【ポッキーの日】

困った。実に困った。
何に困ってるって、目の前にいるこの軽薄そうな男だ。
美味しいコーヒーが飲みたいという友人のために、ちょうど近くに来ていたのもありこうしてポアロを訪れたのだが、たまたま隣に座った若い男二人組が先ほどからやたら声を掛けてくるのだ。
「はぁ」と気のない返事をし、適当にあしらっているにも関わらずめげずに話しかけてくる様は逆に尊敬に値するほどだが。
とはいえ面倒なものは面倒である。うんざりしたように眉を寄せ、アイスコーヒーのストローをズッと啜った。

「そういえば今日ってポッキーの日だよね〜」

私のストローを見て思い出したのか、男は自分のバッグからポッキーの箱を取り出し、取り出した一本を口に咥え、「ん」とこちらに向けてくる。

「ねえねえ、俺と一緒にポッキーゲームやらない?なーんて…」

はは、と乾いた笑いが零れた。合コンかよ。いや今時合コンでもそんなゲームしないだろう。というよりいくらなんでも馴れ馴れしすぎる。
その時男の真横に、音もなくひとつの影が忍び寄った。
その正体に気づいた次の瞬間、風を切る音が聞こえたかと思いきや、直後男の咥えたポッキーは根元から折れ、無情にもポッキーの端は地面にぽとりと落ちていく。
切れ口はまるで刃物で切ったかのような綺麗な面を保っていた。
…男がおそるおそる顔を上げれば、そこには安室が綺麗な笑顔を携えて佇んでいる。

「お客様。店内で持ち込んだお菓子を召し上がるのはご遠慮ください」

――どうやらポッキーを叩き落したのは安室の手刀だったようだ。
顔を引きつらせた男の口から、残ったポッキーがぽろりと零れていた。

  ◆◇◆

「今の追い払い方スマートで最高。惚れそう」
「だっダメ!」
「えっ何、それどういうこと、どういうこと?」
「…何でもない。忘れて。今すぐ忘れて」
「ふーん、でも私が忘れてもねぇ…あの店員さんの耳には届いてたりして?」
「絶対聞こえてたに決まってるよ…あの人めっちゃ地獄耳だもん…後で思いっきりからかわれそう…」
「えっなに、あんたの気持ちあの人にバレてんの?」
「……」
「詳しく話せ」
「勘弁して…!」


   ***


【公安調査パート2】

「…降谷さん」
「なんだ、風見」
「その…降谷さんの恋人、についてですが」
「ああ、彼女の素行調査をまだ続けているんだったか。何か俺に報告することでも?」
「実は彼女、最近かなりの頻度で映画館に足を運んでいまして…きっと映画鑑賞が趣味なんだろうと思っていたんですが」
「そういえば映画を見に行く話はよく聞くが…」
「それが、こっそりチケットを確認したら毎度同じ映画なんですよ!」
「…あー」
「彼女、もしかして中で誰かと密会、もしくは何らかの取引でもしているのでは!?」
「…いや、大体想像はつく…だからそれはただの趣味だ…見逃してやれ…」
「ですがこれで同じ映画4回目ですよ!?」
「まだ序盤だ。おそらくこれからまだまだ見るぞ」


   ***


【ぬくもり】

安室の部屋に足を踏み入れた瞬間、ひんやりとした空気が伝わってきた。
外も外で寒いが、屋内もまた違った寒さがある。すぐに暖房をつけてはくれたが、部屋が暖まるまではまだ時間がかかるだろう。しばらくコートは脱げそうにない。

「何か温かい飲み物でもいれましょうか。お湯沸かすので待っててくださいね」

安室の申し出をありがたく受け入れ、キッチンに向かう彼の背を見つめながら私は手のひらに息を吹きかけた。手を擦り、摩擦で熱を取り戻そうとしたがささやかな抵抗である。寒いものは寒い。
するとキッチンから戻ってきた安室が、ソファーに無造作に置かれていた大きめのブランケットを手に取り、それを羽織った。そして私に向かって手招いてくる。ばっと腕を広げるのでその意図はすぐに分かった。羞恥心もあるものの寒さには敵わず、彼の思惑に乗ってその腕の中に収まれば、すぐにその逞しい腕ごとブランケットが私の体を包んでくる。

「すっかり冷え切ってますね。コート、脱いでくれたら良かったのに」
「だ、って。……寒いから」

ぽつりと呟いた言葉にクスリと笑われ、その吐息が耳に触れて堪らず肩を震わせた。それがますます彼の笑いを助長させるとは分かっているのだが。
後ろから伸びた安室の手が私の手に触れ、熱を与えるように撫であげていく。掴まれたまま安室の頬に導かれ、あまりの冷たさに小さく悲鳴が漏れた。また安室の偲び笑う声が鼓膜を震わせる。お返しとばかりに彼の手を攫い、無理やり自分の頬へと引き寄せたが、安室は抵抗することなくその行為を大人しく受け入れるものだから逆にこちらが恥ずかしくなった。

「少し頬が熱くなってきたようですが」
「……うるさい。ほら、お湯沸いたみたいですよ!」
「そうですね。……だけど今寒くてここから動けません。もうちょっと温まったらコーヒーでも入れましょうか」

そう言ったまま彼は私に体をすり寄せてきて、ぐっと抱く腕の力を強くする。徐々に温かいと通り越して熱くなってきた体に、やはり最初からコートを脱いでおくべきだったと後悔したところで、安室が動いてくれる気配は全くなかった。


   ***


【『あかい』に夢中な彼女】

確かに、家に招いておきながら急な仕事により彼女を放置してしまったのは自分である。だからようやく作業を終えリビングに戻ってきたところで、彼女が漫画に夢中になっているのを責められるはずもない。ただ面白くないだけだ。
コーヒー淹れますねと声をかければ生返事がある。キリのいいところまで読み終えるまでまともな反応は期待しない方がいいのだろう。そう諦めため息を吐いた時だった。

「ふへ…あかいさん格好いい…好き…抱いて…」
「――あ?」

思わず口をついて出た声はいつもより低かった。
漫画のページをニヤニヤと締まりのない顔で捲りながら、その口から漏れた言葉。おそらくいつものように無意識のことだろう。彼女が漫画のキャラクターに対して熱を上げているのは毎度のことで、いくらなんでもそこに腹を立てるつもりはない。ただ、その名前には些か問題がある。
安室の低い声にびくりと肩を震わせた彼女がようやくこちらを振り返った。その顔はひどくひきつっている。自分が何を言ったのかは分かっているようだ。

「…今、なんて?」
「い、いやあの、あかいさんって!赤井さんじゃなくて『赤居さん』っていうキャラで!ほらこれ!このキャラです、どことなく安室さんに雰囲気近いでしょ!?」

ほら、と漫画の見開きページを必死に見せつけてくる。
なるほど、確かに安室に似ていると言えば似ている。だが自分に似ているから気に入ってるキャラだと言われたところで、それ以上にその名前があの男と同じ響きを持っている方がよほど不愉快だ。
まだなお弁明しようとする彼女の肩を押せば、あっさりとその体はソファーに転がる。身を起こされる前にその上に跨がって、その手から漫画を抜き取り床に放った。

「ちょ、ちょ、安室さん!?」
「二度と僕以外の男に抱かれたいなんて台詞、吐けないようにしてあげますよ」
「安室さん心狭い!相手は2次元!」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ彼女の言い分を聞いてやるつもりはない。その唇から安室の名前だけが紡がれるようになるまで、安室はひたすら彼女に熱を与え続けた。

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