目が覚めると、すぐ目の前に小さく寝息をたてながら眠る顔があった。 その肌にそっと指を滑らせれば、くすぐったそうに身を捩るものの、起きる様子はない。これ幸いとその感触を楽しんでいると、一度寒そうに身を震わせてから熱を求めるようにこちらに体を摺り寄せてくる。 そういえば昨日はそのまま寝入ってしまったか。布団は足元でくしゃっと丸まったまま、体を覆うという本来の役目はちっとも果たしていない。剥きだしの白い素肌には赤い痕が全身あちこちに散りばめられていて、自分のしたことながら彼女の負担も考えずにどれだけ夢中になっていたのかと頭を抱えたくなる思いだ。 「ん…」 もぞり、とその身がまた寒そうに一度震える。 布団を被せてあげるべきだろう。風邪をひかせるわけにはいかない。だが安室は布団を引き寄せることはせず、代わりに自らの腕でしっかりと彼女を抱きしめ更にその足に自らの足を絡ませた。ふわ、とその頬が緩んだので、つられて安室も柔らかく目を細めていく。 (…もう少しこの顔を眺めていたいな) 安室が渚の部屋を訪れたのは昨晩のこと。 ある案件によりしばらく激務が続いていた。ようやく片がつき、何日まともに寝てないだろうなと数えながら、気付けば渚の元へ訪れていた。 急な来訪に彼女は嫌がる様子もなくむしろ喜んでくれ、そして安室の目の隈を指摘しながら困ったように笑った。うちで休んでいっていいですよ。休めとはつまり寝ろという意味だったのだろうが、安室はそれを素直には受け取らなかった。壁にその体を押し付けて逃げ場をなくし、呼吸もままならなくなるくらいに何度も深く口づけ、抵抗を許さないように指を絡めて拘束して、そのまま果てるまで激しく抱き潰した。 「…あー」 随分無理をさせたな、と今頃冷静になってきて、安室はほんのりと赤くなっている渚の目元に指を這わせる。 ――いつまでもこうしていたいが、そういうわけにもいかない。抱えていた案件が一つ片付いたからといって、他に仕事がないわけでもないのだ。 ちら、とすぐ傍の時計に視線を向けた。針はもう起床すべき時間を指している。渚からそっと手を離して、今度こそ布団をかけてあげてから安室は静かにベッドから降りた。 脱ぎ捨てた服を一枚ずつ探している内に玄関まで辿り着いてしまった。それらを全部拾い上げ、安室は再び渚のところへと戻る。ベッドに腰掛ければその分だけシーツが沈み、その反動でゆるゆるとその瞼が薄く開かれた。 まだぼんやりとして焦点の合っていない瞳がこちらを向く。 「すみません、起こしてしまいましたか。おはようございます」 「…もう、朝?」 「そうですよ。…起きられそうです?」 「喉渇いた…」 質問の答えにはなっていないが、安室は小さく笑ってからキッチンに向かい、コップに水を入れてまた戻ってくる。起きられますか、と再びの問いに彼女はけだるそうな声を出すだけだ。仕方なくその背の下に手を入れ、上半身を起こしてから唇にコップをあてがう。こく、とその喉が僅かに動いたのを確認してから、ようやく安室はコップを放した。 「体、大丈夫ですか?」 「シャワー浴びたい…」 またも質問の答えにはなっていない。どうやらまだはっきりと覚醒していないようだ。声がひどく掠れているのは、単に昨晩のせいかもしれないけれど。 「仕方ないですね…ほら、腕」 「…?」 「伸ばしてください、こっちに」 渚は不思議そうに首を傾げつつも、言われた通りに両腕を広げながら安室の方に伸ばしてくる。その間に頭を割り込ませ、自らの首に腕を絡ませた。そのまま渚の体を抱え上げると、不意にバランスを失ったことで反射的に彼女は安室にしがみついてくる。 バスルームの方へ歩いていけば、渚は不満そうに眉を寄せている。 「…別に一人で大丈夫なのに」 「僕もシャワー借りたいので。ついでです」 不平は漏らしつつもされるがままなのは、まだ寝惚けているが故だろう。 バスルームに渚を連れ込み、一緒にシャワーを浴びて、バスタオルにその身を包んでからまたベッドまで運んでそっと下ろす。ここでようやく目が覚めてきたのだろう。タオルで体や髪を拭いてくる安室を止めようとして渚が手を伸ばしてくる。 「あの、安室さん。別にそれくらい自分でできますから!」 「気にしないでください。僕がやりたいだけなので」 タオルを奪おうとした手を逆に攫いシーツに押しつけて、まだ何かを紡ごうとした口は自分の唇を重ねて塞ぐ。深いものではないが、離した瞬間にまた口付けられて、そうやって何度も何度も繰り返すことで昨晩の行為を思い出したのだろう。すっかり文句を言う気も失せたらしく、されるがままになった渚を安室は満足げに目を細めて見つめていた。 タオルで拭き終わった後、今度はドライヤーで髪を乾かし、櫛で整える。更にクローゼットから服を選んで取り出し、渚に着せる。何もそこまでと渚は戸惑いの表情を見せていたが、安室が頑として譲らないのを見てついに諦めたようにため息を吐いた。 「…安室さん、疲れは取れたんですか」 「はい、おかげさまで」 代わりに渚を随分疲れさせてしまったが。 時々こうして渚をひどく甘やかしたくなる。それも疲れているときほど顕著だ。こうやって世話を焼くことで癒されているのは案外自分の方なのかもしれない。 あとは朝食を作る時間はあるだろうか。胸の前でシャツのボタンを止めながら、安室はちらと時計に視線を向けた。 「…ん?」 おかしい。安室は怪訝そうに眉を寄せた。先ほどから針の位置が変わっていない。そんな安室の視線に気付いたようで、渚は「あ」と小さく声を漏らした。 「すみません、実は昨日の夜時計止まっちゃって…でも換えの電池がなくて、そのままで…今日買ってこようと思ってたんですけど」 なるほど、つまり朝だと思っていた時間は、昨日の夜のままだったらしい。 正しい時間を確認しようとスマホを取り出せば、まだ明け方にはもう少し時間がありそうだった。カーテンがしまっていて部屋の電気がついたままだったとは言え、隙間から見える外の暗さに気付かなかった自分も間が抜けていたか。 これならまだ焦って家を出て行かなくて平気そうだ。そのことを伝えれば、渚はへら、とその頬を緩ませた。 「じゃあ、もうちょっと安室さんと一緒にいられますね」 そうですねと相槌を打ちながら安室も目を細めて、はにかむその頬にそっと手を伸ばした。――けれど僅かに視線を下にずらせば、ボタンがまだとめかけなせいで、肌蹴たシャツの隙間に自分が選んだ下着といくつもの咲いた花が覗いている。 …水を飲ませたのも、シャワーを浴びたのも、服を着せたのも、全部もう一度やり直すことにならないようにしないと。全ては己の理性にかかっていると思いながらも、正直あまり自信はなかった。 |