空気を切り裂くような悲鳴が、あたりに木霊した。

会場内の様子を目にした蘭達の悲鳴だ。そのただならぬ悲鳴と顔面蒼白の様子から、良からぬことが中で起こっていることは見なくても大体想像がつく。その上渚は、中に何があるかを全て把握していた。
沖矢とコナンが颯爽と会場内に駆け込んでいく。同じように、渚から視線を逸らした安室も。渚の様子も気になるが、今は中の検分が先だと判断したのだろう。
そしてコナンを追いかけようとした蘭を、梓の姿をしたベルモットが止めている。
あの中に渚の入る余地はない。彼女達から離れた距離でそれを眺める自分は、やはり傍観者であるような気がした。

やがて梓に連れられて、蘭達は扉の前から離れ、こちらに戻ってくる。狼狽している彼女らを宥めるように、渚はその肩にそっと手を置いていた。

「…蘭ちゃん、園子ちゃん、大丈夫?」
「波土さんが、中で首を吊ってて…っ」

やはり、という思いを抱えながら、渚は眉を寄せた。今回ばかりはたとえ安室に事情を話していても防ぐことのできない事件だった。渚たちがここに来た頃には、彼はもう死んでいたのだから。
後は安室たちが真相を解くのを待つしかない。無意識に溜息が零れていた。
その様子をじっと見られていた気がして、不思議そうに顔を上げれば梓と視線が合って、咄嗟に肩を強張らせてしまった。
些細な変化に気付かれただろうか。思わず抱いた恐怖心に、気付かれていないといい。

「渚さんはあれ、見なかったんですね」
「…悲鳴が聞こえて、怖くて動けなくなっちゃって…」
「でも、見ないほうが良かったですよ」

そう告げる彼女の顔は、蘭や園子のように憔悴している様子などまったく感じられず、面倒なことになったとさえ感じているようにも見える。その正体を知っているが故の先入観かもしれない、が。
それ以上その顔を見ているのが怖くて、渚は視線を梓から外してあちこちに彷徨わせていた。未だ彼女からは視線を感じるような気もするし、気のせいかもしれない。それでも確認する勇気は、どうしても持てそうにない。


「殺されたのはミュージシャンの波土禄道さん…明日ここでライブをやる予定だったそうですね」


やがて警察が到着し、現場検証を始めたようだ。
そして安室たちが先に調べ上げた証言を元に、ここのスタッフから聞いた話をまとめたところ、先ほどの女性マネージャーである円城佳苗とレコード会社社長の布施憶康、それから雑誌記者である梶谷宏和の三人が容疑者として挙げられた。
三人が警察の前に集められ、捜査に加わろうとしているコナンと沖矢、安室も同様に。そうすれば同行者である渚たちも自然とその場に加わることとなる。
渚は一番後ろ、一歩離れたところで目暮たちの話に耳を傾けていた。
聞かなくとも大方の内容は分かる。本来ならわざわざ聞く必要もない。それでも渚の耳は無意識の内に彼らの声を捕らえていた。

話は進み、波土の携帯電話が見つからないという話になっていた。
それに答えたのは円城で、「携帯なら波土はいつも胸のポケットに入れてましたけど…」と不思議そうにしている。それを聞いて、安室の表情が一瞬変化したことに、渚はしっかりと気付いてしまっていた。
あのときのように伸ばしたかった手は、今は差し出すこともできず、彷徨わせる代わりに強く拳を作る。

「胸のポケットですか…そこにはこの『ゴメンな』と書かれた紙が入っていたんですよ。もしかしたら犯人が携帯を抜いた代わりに入れたものかもしれませんね」
「そんな、何のために…?」
「そこまではまだ分かりませんが、念のため筆跡鑑定をしてみましょう。誰が書いたものか、分かるかもしれませんから」

そう言って高木は自分の手帳を取り出し、そこに自分の名前と「ゴメンな」の文字を書くように指示していく。
渚も受け取り、言われた通りに名前と文字を書いた。書きながら、チラと安室に視線を向ける。彼はまだ険しい表情で何か考え込んでいるようで、この様子に気付いていない。
今なら。先に沖矢にこれを渡してしまえば、彼があのことに気付くことはないのではないか。

「渚さんもご協力ありがとうございました」
「あ…」

だが手帳は高木に取られ、次に安室の元へ。先に沖矢へ、という渚の願いは叶わず、高木が何度か安室の名を呼ぶと、ようやく彼は呼ばれたことに気付いて顔をあげた。
手帳を渡され、名前と文字を書くよう言われて初め安室は不思議そうに首を傾げていたが、説明されると納得したように手帳を受け取る。そして文字を書くと高木に手帳を返し、今度はそれに梓が続いた。
そして同じように書き終えて手帳を高木に返した梓に、安室が近づいてこっそりと何かを囁いているようだ。
話の内容は、分かっている。たしか、何故急に梓に変装してやって来たのか尋ねて、それにベルモットは、コナンと蘭の二人に危害を加えないという約束をちゃんと守ってくれるか不安で見に来た、と答えているはず。

そして二人の関心は沖矢へと移行していく。波土の遺体を見て咄嗟に現場に飛び込んだ沖矢が何者か、ベルモットは気になったようだ。
ちょうど沖矢は高木から手帳を受け取り、他の人たちと同じようにそこに名前と文字を書こうとしていた。受け取ったペンを、左手へ。それまで普通の表情でいた安室の目が、途端に見開かれる。


「――左利きなんですね?」


書き終えた頃を見計らうように、話しかけてきた安室に、だが沖矢は特に表情を変えることもなく。
細められた瞳の奥のダークグリーンは、はたして何を考えているのか。

「この前お会いした時は右手でマスクを取られていたので、てっきり右利きかと思ってたんですが…ああ、気にしないでください。別に深い意味はないんです」

いつもの笑みを浮かべている安室からは、何を考えているのか読み取れる気配はない。
「ただ――」そう呟いた、刹那。ひどい寒気さえ感じるほどの負の感情が、彼から迸ったように思えたから。


「殺したいほど憎んでいる男がレフティなだけですから…」


向けられた憎悪を、沖矢は受け止めたのか。流したのか。
そして全てを分かって黙っていた事を知れば、いずれその矛先は自分にも向くのだろうか。強く握り締めた拳は、深く、その爪を渚自身に食い込ませていた。

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