そして約束の日曜日。 一緒に出かけるのは蘭や園子だけかと思っていたが、待ち合わせ場所に向かえばそこには他にも5人の子ども達。すなわち少年探偵団の彼らである。 いつもの引率の阿笠博士はいないようだが、そこは蘭や園子がその役を担っているのだろう。いや年齢的にいえばその役目は本来自分のはずだが…。 「この子たちも一緒なんだね」 「ガキんちょ達がちょろちょろしてたら渚さんも楽しめないかと思ったけど、まぁ大勢の方がいいかなって!」 「あはは、この子達下手したら私なんかよりずっとしっかりしてるくらいだからそれは大丈夫だよ。うん、大勢の方が楽しいよね」 笑って言えば、園子は何かを含むようにニヤリと口角をあげている。嫌な予感がして渚は思わず顔をひきつらせた。彼女がこういう顔をするときも、大体良からぬことを企んでいる時で―― 「実は渚さんに内緒で、こっそり安室さんも誘ってみたんだけどねー」 「え!?」 「でも安室さん、今日は用事があったみたいで断られちゃって…」 「そ、そうなんだ…(助かった…)」 「おやぁ?渚さん、溜息なんて吐いちゃってちょっと残念そう…?」 「ないない、ほんと、ありえない」 どっちかというと安堵の溜息だからこれ! なおも詮索しようとしてくる園子は適当に受け流し、「ほら、話ばっかしてると時間なくなるよ!」と当初の予定であった遊園地へ押し込もうと渚は彼女の背を押した。 *** 楽しい時間はあっという間に過ぎ、陽は大分傾き始めていた。 今日のメンバーが蘭や園子だけならもう少し遅くなっても問題ないだろうが、今日は子ども達が一緒である。季節的に日が長くなってきたとはいえ、そろそろお開きにしようという形で、一行は帰路につくことになった。 電車に乗り込み、揺らされることしばらく。 地元駅の米花駅で降りれば、遊園地を出た頃よりも空は更に深く、橙色に染まってきていた。 「ほらほらみんな、走っちゃ駄目よー!」 「はーい!」 道を駆けていく子ども達を注意する蘭に、私よりしっかりしてるなぁなんて考えながらその後ろを渚もついていく。 少し先を走る子ども達は、けれど急にその足を止め。前方の交差点に止まる白い車を指差しながら、あ、と声を上げていた。 「あっ!あれ、探偵の兄ちゃんの車じゃねーか?」 探偵の兄ちゃん、と元太が言うそれに。 続いて光彦が「あ、本当だ、安室さんですね!」と言えば、目に見えて渚は動揺し、ピタリと思わず足を止めてしまう。 (――白の、RX-7) 幸い、赤信号で止まっていたらしいその車は青信号になると共に走り去ってしまった。彼が一行に気付いたかどうかは知らないが、渚がその姿を捉えなかっただけでもひとまず緊張感は鳴りを潜めていく。 けれど車がすれ違う時に、ほんの一瞬だけ視線をそちらに走らせてしまい。 だが運転席の安室の姿は、ちょうど助手席に座る人物に隠されてほとんど視界に入ることはなかった。 代わりに一瞬だけ視界に映ったその人物が、こちらも一瞬。渚の方に視線を向けたように感じたのは、気のせいだったのだろうか。 なんだか気になって、車が通り過ぎた後もそこから視線を逸らせない。 「――今、誰か隣に座ってませんでした?」 「光彦君も見た?ちょっとしか見えなかったけど、金髪の綺麗なお姉さんだったよー!」 「!」 子ども達の会話を聞いて、驚いたように渚は目を見開いた。 車はすぐに走り去ってしまったので渚自身は一瞬しかその姿を捉えることができなかったのだが、安室の車の助手席に座る、金髪の美女と聞いて思い当たる人物が、一人。 (もしかして…?) 助手席に座っていたというのは、ベルモットなのではないか。 そんな渚の予想を裏付けるように、哀は顔を青くさせて身を強張らせ、それを庇うようにして立つコナンの表情は険しい。一瞬しか見えなかったが、恐らくこの予想は正しいに違いないと思うには十分な反応だ。 他の子ども達は呑気そうに「今の人、誰だろうねー!」「用事って、デートとかかぁ?」と笑っている。その横では蘭と園子が、興味を示しながらも同時に、戸惑いの視線をちらちらとこちらに向けてくる。 「だ…大丈夫だって、渚さん!きっと探偵の依頼人とかなんかだって!」 「…いや、その心配はありがたいけど…別に気にしてないから」 恋愛事となるとすぐに茶化してくる彼女だが、その心根は思いやりのある子だ。だがその心配の方向性はかなりずれている。 けれど必死になって否定すればそれはますます彼女達の同情を引いてしまうだろうから、渚は軽く苦笑しておく程度に留めた。 むしろ自分に関わりのないところで、一瞬とはいえ実際にベルモットを目にできて興奮を抑えられないくらいだ。もちろんコナンや哀がいる前でそんなこと口にできるはずもないけれど。 なおも何か言いたげな表情を浮かべる園子達だが、結局それを口に出すことはなく、「はい、この話題はもう終わり!」と宣言すれば渋々それに従ってくれた。 その後は今のことなどなかったかのように、また今日の楽しかった話題や、とりとめのない話をしながら歩いていく。 「…あ、じゃあ私、家こっちの方だから…」 どうやら違う道を行くのは渚一人のようだった。改めて蘭達に誘ってくれたことへ感謝の旨を伝え、一人先に別れようとする。 けれどそれに不思議そうに声を上げたのは歩美だ。 「あれ?哀ちゃんも家、向こうの方じゃない?」 「え、そうなの?」 「…ええ。でもちょっと寄り道する用があるから」 「そ、そっか。でもあんまり遅くまで居たら駄目だよ?子どもなんだから早く帰らないと」 「ええ、そうするわ」 おそらく、だが。渚と二人きりになるのを避けているのだろう。 組織の人間を第六感で感じ取る哀には、渚が組織の人間ではないとは分かっているのだろうけど、それでも完全に信用するには値しない人間なのか。 少し寂しい気持ちを堪えつつ、それでも彼女の立場を思えば仕方ない。渚は早く帰るようにと年長者らしく言うだけに留めておいた。 それじゃあ、と今度こそ手を振り、皆と別れる。 「……はあ」 一人になったところで、思わず溜息。 溜息を吐きたくなるほど今日が嫌だったわけではない。子ども達は賑やかだが目を離せないといったこともないし、蘭達と話すのも楽しかった。 そう、むしろこれまでの鬱憤を晴らす勢いで思いきり楽しんだくらいだ。 ただ帰り道に見かけた安室の存在が、その全てを吹き飛ばしてしまった。 終わり良ければ全て良しと言うが、その逆も然り。まるで今日の良い思い出が全て塗り潰されてしまったようだ。安室の隣に居たベルモットの存在が、また拍車をかける。彼女の髪の毛を拾ってしまったが故に疑いが深まったことを思うと、苦々しい想いだ。 結局、あれからまだ一度もメールは返せていない。 「渚さん!」 安室の記憶に気をとられて、すぐ傍に小さな影が歩み寄っていることに気付かなかった。 不意に名を呼ばれてビクリと肩を震わせ。弾かれたように声の方を向けば、先程別れたはずのコナンがいつの間にか渚の隣に来ている。 「ど、どうしたの、コナン君?」 「博士の家に用があるの思い出したんだ。渚さん途中まで道一緒でしょ?一緒に行こうよ」 「ああ…うん、そうだね」 でも博士の家に用があるなら哀と一緒に帰れば良かったのに。 けれど哀と自分は一緒にできないし、コナンはコナンでおそらく自分に用があったのだろう。安室に続いてコナンにまで疑われるのは、苦しい、けれど。 歩き出したコナンに誘導されるように、渚も足を動かす。道に長く伸びた影は、さっき皆と別れた頃からまた長さが変わっていた。 「ねえ、渚さん」 「うん?」 「…安室さんと、何かあったの?」 足が、止まる。 同じように立ち止まってじっとこちらを見上げてくる、コナンの長い影は、小学生のものとは思えないほど長く伸びている。それは夕暮れ時の現象だと、頭では分かってはいるけれど。 不意に声色が変わったのも相俟って、今の彼は小学生の江戸川コナンではなく、高校生の工藤新一のように思えた。 「…この前も園子ちゃん達に言ったけど。別に、何もないよ」 「前に大尉の飼い主探しの件でポアロで会った時は、渚さん普通に安室さんに接してたのに。あの日から渚さん変、だよね。…ボク達と別れた後、何かあった?」 これだから、この少年は鋭くて困るのだ。 何もない、と言っても彼は誤魔化されてくれないだろう。渚にできることは、ただ口を噤むことだった。 じっとこちらも見つめてくるその瞳の奥は、一体何を考えているのか。少なくとも、渚を疑っている気配はない。これは心配の色、だ。 「…渚さんは、安室さんのことどう思ってるの?」 戸惑いを隠せずに、渚はじっとコナンを見つめ返した。この少年が何を考えているのか。何を求めているのか。分からない。 これが蘭や園子だったら。求めている答えは、検討がつくのだけれど。 「安室、さんは」 適当な言葉で誤魔化そうと思ったのに、何故か口に出たのは。 「――本当は優しい人、だと思ってるよ」 今度はコナンが怪訝そうにする番だった。 無理もない話だ。あれだけ警戒しておいて、では何故「優しい人」だと思うのだろう。思えるのだろう。そう言いたくなっても仕方あるまい。 それにコナンにとって安室はやはり組織の人間、バーボンなのだ。彼の真実が優しい人だと、思えるはずもない。 けれど、実際に彼に会う前から。最初から抱いていたその印象は、どれだけ彼に疑われようと恐怖を抱こうと、なんだかんだ揺らぐことのないもので。 だって、そう、“知っている”から。 安室の何かを知っているのかと、その瞳が問う。けれどそれには答えず、視線を外すことで渚は逃げ出した。先を歩いていく渚に小学生らしくない溜息を吐きながら、コナンは早足でその後を追いかける。 また横に並んで、それからコナンの歩調に合わせたスピードで歩き出した。 「…なんかあんまりこうやって、コナン君と二人並んで歩くことってないよね」 「え?…ああ、そうかも。大体蘭姉ちゃん達とか、探偵団の奴らと一緒の時が多いから…」 「ふふ、なんか新鮮だな」 いや、以前に一度だけあったか。 今みたいに一人で歩いてるところを声をかけられ、行く方向が一緒だったから特に理由もなく、並んで歩いた。 そういえば安室と初めて顔を合わせたのはその時ではなかったか。コナン君、と後ろから掛けられた声に、当の本人より真っ先に自分が反応してしまったのはまだ記憶に新しい。 元の世界にいた頃、この世界で一番好きだった人物。それが目の前にいる現実に、当時の自分を占めていたのは歓喜と、ほんの少しの緊張感。 あの頃が続けば良かったのにと追憶に浸る渚の横顔を、コナンは当惑の表情を浮かべながらじっと見つめていた。 |