「――おじさん、あなたはパン職人ですね」


あの後安室に付き合って頼まれた買い出しを済ませ、その足でポアロに向かった。
一緒にやって来たことについては梓に冷やかされ、何故その考えに至らなかったのか自分でも不思議でならず、思わず頭を抱えたくなったのだが、肝心の安室は楽しげに笑うだけで助けてくれる気配はない。それには恨めしい視線を送りつつも、安室曰く「浮気」だと言うクリームソーダをカウンターでのんびりと堪能していたところ、先ほどの男が店に入ってきたのだ。

(…あ)

男は思いつめた表情のまま安室の背に近づいていく。だがその手が彼の肩にかけられた直後、勢いよくドアを開けてコナン達がポアロ店内に駆け込んできた。
突然のことに男も安室も驚いたように目を見開いている。その様子を眺めながら、渚はアイスを一すくいしたスプーンを呑気に口に運んでいた。
その間にもコナンの推理は続く。爪を綺麗に整えていて、また男の額についたゴムの痕は、主にパンやうどんなどの小麦粉などを扱う調理人が被る帽子によるもの。商店街で姿を消したように見えたのは、店の表側からは見えない調理場に入っていったから。そしてあの商店街にはちょうど、パン屋があったことをコナンは指摘した。
そこから男がパン職人であると予想を立てた経緯を話せば、彼は頷いて、安室のハムサンドに惚れ込んでここ最近ずっとポアロに通っていたのだと語っている。
なるほど、確かにあのハムサンドはとても美味しいし、プロをも唸らせる味と聞いても納得がいく。うんうんと頷きながら、今度はソーダをストローで吸い上げた。

「どうやったらあんな美味いハムサンドが作れるんだ!頼む、作り方を教えてくれ!」
「いや、それは企業秘密なんじゃ…」
「別にいいですよ、教えても」
「え、いいの?」

かくして、安室によるクッキング講座が始まったというわけである。


「――ハムは安いものでいいんですが、できるだけ脂のないものを選んでください」


キッチンに立つ安室を、パン職人の男や梓、そして少年探偵団の面々が取り囲んでいた。目の前のカウンター席を子ども達に譲ったため、渚は少し横にずれて、そこからキッチンを覗き込む。
ハムにはけでオリーブオイルを塗り、ソースを作るためにボウルにマヨネーズを入れている。説明を続ける安室を見ているとふと、味噌が彼の手元から離れたところにあることに気付いた。これでは取りにくかろう。そう思い、手を伸ばしてそっと味噌のケースを安室の方に押しやった。
さりげなくしたつもりだが、安室の目がちらとこちらを向いたからきっと気付いたのだろう。礼を言うように僅かに細められる。

「…それで、隠し味にこの味噌を使うんですよ。あ、少しで大丈夫ですよ。…あとはレタスをお風呂くらいの温度のお湯につけて…」
「ふむふむ…」
「…それから、パンは蒸し器を使って――」

必死にメモを取る男に、安室は丁寧に説明を続けている。
そして最後にパンを重ねたところで4等分に切り、ポテトチップスとパセリを添えて皿に盛り付ければ完成である。

「せっかくですし、召し上がっていきます?…みんなもどうだい?」
「いいの?食べる食べるー!」

元気よく返事をした子ども達に笑って、安室はテーブルを寄せて大人数用にさせたところでそこにパン職人の男や子ども達を招いた。瞬く間にテーブルの上は皿で鮮やかに彩られていく。いただきます、と合わせた彼らの手がハムサンドに伸び、口いっぱいに頬張った。

「おいしい!」
「ああ、この味だ!」

男も満足そうに舌鼓を打ち、しっかりと噛み締めて堪能している。
その後も、このハムサンドを店で出したいと告げる男に、これを店で食べたいならポアロで、持ち帰りたいならあなたの店でと安室は笑いながら話し、ポアロの名を使うなら店長に許可をと梓が窘めていた。
そんな一行の様子をカウンター席でクリームソーダを啜りながら眺めていると、ことん、と渚の前にも皿が置かれた。驚いて顔をあげれば、にこにこと笑みを浮かべている安室と目が合う。

「え、頼んでませんけど?」
「この状況であなたにだけ出さないのも妙な話でしょう」

お代のことなら気にしないでください、と言われたがそういうわけにもいくまい。だがその好意を無下にするのも悪く、実際見ていたら食べたくなってきたのも事実なので、小さく笑って「ありがとうございます、頂きます」と渚もハムサンドに手を伸ばした。いつもと同じ、変わらぬ美味しさである。

「渚さんは向こうに移動しなくていいんですか?テーブルもう一つ寄せれば席作れますけど」
「いいですよ、そこまでしてくれなくても。クリームソーダ持って移動するのも面倒ですし…それにこうやって見てるのも楽しいので」

目を細めながら、渚はじっとその光景を見ていた。
――知っている「話」に介入するのは、いつも抵抗があった。けれど今回は誰が傷つくわけでもない、平和なものである。間近で見られるなんて幸せだなと噛み締めていたのだが、安室は僅かに眉を寄せていた。何か気になることでもあるのだろうか。首を傾げてみたが、「いえ」と彼は視線を外してまた向こうのテーブルに戻ってしまった。不思議そうに見送った後、渚もまたハムサンドに手を伸ばす。

「…あ、ちょっと!」

だが、すぐにまた戻ってきた安室にひょいと皿を取り上げられてしまう。まだ食べてるのに!と声を上げようとしたが、一緒にクリームソーダまで持っていってしまった安室の向かった先は、いつの間にかテーブルが長くなっていた一行のところである。新たにくっつけたテーブルにそれを置き、こちらを振り返った。

「渚お姉さんも、一緒にこっちで食べようよー!」

それに加えて子ども達の誘う声。ここまでされては移動しないわけにもいくまい。苦笑して、それから渚は椅子から立ち上がった。

「…一人で勝手に妙な壁を作らないでください」

ぼそ、と渚にしか聞こえないように囁く声に、しかし渚が何を言う前に彼はまたキッチンの方に戻ってしまった。
壁、だなんて。別にそんなつもりはなかったのだが。それでもふっと、肩の力が抜けたのは事実だ。

「…敵わないなぁ…」

ぽつりと零して、皆のテーブルに混ざったところで再びハムサンドに手を伸ばす。つい頬が緩んでしまうのは仕方ないだろう。渚の表情を、子ども達はハムサンドが美味しいからだと思っているようだが、そのまま勘違いしてくれた方が都合がいい。

「…しかし、隠し味に味噌を使うというのは思い付かなかったな…」
「そう言えば渚さん、安室さんが味噌って言い出す前に味噌のケースを安室さんの方に寄せてたけど、あれ使うって知ってたの?」
「んぐっ」

ハムサンドを口に入れたタイミングで突然そんなことを言うのは止めてほしい。喉に詰まりそうになったのを無理矢理嚥下した。
まさかあれを見られていたなんて。本当に細かいところまでよく見ている少年である。
ようやく落ち着いてから発言主であるコナンの方に視線を向けた。今の慌てようではそれが正解だと告げているも同然ではないか。若干コナンからも呆れた視線を感じるほど。
けれど、コナンの言葉に反応を示したのはむしろ他の面々だった。

「ええ!?まさか渚さん…安室さんに作り方教わってたんですか!?やっぱり二人はそういう…」
「違います、誤解ですよ梓さん!?あれはたまたま…」
「すごいですよね。前に隠し味を言い当てられた時は僕も驚きました。きっと味覚が優れてるんでしょうね」
「だから安室さん!そうやってハードル上げるの止めてください!」

キッチンの方から反応を返す安室には恨みがましい視線を送り、声を荒らげてそれについては必死に否定しておいた。
しかも詳しい事情を知らないパン職人の男までこちらを気にしているものだから始末が悪い。初め不思議そうに首を傾げていた彼だったが、渚の顔に見覚えがあったのか「あ」とやがて小さく声をあげた。

「ああ、あなたはあの時の…駐車場でこの人と一緒にいた…」
「えっ。渚さん、ちょっと詳しく!」
「お、送ってもらっただけですってば!」

またも食いついてくる梓に必死になって誤魔化そうとする。
それにしても、やはりあの時安室と一緒に駐車場で感じた視線は、予想通り彼のものだったか。

「すみません、てっきり恋人なのかと思って…」
「…もしかしてそんな勘違いして、それで私のことも尾行してたんですか?私から安室さんのハムサンドの作り方を盗もうとして…」

確かに渚は安室のハムサンドの作り方を知っているが、だが流石にそれは無駄な探りなのではないか。そう思い、苦笑しながら尋ねたが、彼は不思議そうに眉を寄せている。

「尾行?何のことです?」
「…あれ?昨日商店街で…それにさっきも、安室さんのアイスの買い出しに付き合ってた時も。視線を感じたから、てっきり同じ人かと…違いました?」

しかしよく考えてみれば、今対峙して渚のことを思い出したらしい彼が、渚を付け回していた張本人とは考えにくい。
――だがそれなら、あの視線は一体誰のものだったのか。ぎゅ、と膝の上で拳を作り口を噤んでしまった渚を、離れたところで安室が険しい表情で見つめていた。

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