※R15
※出られない部屋ネタ
※本編とは無関係のパラレル軸だと思って読んでください


   ***


「…さん、渚さん!」

体を揺さぶられる感覚。眉を寄せながら薄く瞼を開くと、目の前で金の髪がさらりと零れた。
ほっと安堵したように吐かれた息を耳にしながら、更にじっとそれを見つめる。まだぼんやりとしたものが抜けない。しばらくして焦点が合ってきて、ようやくその正体を認識できるまでに至った。
蒼の瞳が心配そうにこちらを覗き込んでくる。

「…安室、さん?」
「そうですよ。…大丈夫ですか?」

大丈夫とは一体どういうことだろう。安室の言っている意味がいまいち理解できずにぎこちなく首を傾げる。
起きられるかと聞かれて頷いたが、体はうまく動かない。安室が背中に回した手に起こされたところできょろきょろと辺りを見渡す。そういえばここは一体どこなのだろう。最後の記憶はあまり残っていなかった。
渚と安室がいたのは、壁も天井も白一色で埋め尽くされたどこかの部屋の中だった。窓はなく、部屋の中にはベッドが一つと壁際にソファーが一つあるだけの殺風景な部屋。家具すらも白なので背景に溶け込んでしまいそうなほどだ。

(そもそも、なんでこんなところに…?)

まだ目が覚めたばかりではっきりしていない思考では、それ以上を推測するのは難しい。
安室なら何か知っているだろうか。不安げに隣の彼を見上げたが、安室は険しい表情で辺りを見渡している。渚の視線に気付いて瞬時に笑顔を取り繕ったが、彼にしては珍しくぎこちないものだ。

「安室さん、何か知ってるんですか?」
「…すみません。本当は渚さんに不安な思いはさせたくなかったんですが。でも黙っていても仕方ないですしね」

ため息を零し、それから安室は立ち上がった。隅に近寄ってコンコンと壁を叩く。そういえばこの部屋にはドアがないように見えるが、そうなると自分達はどこからこの部屋に入れられたのだろう。そんなことを考えながら安室の様子を目で追っていく。

「詳細は話せませんが、最近起きている事件があって…今僕は秘密裏にその情報を集めているところなんです」
「…じゃあこれも、その事件の…?」
「ええ。人を二人部屋の中に閉じ込め、出された指令に従わないと部屋を出られないという…」
「…ん?」

どこかで聞いた話だなと渚は首を捻った。

「指令の内容は簡単なものから過激なものまで様々、場合によっては犯罪示唆もあるようで、これ以上事が大きくなる前に犯人グループを捕らえないと…渚さん?」
「あ、いえ…犯罪云々は別として、似たようなものが私の世界でも何年か前から流行ってるなと思って…」
「…渚さんの世界でも?」

怪訝そうに眉間に皺を寄せる安室に、「でも私の世界のはあまり関係ないと思うんで!」と慌てて首を横に振る。渚の知るそれはあくまで創作上での話だ。実際に起きているというわけではないし、おそらく安室の話すそれとは別だろう。
渚が一人でそう結論づけている間に、安室は再び部屋の中を見渡している。

「…ん?」

不意にあげた安室の声に渚もつられてその視線の先を追った。部屋の中央には、いつの間にか小さな箱が三つ。先ほどまではなかったそれを怪しく思いながらも、この部屋を出る手がかりになるかもしれないと思えば無視するわけにもいかない。「渚さんはそのままで」と渚を遠ざけ、安室はその箱を一つずつ慎重に観察していく。

「…三つの内二つは開かない、か。ここが本当に例の部屋なら、中身は指令と見て間違いなさそうだが…」

けれど何故三つも。怪訝に思いながらも、安室はまずは端の箱を開けた。中を見た瞬間、その眉がまたひそめられる。
彼はあまり関わらせたくはないようだが、どうしても中身が気になって、渚も後ろから箱の中を覗きこんでしまった。

「…小瓶?」

安室が取り出したのは何かの液体が入っている小瓶が一つ。それから文字が書かれた紙切れが一枚。
その紙には、「どちらかがこれを飲み干すこと」と書かれている。

「…もしかして、これが指令?」

思ったよりは簡単なもので安心した。――一瞬そう思ったが、事はそう単純ではないかもしれない。
なにせ安室が密かに捜査しているというほどの事件なのだ。小瓶の中身について正体ははっきりせず、体にどう悪影響を及ぼすものかも分からない。少なくともただの水などではないだろう。

「…っ」

つい体は強張った。そんな渚の様子を一瞥して、安室はまた自らの手の中の小瓶を見つめている。

「…『この部屋を出たければ三つの指令を順にこなすこと。ただし途中で失敗した場合は最初からやり直しである』」
「え?」
「この指令の続きに書かれていることですよ。…部屋は先ほど軽く調べましたけど、出られそうな場所は見つからなかった。今はこれに従うしかないようです。…渋っていても仕方ない、か」

きゅぽ、と小瓶の栓を開けた安室に、思わず渚は目を見開いていた。
いかにも怪しげな液体を安室に飲ませるわけにはいかない。だからって、自分がこれを飲むのは怖いと言うのも本音である。どうすればいいのか。ぐっと唇を噛む渚に、そっと安室が笑いかけてくる。

「確かにこんな得体の知れないものを飲むのは気が引けますが…だからってあなたに飲ませるよりはずっとマシなので」
「安室さん…」

安心させるように頬をその大きな手が一撫でし、それから安室は小瓶に口をつけた。
初めは匂いを嗅ぎ、次に舌先だけ濡らすように。しばらく待って痺れるような感覚がないことを確認してから、安室は少しずつ中身を飲み干していく。
空になった小瓶を元の箱の中に戻す。直後、カチャと何かが開いたような微かな音が聞こえた。

「今のもしかして、鍵…って、でもドアも何もないんだっけ…」
「開いたのは次の箱みたいですね」

そう言って安室は、今度は中央の箱を開ける。今回は紙切れ以外には何もなく、そこに書かれた文字を見て、安室と渚はお互い不思議そうに顔を見合わせた。

「『一時間待機せよ。ただし互いの一切の接触を禁ずる』…さっきから妙な指令ばかりですね」
「でも、簡単なもので良かったです」

それこそ安室が言っていたように過激なものだったり、犯罪を仄めかす内容だったら困るというものだ。一時間待てばいいだけだというのだから何も難しいことなどない。ほっと息を吐いて、肩の力を抜いていた。

「あの、安室さん。さっきの液体…体は何ともないんですか…?」
「ええ、大丈夫ですよ。あとは遅効性の毒とかでなければいいんですが」
「い、嫌なこと言わないで…」
「すみません、不安にさせるつもりはなかったんですけど」

表情を曇らせた渚に苦く笑って、思わず伸ばしそうになった手を安室は慌てて引っ込めた。一切の接触を禁ずる。それが課されたものだ。

「…渚さんはどこか離れた場所で…そうだな、あのソファーあたりで座って待っていてください」
「安室さんは?」
「もう少し部屋の中を調べてみます。一時間どうせ他にすることもなさそうですし」
「じゃあ私も手伝います!」
「だけど、お互い動き回ってもしぶつかったりしたらまたやり直しですから。すみませんが、あなたはじっとしていてください」

そう説得されては断りようがない。仕方なく渚は壁際のソファーのところまで歩いていって、そこに腰を下ろした。それを確認してから、安室は部屋の探索を始めていく。
改めて渚も部屋の中を見渡してみる。やはり白で統一された部屋にはこのソファーとベッド以外何も見当たらない。否、部屋の中央あたりの壁に監視カメラらしきものが一つだけ。もしかして、渚達をここに閉じ込めた犯人とやらがあれを通じて部屋の中を見ているのだろうか。
だが監視カメラは逆方向を向いていて、渚の今いるあたりは映ってはいなさそうだ。

(それにしても…今どれくらい時間経ったのかな)

部屋には時計がなく、当然スマホなども没収されているため時間が分からない。
安室が部屋を調べながらも絶えず話しかけてくれているため、不安は和らいでいるが、ただ座っているだけでは妙に長く感じられるのも仕方のないことだろう。
結局何も見つからなかったらしく、安室は渚とは離れた壁際に背をつけ、そのまま座り込んで軽く息を吐いている。

(…寒い)

じっとしていたせいか、それとも部屋の不気味さからくる錯覚か、あるいは恐怖心からか。冷たい肌を擦りながら渚はソファーの上で身を縮こませた。流石と言うべきか、それを目敏く見つけた安室は顔を上げ、眉を寄せている。

「渚さん、大丈夫ですか?」
「あ、すみません…この部屋ちょっと寒いなって」
「そうですね、確かに…そうだ、これを被っていてください」

おもむろに立ち上がった安室は、ベッドのタオルケットを拾い上げて、渚に触れないようにそれを手渡す。ありがたく受け取り、タオルケットにくるまれば寒さは十分に和らいだ。

「安室さんは大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫ですよ。いずれにせよタオルケットは一枚しかないようですし…接触を禁じられている以上、一緒に使うのは危険ですから」
「…ですね」

ならありがたく使わせてもらうことにしよう。
ふと、安室の額が汗ばんでいることに気付き、渚は眉をひそめた。こんなに部屋の中は寒いのに、むしろ安室は暑がっているのだろうか。だがそのことに触れる前に彼はまた渚から離れた場所に行ってしまう。
結局、渚は何も言葉をかけられずに抱えた膝に顔を埋めた。

(…安室さん、大丈夫かな)

あの液体は結局何だったのだろう。だが少し険しい表情を浮かべる彼に、その質問を投げかけるのはどうにも憚られた。
――それからどれだけ待っただろうか。何もしない一時間とはこんなにも長いものだったか。ようやくカチャとまた何かが開いたような物音が聞こえて、二人は揃って顔を上げる。
中央の箱を確認すれば、最後の一つの蓋が開いていた。

「……」

さっと中から紙を取り出し、書かれた指令に目を通した安室の表情が、更に険しさを増す。一体何が書いてあったのだろう。後ろから渚も覗きこんで、次の瞬間うっと呻かずにはいられなかった。

「せ…『セックスしろ。しばらくすればドアが開く』って…」

安室と視線が絡んで、堪らず背けてしまった。

(…確かに、この手の部屋だと定番のネタだろうけど!)

しかしここは渚の世界によくある創作の話ではなく、米花町で実際に起きているという事件なのだ。
安室との行為に関しては問題ないが、だからってこんな状況でしたいとは思わない。――とは言え壁にはやはりドアも何もなく、今は言われるがまま指令をこなすしかないのだろう。
彼をいつまでもこんなところに閉じ込めさせるわけにはいかない。一度深呼吸して、渚は意を決したように再び安室の方を見やった。
彼は彼で、壁に取り付けられた監視カメラの方を睨みつけている。――そうだ、ここで事に及ぶということは、それを犯人達に見られるかもしれないということ。決意はあっという間に瓦解し、狼狽えたように渚は視線を泳がせた。
やがて息を吐いて立ち上がった安室は、渚に向き直ってその腕を掴む。

「…巻き込んでしまって本当にすみません。あなたにとっても不本意でしょうが…協力してください」
「それは、その…はい。大丈夫、です」

安室に頼られて嬉しくないはずがない。ここは腹を括るしかないと頷けば、安室はそのまま渚の腕を引いて壁際へと歩いていく。
先ほどまで渚が座っていたソファーに彼女を押し倒し、その体ごと隠すようにタオルケットを羽織った。

「ここなら監視カメラに映らない」
「…でも、それだとちゃんと指令をこなしたかどうか、向こうが分からないんじゃ…」
「さっきもあなたはずっとここに座っていた。本当に僕たちが接触してないかどうかも定かでないのにきちんと次の箱が開いたんだから、きっと問題はないんでしょう」

でも、と戸惑いがちに安室を見上げる。けれど熱に犯された瞳に貫かれては、それ以上反論できそうになかった。

「…それに、あなたの乱れている様子を他に見せつける趣味なんて…生憎僕は持ち合わせていない」

こんな状況にも関わらず、その掠れた低い声に疼いてしまって、結局渚は口を噤んだ。
――今は彼を信じてみるしかない。タオルケットに包まれた中、渚は甘い吐息を漏らしながらそのまま安室に身を委ねた。


   ***


ウィン、と何かが作動したような音が聞こえた。
揺さぶられたまま、渚は朦朧としながらも音の出所を探ろうとタオルケットから少し顔を覗かせた。いつの間にかソファーがあるのとは反対側の壁が一部ぽっかりと開いている。どうやらスライド式のドアで、普段は壁と同化していたようだ。

「あ、むろさん、…っ外、出られる、みたい…」

つられるように安室も渚の示した方を一瞥したが、それでも腰の動きを止める気配はない。

「ごめん、もうちょっと、だから」
「…っん、」

切なげに吐き出された声に促がされ、必死に彼にしがみついて迫り来る波を受け止めようとした。目の前がちかちかと瞬いて、意識が飛びそうになる。圧迫感から解放され、しばらく二人で苦しそうに呼吸を整えてから、ようやく起き上がって乱れた服を正した。
服を着たまま、しかもタオルケットを被った状態だったので先ほどまでの寒さなど忘れすっかり暑くなってしまい、肌はしっとりと汗ばんでいる。

「渚さん、大丈夫ですか?」
「ん、大丈夫…」
「すみません、我慢できなくて。ひとまずここから出ましょう、か…」

安室の手を借りて、抱き合っていたソファーからゆっくりと降りる。まだ足取りはぎこちない。それでも一歩を踏み出そうとしたところで、無機質な作動音と共にドアは無情にも閉まってしまった。

「は…」

思わず呆然と呟いたまま、また白で埋め尽くされた壁を見つめた。
一体、何故。慌てて先ほどの紙切れを確認した安室の眉が険しくひそめられる。どうやらその紙は半分に折り畳まれていて、裏に続きがあったらしい。

「セックスしろ。しばらくすればドアが開く。…『ただし一定時間経つとまた閉まるから注意』」
「……」

まさかそんな注意書きがあったなんて盲点だった。
安室は額に張り付いた前髪をかきあげ、深くため息を零している。

「…すみません、僕のせいでここを脱出する機会を逃した」
「あの…安室さんの、せいじゃ。その、私も…でしたし」

もごもごと言葉を濁しながら、渚は困惑気味にまた部屋の中央に視線を向けた。先ほどの三つの箱は床の中に回収されていき、すぐにまた同じ箱がせり上がってくる。
そういえば、最初の指令が書かれた紙には「途中で失敗したら初めからやり直し」とあったか。案の定、端の箱を開ければあの小瓶と同じものが入っている。
それを取り出した安室に、渚はおずおずと話しかけた。

「安室さん、今度は私が飲みましょうか…?どっちが飲んでもいいみたいだし、別に毒でもないみたいなので…」
「駄目です」

けれど小瓶に伸ばしかけた手は、安室の手によって拒まれた。強い口調に思わず目を瞬かせてしまう。「でも」と渋る渚に安室は一度息を吐き出してから、諭すように首をゆっくりと横に振る。

「これはおそらく媚薬の類です」
「…び、」

媚薬。安室の言葉を反芻して、かっと頬が熱くなった。
――安室の態度がおかしい理由が分かった。伏せ目がちの蒼も、影を落とす長い睫毛も、形の良い唇も。さっきまで散々見ていたものが途端に色気を帯びて見え、視線を反らしたくとも逆に釘付けになってしまう。
渚が黙り込んでる間に、きゅぽ、とその指が小瓶の栓を弾くように開けた。安室の目はじっと小瓶の縁に向けられている。

「一本の効力は大したことはない。僕のことなら心配しなくても大丈夫、なんとか耐えられそうです。…だけどあなたにこんなものを飲ませたら、正直二つ目の指令すらクリアできる自信はないから」
「…っ」

そんな言い方をされては彼の手から無理やり奪うわけにもいかない。それすら彼の思惑通りなのだろう。渚が息を飲んだのと同時に、安室は一気に小瓶の中身を煽った。
その喉仏が上下する様を眺めながら、渚はどうすることもできず、情事の痕跡を染み込ませたタオルケットを握りしめながら、同じようにごくんと唾を飲み込んでいた。

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