夜桜を見に行かないか、と夏目は田沼を誘った。彼の父親が出張だからと田沼は夏目の家に泊まりに来ている夜のことだ。
 今夜は月や星明かりがあるから、じゅうぶん桜を見れるはずだと付け加えられた言葉に、そりゃいいなと田沼は同意した。夜に見る桜も趣があっていいしと。

「……けど、今からって危なくないか? 妖とか」
「そんなの出てきたらおれが追っぱらってやる」
「はは、頼もしい。それなら下、降りるか」
「いや、ここから行こう。塔子さんたちに心配かけたくない」
「言わないで行く方が心配かけると思うが」
「……ばれなきゃ、いいだろ。塔子さん、あんまりこっち上がってこないし。先生、話は聞いてたな? もし塔子さんが来たらおれに化けてやりすごしてくれ」
「なんで私がそんなことせにゃならんのだ!」
「七辻屋の桜もち買ってやるから」
「ふむ、ならばそれで手を打とう。行ってくるがよい」

 ちょっと大きめのおれの靴、たぶんおまえも入ると思うからそれで行こう。夏目は窓を開けて外に降りた。ずいぶん慣れているんだなと田沼が続くと、まぁなという返事が返ってきた。
 街頭もろくにない暗い道を、彼らは寄り添って歩く。はぐれては困るからとつながれた手は、さりげない仕草で絡められていた。

 田沼に言わないでいるが、夏目には夜桜以外の目的があった。それはそれはひそやかでかすかな心中願望である。
 もちろんそれを実行に移す気はみじんもなかったけれども、年頃の少年の性なのか、彼は心中という言葉に羨望を隠し持っていた。愛情をあまり知らず、つい最近になってあたたかな愛情を知った少年である。愛を表すことにも不器用であるから、彼は田沼と薄氷を踏むような恋を育んでいた。互いが互いを大切に想いすぎる故にあまり積極的になれない恋である。
 八ツ原に桜のきれいなところがあると事前に中級妖怪から聞かされていた夏目は、田沼をそこにおとなう。彼にはこないだ偶然見つけて、と情報源を伏せておいた。

 この世の名残、夜も名残。死にに行く身を譬うれば、八ツ原続きの道の霜、一足ずつに消えていく、夢の夢こそ哀れなれ。

「ほら、ついた」
「おお……こんなところが八ツ原にあったんだな」
「よかった、おれ、この景色をお前に見せたかったんだ」
「ありがとう夏目、夜桜がとてもきれいだ」

 夏目が連れてきた場所には、散り際に近い満開の桜が咲き誇っている。月明かりに照らされて、桜色がおぼろに浮かび上がっている。
 幻想的だな、と田沼は感嘆した。おれが今まで見た桜の中でいちばんきれいだと。夏目は静かにうなずいて、おもむろに田沼の小指に赤い糸を巻き付けた。その糸の先はむろん自分の小指だ。
 突然の夏目の行動を理解できない田沼が怪訝に思っていると、薄く笑んだ夏目が口を開いた。

「なあ田沼、知っているか、……桜の木の下には死体が埋まっているそうだ」
「……なんだいきなり。梶井基次郎だっけ」
「ここの桜、きれいだろう?」
「そりゃあきれいだけど……夏目、どうしたんだ?」
「――なあ田沼、おれと心中しよう」

 その言葉を聞いた瞬間、田沼は激した。馬鹿なことを言うなと。常に穏やかな彼らしからぬ表情で、頬は朱に染まった。恥じらい以外で紅潮するのを見るのは初めてかな、と冷えた頭で夏目はそれを見ていた。
 田沼の手が糸をほどこうとするのを制し、夏目は首を振った。どうして、という呟きが田沼の口から呆然と漏れる。

「友人帳は、塔子さんたちは、北村たちは、……どうするんだ。おまえが死ぬなんて、あっていいわけがない」
「やだな、冗談に決まってるだろ? 大切な人たちを置いて死ぬわけにはいかないよ」
「なら、嘘でもそういうことは言わないでくれ!」
「ごめん」
「ポン太に桜もち買ってやらないとだし、友人帳を返さないといけないし、あの人たちを悲しませることはしちゃいけないだろ」

 ごめん、と夏目は繰り返した。冗談だからな、おれは心中用の短刀も毒も持っちゃいない。
 ……でも、おれはここでおまえとふたりきり、桜を見ながら寂滅為楽と過ごしたいと言う。そんな言葉よく知っていたなと呆れた風に田沼が言う。

「この世の名残、夜も名残……ってな」
「ああ、古典で習ったやつか」
「そうそう」
「……じゃ、そろそろ帰るか。ポン太だけに留守番させとくのは心配だしな、って夏目?」
「――暁まで、ここで眠らないか」
「はぁ?」
「お願いだ田沼、おれはここでおまえと眠りたい。こないだ名取さんに聞いた妖避けの陣を書くから、その中で」

 何で、と田沼は断ろうとするが、夏目の表情に逆らえないものを感じてしまう。好きにさせるしかないだろう、夏目が守ってくれるというのなら妖の心配もそんなにしなくてすむ。決して、赤い糸にほだされたわけではないのだ。無理矢理自分の頭を納得させ、田沼は首肯した。
 やった、と夏目は弾んだ声で陣を展開させた。その中央に田沼を招き、横になる。手指を絡ませて、おやすみと囁いた。

 田沼の寝息を聞いてから目を開けた夏目は、彼の寝顔を見て満足する。赤い糸をたぐり寄せ、ひとりほくそ笑んだ。

「この世で添い遂げられぬならば、せめてあの世で、……なんてな、生まれ変わってもおれたちは一緒だ。運命の赤い糸、がんじがらめにしてほどけないようにして、おれたちが絶対に離れないように。好きだよ田沼、愛してる」

 田沼に届かないほど小さな声でうっとり微笑んだ夏目は、あくびをひとつ漏らして自分も眠りについた。
 かくして、夏目のささやかな心中ごっこは成功したのである。未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり。


心中ごっこ


120518


リスペクト:曽根崎心中/近松門左衛門


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