「わ、綺麗…!」

イルミネーションは思った以上に圧巻だった。
あの後、安室の仕事が終わるのを待ってから問答無用で車に押し込まれ、錦座近くの駐車場に車を停めてイルミネーションを堪能しながら二人はのんびりと歩いていた。
夜の中に煌めく光は眩いばかりだ。真上にあるそれを眺めるためにぐっと首を上に傾ければ、背の高い安室がそんな渚を上から覗きこむようにしてくる。突然視界に現れた端正な顔に思わず飛び退けば安室が堪らずといった風に吹き出すので、じっと目を細めずにはいられない。

「…またそうやって人のことからかう」
「すみません、そんなつもりじゃなかったんですけど」
「じゃあどんなつもりだったんですか!…ほら、せっかくなんだから真面目にイルミネーション見ましょうよ!」
「はいはい」

クスクスと笑いながら安室もイルミネーションも見上げ、「たまにはこういうのもいいですね」と零している。
渚はバッグからスマホを取り出し、一枚、二枚とイルミネーションの写真を撮った。確認してみたらなかなかいい感じに撮れたのではないか。それを横から覗きこんでくる安室の距離の近さには、もはや文句を言う気力もない。

「…あの、写真撮ってもらってもいいですかぁ?」

その時、女性の二人組がさりげなく自分のスマホを押しつけながら声をかけてきた。
渚にではなく、安室にである。けれど彼もそれを快く引き受け、特に綺麗に写るであろう場所に彼女達を誘導しながらスマホを構えている。その様子を横目で眺めながら、渚はまた自らのスマホに目の前の光景を収めていた。

「すみません渚さん、お待たせしました」
「…あの人達、自撮り棒持ってたのに。親切ですね安室さんは」
「あれ、もしかして妬いてくれてます?」

途端に口角を上げるので、ついムッとなってそっぽを向いてしまった。
図星なのは自分でも分かっている。先日の一件以来、自分でもこの感情に振り回されてばかりなのだ。けれどそれを察した安室が楽しそうに目を細めるものだから、つい憎まれ口ばかり叩いてしまう。

「安室さんって、本当に意地が悪いですよね」
「そんなこと言ってくれるの、あなただけですよ」

そこで何故嬉しそうにしているのかが分からない。
眉を寄せる渚に、けれど相変わらず安室は笑いながら「ほら、真面目にイルミネーションを見ましょう」と渚を促すばかり。先ほどの仕返しのつもりか。けれどそれに反論を返すことはせず、渚も同じようにまた頭上に視線を戻していた。

「…すみません、写真を撮ってもらってもいいかしら?」

そして再びかけられた声。先ほどと違ったのは、話しかけられた相手が渚だったということだ。
渚にスマホを差し出してきたのは初老の女性だった。いいですよ、とそれに了承して彼女からスマホを受け取る。

「ほら、お父さん」

そして彼女が傍にいた男性の腕を引き、二人並んだところで渚は画面をタップした。続けてもう一枚。写真を確認してもらい、「ありがとう」と顔を綻ばせる女性に会釈を返す。

「良かったらあなた達も一枚、撮りましょうか?」
「え、」

けれど思いがけない提案をされ、渚は思わず言い澱んでいた。
気まずそうに視線を泳がせる渚に、女性は不思議そうに首を傾げている。――けれどまさか彼が本当は公安の人間で、写真を残すわけにはいかないからと事情を話すわけにもいかないだろう。
結局、曖昧に濁しながら女性の申し出を断って、そそくさと二人から離れ安室の元へと戻っていく。
安室の視線は、上のイルミネーションに固定されたままだ。

「…すみません」

何に対する謝罪か。だがそれもなんとなく察したので、眉を下げ首を横に振りながら弱々しく笑った。

「別にいいですよ、写真ならこうやって撮れれば十分ですし」

カシャ、とまたスマホで写真を撮って、その画面を見せながら渚は肩をすくめた。
安室はまた何か言いかけたようだが、その前に突然鳴った通知音に眉をひそめ、ポケットにしまったスマホを取り出した。画面を見て小さくため息を漏らした安室は、「すみません、ちょっと」と謝りながら離れたところへ移動していく。

(安室さん、本当は忙しかったんじゃないのかなぁ)

それを見送ってから、再びイルミネーションの方へ。そこで見知った姿を見かけて「あ」とつい声を漏らしていた。向こうも向こうで渚の存在に気付いたのか、目を瞬かせながらこちらへと近付いてくる。

「コナン君!」
「渚さん、なんでここに?」

それは小さな友人だった。それにしても何故ここに、とは随分な言い草ではないか。苦く笑って「イルミネーション見に来たんだよ」と返せば、「一人で?」と悪気ない調子で続けられる。

「い、いやその、…安室さんと」

ちら、と離れたところで電話する彼に視線を向ければ、コナンは納得するようにああと頷いた。

「そう言うコナン君こそ、一人でどうしたの?蘭ちゃん達は?」
「蘭姉ちゃんと和葉姉ちゃんとならあそこでイルミネーション見てるよ。で、平次兄ちゃんが和葉姉ちゃん引き離そうとしてるとこ」
「ほう」

コナンが指差す方を見つめて、つい声が漏れたのを慌てて抑え込んだ。もう少し詳細を聞きたいところではあるが、服部や和葉と初対面の渚が過剰に食いつくのも妙な話だろう。渚にできることは精々勝手に成り行きを見守ることだ。
コナンの言うように、服部が二人の間に割り込んで、和葉の腕を掴んで離れたところに移動していく。それを蘭が固唾を飲んで見守っている様が遠目にもよく見てとれた。
このまま告白して想いが通じ合うんだろうか。けれどそんな甘酸っぱい空気を切り裂いたのは、突然辺りに響き渡った金切り声である。

「――引ったくりよ!誰か捕まえて!」

コナンと渚、二人の視線が一気に声の方へと向いた。
人波を押し退けながら駆けていく一人の男。おそらくあれが引ったくりだろう。だが渚がそう認識するより先に、横のコナンは既に行動を起こしていた。
シューズのダイヤルをいじっている。まさかこんな人の多い中でサッカーボールでも放つつもりだろうかと一瞬ぎょっとしたが、どうやら今日は射出ベルトではないらしい。ちょうどいいものを探してさ迷った彼の視線が渚のバッグに縫い止められた。

「ごめん、渚さん!バッグ借りるよ!」
「へ」

奪い取られ、呆然とした一瞬の間に、コナンは人垣から抜け出した犯人に向かって渚のバッグを蹴り飛ばす。

「いっけえええ!!」
「待っ、」

すごーい、生で聞いちゃった、なんて興奮より蹴り飛ばされたバッグの心配をするのが先である。あの中には品切れのため、あちこちゲーセンをはしごしてようやく入手したアニメキャラクターのぬいぐるみが入っているのだ。あれをゲットするのに電車賃込みで一体いくらかかったと思っているのか!いや、しかしぬいだ。割れ物ではない。おそらく、多分、きっと大丈夫だろうと自分に言い聞かせながら、引ったくり犯の背中からポロっと落ちたバッグを視線で追っていた。
男は倒れこんだものの、よろめきながらも立ち上がり、再び逃亡を図る。なんてタフなんだ、といっそ感心さえしてしまったが、男の前に立ちはだかった姿にその思いも露と消える。

「はああぁ…!」

――そこで構えていたのは、蘭である。
彼女の顔を見て、思わず合掌さえしてしまった。次の瞬間男の呻く声が聞こえ、顔を上げれば案の定男は白目を剥いて地面に倒れ伏していた。瞬殺だった。

「わーお…」

大丈夫、と蘭に聞くのも野暮である。それはむしろ犯人にかけたい言葉だ。自業自得だけど。

「蘭姉ちゃん!」
「蘭ちゃーん!」

コナンが駆けていき、また騒ぎを聞き付けた和葉も同じように蘭の元へ駆け寄っていく。その後ろから不機嫌そうに頭をガシガシと掻きながら近付いていく服部の様子を見る限り、おそらく告白は未遂に終わってしまったのだろう。気の毒という他ない。
犯人が引ったくったらしいバッグを追いかけてきた女性に渡し、また渚のバッグも返してもらった。あとは捕まえた男を抑えながら警察を呼び、と手際よくその後の処理を進める様子を眺めていたら、野次馬の中から伸びてきた手に腕を掴まれ、引きずられた。

「わ、わ、何!?」
「しっ」

慌てて振り向けば、いつの間にか戻ってきていた安室が唇に人差し指を当てている。なるほど、あまり蘭達には見つからないようにしたいということか。そのまま引っ張られ、野次馬の山を抜けたところでようやく彼と向き直った。

「…僕がいない間に妙なことに巻き込まれていたようで」

おそらく事件を引き寄せていたのはコナンである。それをまるで自分が事件体質であるかのように言われては眉を寄せずにはいられない。
そうこうしている間に警察が駆けつけたようで、服部達がその対応に追われているのを一瞥してから、この場から離れていく安室の後を慌てて追いかけた。

(…あの感じだと、告白は持ち越しかな)

結局そこに関しては流れ通りになってしまったなと考えて、それからぐっと唇を噛んだ。流れ通り。それは渚自身ここが漫画の中の世界で、それに沿って進んでいると認識したままだと白状したようなものではないか。そんな風に思いたくないはずなのに。
そしてそんな渚を、じっと安室の蒼が見つめていた。どうしたのかとその瞳が問いかけてくる。何でもないと咄嗟に答えようとして、すぐに力ない笑みを浮かべた。

「…ちょっと嫌なこと考えちゃいました」

安室に対して感情を押し殺しても、あまりいいことはない。
いつの間にか、視線の先にあるのは渚と安室の足元だけ。時々視界の端を足早に過ぎ去る人の足が映る。その視界に新たに安室の褐色の手が入り、渚の手に伸びた。そのまま指を絡めるようにして手を繋がれる。

「え?あの、安室さ――」

けれど渚が何を言うより先に、安室はそのまま渚の手を引くようにして歩き出した。その手に引かれながら、渚は困ったように眉を寄せるしかできない。

「…大丈夫なんですか?こんな、誰かに見られたら」
「この混雑に見事なイルミネーションですから。誰も僕達のことなんて見てませんよ」

それにもし知り合いに見つかったとしても、はぐれないように手を繋いだとでも言い訳すればいいと含み笑いする安室に、「…それにしては恋人繋ぎなんですけど」と渚はため息を吐いた。それからじわじわと頬が熱を持ち、緩んでいく。
ぐ、と握る手に力を込めて、じわりと胸を熱くするものを渚はしっかりと噛み締めていた。


   ***


一方、安室には安室で一つ気にかかっていることがあった。
あの服部という少年は、おそらく渚の言う、この世界を模したという物語の登場人物なのだろう。分かりやすい彼女の反応がその証拠だ。

(物語というからには、主人公という特別な存在がいるに違いない。…ならその『主人公』は一体誰なんだ?)

先ほどの服部の件もそうだが、渚が知りうる人たちの中心にいる人物、そして彼女が知りうる事件によく関わる人物といってもいいだろう。それを突き止めることは、あるいは安室の仕事において有利に働くこともあるかもしれない。
そこまで考えて、これではまるで彼女の知識をあてにしているようだと一瞬浮かんだ考えを振り払った。確かに、彼女が知りうる未来のせいで苦しい思いをするなら自分に話してほしいとは思っているが、だからって無理やり探るような真似を、もうしたいとは思っていない。
自分から彼女との世界の差異を突きつけたいわけではないのだ。
厳しい表情を渚に悟られないように、安室は繋がった手にぐっと力を込めた。

――隣にあって、二人の表情は対照的だった。

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