・教師×学生パロ
・気持ち中学生



 せんせい、と震える声でおれはその人を呼んだ。その人は何も言わず、ただ眉を下げて微笑んだだけだった。
 しとしとと雨が降っていて、たわんだ安っぽいビニール傘に弾かれて粒が落ちていく。ぽたぽたとしたたるしずくのように、おれも落涙したかったけれど、それはぐっとこらえる。むしむしした、湿度も気温も高い、生暖かい昼、太陽も見えない薄暗い日中に、おれは傘の柄を握りしめた。つん、と鼻の奥が熱くなるのが、ひりりと痛かった。

「名取、先生」
「……ごめんね」
「いえ、」

 先生が、いつもの柔和な笑みを崩している。そのくせ声音は、いつもと同じように優しいのだ。その表情が物語る同情と憐憫に、おれはぎりぎりと胸が締め付けられるようだった。

 ……名取、周一。先生。それが、おれが慕い続けているひとの、名だ。
 名取先生は、今年、おれが通っている学校に教師として赴任してきた。去年大学を出て、今年教師になったばかりだという。若くて、端正な甘い顔立ちに、穏やかな声。芸能人ばりのうさんくさいほどきらめくオーラ。女子が黄色い声を上げないわけがなかった。
 おれのクラスの副担任となった名取先生は国語担当、それも古典を教える人だった。おれは古典と言う科目が好きでも嫌いでもなかったけど成績が伸び悩んでて、それもあって名取先生のいる職員室に何度か質問しにいった。わからないことがなくても、わざとわからないところを作ったり、クラスの雑用ついでで何回か職員室に行った。ほかの女子生徒に羨ましがられるくらい、おかげで成績は伸びて、名取先生に気に入られたようだった。

「私はこれでも教師の端くれだから、教え子と関係を持つわけにはいかないんだよ」
「……はい」
「わかって、くれるかい」
「……わかって、います」

 いつどこでなんで芽生えたものか、おれにはわからない。ただ、気が付いたら、引き込まれるように恋をしていた。まるで直射日光を虫眼鏡に通すように、先生のきらめきが眼鏡を通して熱が集まってるみたいに、おれはひそやかに胸を焦がした。焦がした煙を抑え込んで、おれは先生をただ純粋に慕い続けていたはず、だった。名取先生にきゃあきゃあと言う女子たちに、優越感を覚えたりもした。
 胸を焦がす痛みを、おれは愛したはずだった。憧れて、見ているだけ、話すだけでいいはずだった。それだけでおれはしあわせで、心がときめいていたから。先生に知られてはいけないとわかっている恋だったから。先生みたいな素敵な大人が、目立たない地味な子どもでしかないおれを、見てくれるだなんて思わなかった。教師にしては歳の近い、9つ離れた先生はまるで兄のようで、学校でもお兄ちゃん先生、みたいな扱いを受けていた。
 けれどもおれは、その焦げた煙を抑え込めなくなってしまった。じりじりと拡がっていった焦げはもう隠せなくなってしまって、おれがやけどをしてしまいそうなくらい、先生への慕情をつのらせていた。


 土曜日、おれは学校に赴いた。午前中に開放される図書室目当てで、昼過ぎに帰るつもりで。目的を終えて、下駄箱で靴を履きかえていたら、偶然、名取先生が来た。奇遇だね、と言った先生に相槌を打って、どうしたんですかと尋ねたら先生は、今からお昼を食べに行くところなんだよと言った。せっかくだから途中まで一緒に行こうかという誘いに、おれは二つ返事でうなずいた。
 ……ほとんど無意識だった。前後の会話内容なんて覚えてない。おれは先生に、好きだと、告げてしまった。それはもう、焦げの炎上だった。火事だ。めらめらと燃え盛る、炎だ。

「――せんせい」
「ん?」
「好きです、せんせい」
「……うん」

 そして冒頭に戻る。
 教師と生徒が一線を越えたら、それは教師の方が世間から誹りを受ける。それくらい、ニュースで見て知っている。それに、おれと先生は年が離れていて、同性で、恋人になるなんていけないってわかってる。けれどもおれは、言わずにはいられなかったのだと、思う。

「……おれが卒業したら、もう一度、考えてくれませんか」
「どうだろうね。君のその感情は、はしかのようなものかもしれないよ。それを抜きにしたって、私なんかに恋をするのはやめておいたほうがいい」
「でも、おれは」
「田沼くん。……後生だから、その恋は捨て置いてくれないかい」

 君は、私の、初めての教え子なんだよ。と、穏やかな表情で、先生は懇願するように言った。もう、言葉は続けられなかった。つらさだとか痛みがこみあげてきて、おれはいよいよ涙をこらえきれなくなった。
 ぽつり、ぽつりと熱いしずくが目からこぼれおちて、おれは嗚咽を漏らした。ビニール傘の柄を握りしめて、しゃくりあげるおれに、先生はハンカチをさしだして、静かに言ったのだ。

「好きになってくれて、ありがとう」

 そんなこと、言わないでください。そんなこと言うならはっきりと、否定してください。おれに変な期待をさせないでください。おれは今から頑張って、この恋を消すのだから。鎮火させた燃えかすに、また炎が灯りそうになるような火種、残させないでください。捨ててしまえばいいはずの燃えかすを、どこにどうやって捨てたらいいのか、おれはわからないのだから。
 せんせい、教えてください。古典以外にも、おれは恋する心のときめきやしあわせをあなたに教えてもらった。ならば、この恋の捨て方も。おれには持て余すこの心を、どうやったら捨てることができるのか、あなたならば。先生ならば、おれにわかんないこと、いつもみたいに教えてくれるでしょう。



恋の捨て場所



120812


♪せんせい/森昌子



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