今日こそ言おう、今日こそ言おうと思って先延ばしにしてきた言葉がある。ニャンコ先生には早く言えとせっつかれているそれをいい加減彼女に伝えようとおれは決意した。
 いつもの帰り道、おれたちは他愛もなく談笑しながら歩いている。けれどおれの心臓はばくばくしていて、それを隠すのに必死だった。いつのまにかおれのちょっとした表情に敏くなってしまった彼女に隠し事をするのは一苦労なんだ。
 八ツ原へと向かう橋の上、おれたちがいつも別れる場所。おれの数歩先を歩いていた彼女はくるりと振り向いて、屈託なく笑って別れを告げた。

「それじゃあ、またね、夏目」
「……田沼」
「ん?」
「なあ、……これからは、ここで別れるんじゃなくて、毎日、おれと一緒に家に帰ろうか」

 とうとう口に出した。おれの一生一代の勇気を振り絞って告白をしたのに、鈍感な彼女はきょとんとおれを見るばかりだった。
 おれの告白は突拍子もないことかもしんなくて、手をつないでたまにキスをするぐらいの清いおつきあいしかしていないおれたちの関係にとっては数足とびのステップなのかもしれないけど、それにしたってこの反応はないんじゃないだろうか。耳まで真っ赤になってる、っておれは自覚してるのに。

「……え?」
「その、おれとおまえが、同じ家に住んで、一緒に暮らすんだ」
「……それってつまり、同棲、ってことか?」
「なんとなく合ってる気もするけど、違うって! だ、だから、ああうまく言葉にならない!」
「?」
「その、お、おれと、け、け、結婚、してくれ、田沼」
「え?」
「結婚! おれと結婚しよう田沼、おまえさえよければ、おれは一生おまえと一緒にいたいんだ」

 半ばやけくそと勢いで言い切った告白に、おれはどっと疲れて脱力した。彼女はというと、おれの言ったせりふから数秒経って、ようやくみるみるうちに頬が紅潮していった。脳の理解が追いついてなかった、って顔だ。
 恥ずかしくて相手の顔をよく見れなくて、変な沈黙があたりを支配する。もじもじして、次になかなか踏み出せない。

 けど、告白だけじゃ終われないのだ。すうっと大きく息を吸って、おれはズボンのポケットをまさぐった。いぶかしげにおれの手元を見つめる彼女にぎこちなくほほえんで、おれは彼女の白い手をそっと取ったのだった。

「……手、出して、田沼」
「こう、か?」
「そう。……これ、受け取ってほしい」

 どくどくと心臓が高鳴って、冷や汗が止まらなくて、緊張しすぎて手が震える。変に湿ったてのひらが気持ち悪くないだろうか。落ち着けおれ、と自分に言い聞かせながら、ポケットから取り出したものを彼女の左の薬指に通した。かろうじてサイズが合って安堵する。
 それだけではなんだか物足りなくて、おれはもじもじしたままとりあえず彼女の手を両手で包みこんでやわく握った。手汗がすごい。彼女と目を合わせられなくて目を逸らし、ただ黙って彼女の白い手を見ていた。口の中がやけに渇く。

「……夏目?」
「……」
「――あの、その、……これ、なぁに?」
「あ、あ、これ、おまえに、プレゼント。婚約指輪、って言うにはちゃちいんだけど、でも、今のおれじゃ、これぐらいしか、おまえにあげられないから」
「そう、なの。……ね、見せて。まだ、わたしは見せてもらってないよ」

 ……あなたの顔も、見せてほしいな。ぼそりと付け加えられた彼女の声に、おれはがばっと面を上げた。すると、彼女は頬を朱に染めてはにかんでいた。あはは、夏目ってば顔真っ赤と彼女がくすくす笑うので、そっちこそと言い返した。
 そしておれは彼女の手をそっと離した。気に入ってもらえると、いいんだけどと付け加えて、彼女の反応を待った。

 指輪はおもちゃの指輪であった。正確に言えば、スーパーで売っているお菓子のおまけについている安っぽい指輪。ほんとは給料三カ月分、と奮発したいところなのだがしがない男子高校生であるおれには財力がない。女児用の食玩なので、レジに持っていくのが少々気恥ずかしかった。
 田沼は数秒ほどぼうっと木漏れ日を反射する青いプラスチックを眺めていた。力を入れればぐにゃりと曲がってしまいそうなリングにお粗末程度につけられた小さな青のプラスチック。サファイアを模していると書いてあって、そういえば彼女の誕生石はサファイアだったとこれにしたのだ。おれにもおそろいの指輪を、とはいってもおれは彼女より指が太いから小指になんとかって感じなのだけど。腕を上げて指輪を眇める彼女の目は細められていて、反射で光る目尻に、彼女が涙ぐんでいるのだと気づいてしまう。

「――た、ぬま?」
「ありがとう、なつめ」

 おれが見たことのないくらい優しい笑顔で、彼女はそうおれに告げた。おれより少し身長の高い彼女は必然的にすこし目線を下げておれを見ているから、彼女のぱさついた髪が揺れた拍子に涙の筋がつうっと頬を伝って落ちていった。雨粒のように、生温かい雫がおれの肌に落ちた。
 おかしいな、嬉しいのに涙が出るんだと田沼は苦笑した。彼女の笑顔につい見とれていたおれは、はっとなって彼女の涙を指で拭いとった。……返事、聞かせてくれないか。みっともなく掠れた声で、おれは彼女の目を見て返事を求めた。今のお礼でじゅうぶん答えになっていそうなものなのに、おれはどうしても、彼女の言葉で受諾を聞きたかった。

「――ほんとに、わたしでいいのか」
「当たり前だ。おれは田沼にしかプロポーズなんかしない」
「……信じて、いいの」
「おまえはおれを、信じてくれないのか?」
「いや、信じてる。信じてるけど、……こわいんだ。わたしは多軌たちみたいにかわいくないし、夏目の足手まといになってるし、夏目とおつきあいしてることすら正直夢見心地なのに、そのうえ、そんな、プロポーズ、なんて」
「高校を卒業したら、おれはすぐにでもおまえと結婚したい」
「……すぐは無理だろう。大人になったら」
「大人になったら、結婚してくれるのか?」
「生活が落ち着いて、あなたが心変わりしていなかったら」
「誓う。誓わせてくれ、頼りないけど、この指輪に」

 はじかれるようにおれは反駁した。彼女は目を伏せておれの誓いを聞いていた。
 おれが唯一知っている、塔子さんと滋さんのような、あたたかな家庭をおまえと築きたい。おれが忘れてしまった家族の分も、おまえとつくっていきたいんだ。同棲も結婚も未来の話になるけど、いつかはおまえと手をつないで家路を歩きたい。ふたりで玄関をくぐるとか、ただいまやおかえりを言いあうとかしたい。

「こういうときってなんて言えばいいんだろ、ふつつか者ですがよろしくお願いします?」
「こ、こちらこそ。改めて、結婚を前提としたおつきあいを」
「……なんか、無性に恥ずかしくなってきた」
「塔子さんたちやご住職にもいつかご挨拶に行かないとな。う、おれ言えるかな……ご住職に、娘さんをおれにくださいって」
「ふふ、ちゃんと言ってくれないと困るな」
「万が一認められなかったら、そのときはふたりで駆け落ち、しような」

 あながち嘘じゃない冗談をたわむれに言って、おれはいったん口を閉じた。おれの次の言葉を待って小首をかしげた彼女の手を引き寄せて、背伸びする。
 そうして彼女の髪で隠れた耳元に、おれは低く囁いた。……誓いのキス、しよう。返事の代わりに彼女がおれの手に指を絡める。言葉もなく見つめあって、それからおれたちは誰もいない橋の上でキスをした。木漏れ日や川の反射と混ざった指輪のきらめきが、閉じた瞳の裏でおれたちを祝福するように瞬いている気がした。


絡めた指が愛になる


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