劉備殿に仕えるようになって、それなりに長い。
 あの方に受けた恩を返すために仕えていただけのはずが、なぜだか個人的に寵愛を受けるようになってしまった。恩が積み重なって、俺の一生で返しきれるかわからないくらいだ。蜀であの方を敬慕していない者はいないくらいで、俺みたいな悪党は異色であるにも関わらず、あの方は俺に構いたがる。諸葛亮殿や趙雲殿は俺のことを好ましく思っていないし、俺もやめていただきたいと折に触れ再三申し上げているのだが、やめようとなさらない。
 あの方も暇ではないはずなのだが、時折隙間時間に俺をこっそり訪ねるなど夜這いのようなことをなさる。供も殆ど連れずに俺の私邸に来たり、逆に俺が邸にお邪魔することも在る。向こうから俺を訪ねることで、俺が断れないのを分かっているからだ。俺の仕事が本当に忙しいときは訪ねてこないので、俺はほぼ毎回、あの方とふたりきりの時間を堪能することになっている。

「……あなたも、飽きませんねえ」
「ん?」
「俺みたいなのなんて、構ってもつまらないでしょうに」
「そんなことはないぞ? そなたは飽きない」
「俺としては、とっとと飽きていただきたいんですがねぇ……」

 情事が終わって、寝台の上。向き合って抱き合うような体勢、小首を上げれば劉備殿の口唇に触れてしまいそうだ。気怠い空気の中、殿は俺の肌を指先で柔く撫ぜる。滴った汗が殿の指に付着する。殿の肌に伝う汗も拭いたいところだが、殿の腕は俺の腰に回されており、必要な物に手が届かない。頼んでもどけてくださらないだろうから、俺は諦めて殿の愛撫を受ける。
 孝直、と低い声で呼ばれる。殿、と応う声が、ひどく甘ったるい。どうしたんです、と掠れた声が漏れた。

 愛おしいのだと、殿が言う。孝直のことが愛おしいのだと、睦言を囁く。そんなに多くの愛情じみたものを俺に与えても、俺があなたに返せるものは、策とこの身以外に何もないというのに。

「私の法孝直」

 ひどい睦言だ、と頭の隅、冷えた脳髄が朧に思考する。あなたがそういう言葉を掛けるのは、俺だけじゃないでしょうに。あなたは別け隔てなく平等なお方だから。
 あなたの言葉がたとえ本気だとしても、場所が違えばあなたは俺じゃない相手にも同じようなことを言うのだろう。「私の諸葛孔明」、「私の趙雲子龍」、どれもあなたは口にするだろう。それはごく自然なことで、俺はあなたの持つ多くの所有物のひとつにすぎない。
 けれど、閨でならば、俺はその言葉を安んじて受け入れる。最中にはあまり意識できないが、その前後は俺にも余裕はある。情事のたび告げられるその言葉は、素直に心地良いものだ。俺はあなたのものですよ、劉備殿。あなたに恩を返すためのこの身、あなたのもの以外の何物でもない。

「孝直」
「はい」
「そなたはどうなのだ」
「と、言いますと」
「とぼけるな。お前の本心を聞きたいのだ」
「何度も言ったでしょう、俺はあなたに恩を返すためにいるんですよ」
「そうではない。……それにそなた、それだけではないだろう」
「……」
「私に聞かせて欲しい。そなたの本心を、言葉で」

 劉備殿がじっと、俺を見据えてくる。俺が言うまで離さないという顔だ。腰にかかる力が強くなる。俺の肌を滑っていた手は、いつしか俺の手に重ねられていた。熱い。
 りゅうびどの、と弱々しい声が漏れた。内心舌打ちをする。促すように、手が握り込まれた。

「――勿論、好いておりますよ」
「本当か」
「俺があなたに嘘を言うとでも?」
「本当か」
「好いていなければ、いくら報恩でもこんなに股は開きませんよ。俺がお誘いした夜もあったでしょう」
「そうだな。……すまない、つまらないことを聞いたな」
「本当、つまらないことですよ」

 戯れに、空いている手を軽く閉じる。そして、殿に握り込まれた掌にそっと押し当てた。殿の爪先が拳に当たった。徐ろに成された拱手に、劉備殿が目を瞬かせた。
 俺は努めて穏やかに、口角を上げて笑みを作った。本心を露わにするのは、どうも慣れない。が、この人の求めることだ。偶には、俺からもこうして返すべきだろう。これも報恩の一種だ。

「あなたの側以外の何処で、俺が暮らせましょうか」

 あなたぐらいですよ、こんな悪党にここまで構うなんて。俺はこれでも、あなたと共に在ることで満たされているのです。
 あなただけに仕えるのが、俺の隠した生き様なのですから、とは言わないでおいた。無駄な言葉だ。
 暫し間を置いて、劉備殿の頬にさあっと赤みが差す。あなたが照れてどうするんです。俺まで恥ずかしくなるじゃないですか、勘弁してくださいよ。

「……そなたでも、そのような殺し文句を言うのだな……」
「満足していただけました?」
「ああ、私の予想以上だ……」

 狼狽する劉備殿が愉快で、喉奥にくつくつと笑みが洩れる。さっきまでもっとすごいことしてたじゃないですかと揶揄うと、むっと口を尖らせた劉備殿が俺の両手をがっしと掴んだ。
 痛いですよと文句をつけようとしたが、劉備殿が俺の拳を引いて顔を埋め、間に鼻筋を擦りつけてきたので言葉を飲んでしまった。気の利いた言葉を思いつかずにいると、劉備殿が呟いた。

「私だけの、法孝直」

 ……俺の内心は如何に揺さぶられたことだろうか。この心情は、喜悦だ。報恩に殉じてきたはずが、俺が報われてしまった動揺を上回る、込み上げるような悦びが、骨髄に入る。
 今度は俺が照れてしまう。顔が紅潮するのを自覚する。この人は、これだから。人間臭い聖人君子のくせして、あなたのほうがよっぽどの殺し文句を口にする。
 りゅうびどの、とまた掠れた声が出てしまう。あなたという人は、本当に。俺の居場所は蜀に、ここにしかないのだと実感する。俺がたったひとり、心から愛するお方。閨でのこの瞬間だけ、あなたは俺だけのものだと稚拙な独占欲が自惚れる。

「どうした、孝直」
「いえね、一寸見惚れていただけですよ。いい男ぶりだなあと思いまして」
「そうか」
「――殿、お喋りもいいんですが口を吸ってはもらえませんか。また欲情してしまったようで、俺が」
「いいのか?」
「俺がお誘いしているんです。ああ、このご恩も必ず返しますので」
「よい。そなたの強請る様は常より愛らしいのでな」

 上機嫌な顔で殿が接吻をしてくる。俺は殿の口唇を受けながら歯列を開いた。ぬるりとした厚い舌が、俺の咥内を這い始めた。


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