゃないのです」
「…ほぉ」
「たまには、こうやってただ、単に優しくて、甘い空気に浸りたくなるのですよ」

 おわかり、いただけますか? と四木は穏やかに微笑んだ。普段見せない種類の笑みに、年甲斐もなくきゅんと胸が鳴る。つい絆されてしまいそうになる自分に、まぁいいかとあっさり自己完結して、そうですかと四木に返す。そりゃあいい、おいちゃんもたまにゃ優しくされてみたいってもんでと言って、四木の旦那もたまには甘やかしてやんないとですし、ねぇ? と緩められている手で指を伸ばして、そっと四木の手を撫でた。

「………子ども扱い、しないでください」
「おやおや、そういうつもりじゃなかったんですけどねぇ」
「あいにく私は子どもじゃありませんので。まだ分かっていらっしゃらなかったのですか?」
「え? え、ちょ、旦那、」
「もう一度お教えする必要がありそうですね。気が変わりました」

 どさり、と四木は赤林をその場に押し倒した。抗議を並べたてようとする赤林の口を指先を押し当てることで防ぎ、四木は不敵に笑った。…まぁ、今日ぐらいは優しく丁寧に抱いてさしあげますよ。



101012


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -