披露宴は盛況のうちに幕を閉じた。
拍手で新郎新婦を見送り、更に外で見送りの挨拶を交わす。受け取ったプチギフトを引き出物の袋にしまいながら、同じく出席した同僚達や上司と顔を見合わせた。
いいお式だったね、そうですね、なんて会話を交わしながら、預けた荷物を受け取りにクロークへ向かう皆の後を追おうとして、ふと渚の足が止まった。はたして安室のほうも、もう仕事に一区切りついている頃だろうか。

「あの…先に帰っててください。私、さっきちょっと知り合いを見かけたので、様子見てこようかと…」
「えー、まさか、男…?」
「そ、そういうんじゃ…!」

ない、わけではないのだが、正直に言うのも憚られる。
ついモゴモゴと言葉を濁せば、同僚の一人が笑って「じゃあまた!」と手を振って、それからまた歩いていった。それを見送ってから、渚も踵を返し、先ほど安室が入っていった会場の方へと向かう。

(えっと確か…あの部屋、だったかな…?)

だがまだ入り口は閉まっており、終わっている気配はない。そっと肩を落とし、すぐに首を振った。ここで会ったのだって偶然だったというのに、まさかそこまで偶然が続くこともないだろう。
そもそも、安室は何に呼ばれてきたのだろうかと今更疑問に思った。あの格好から予想するにやはりパーティーの類なのだろうか。
入り口に置かれている看板には「東郷家 朱藤家 婚約パーティー」と書かれている。そこからは「例の調査」の内容も「お嬢様のボディーガード」のイメージも浮かんでは来ない。


「――突然すみません。ちょっとお話伺ってもよろしいです?」


不意に後ろから声をかけられ、振り返れば、顎に短いひげを蓄えた男がそこには立っていた。年の頃は30代半ばといったところか。突然何かと眉を寄せれば、男は軽く首を振って「あー、怪しいモンじゃない。こういう者です」とさっと名刺を差し出してくる。
おずおずと手を伸ばし、それを受け取った。名刺には「黒岩哲也」と書かれている。これがこの男の名前だろうか。

「…ルポライター?」

そんな人が自分に一体何の用だろうか。首を傾げていると、「ちょっとこっちに」と肩を押されて廊下の隅に追いやられた。反射的に体は強張り、恐怖に声が詰まる。だがそんな渚の様子を見て「ああ、すまない。別に怖がらせるつもりじゃないんだ」と黒岩と名乗る男は苦く笑って手を離してくれた。
怖がらせるつもりはないと言われても、見知らぬ男からこんなことをされれば誰だって警戒する。ドレスの裾を掴む拳に無意識の内に力が篭った。ある程度距離を保ちながら、「…一体何を聞きたいんです?」と尋ねる声は硬い。

「君、さっきここで金髪の色男に声をかけられていただろう。あの男と知り合いかい?」

頭に過ぎったのは安室の顔だった。
だが黒岩の言葉に、更に渚は緊張を高めていた。まさかこの男は、安室のことを探ろうとしているのか?――だとしたら、彼の不利になるようなことを渚が明かすわけにはいかない。

「…何のことです?」
「おっと、とぼけたって無駄だぜ。あの男と和やかそうに話していたのはしっかり見ていたんだからな」
「…たしかに、挨拶はしました、けど。ちょっとした知り合い程度ですから、特にお話できるようなこともないと思いますけど」
「ちょっとした知り合い程度に耳打ちするような距離感で接するなんて、あの男、見た目通りの軽薄そうな男だねぇ」

まさかそれも見られていたのか。
唇を一文字に結び、眉間の皺が深くなる。不愉快な感情はこの男への警戒心も相俟ってのことだが、それ以上に「軽薄」などという安室への不当な評価に対するものだろう。彼の何を知っているのか、と声を荒らげそうになるのを必死に押さえ込んだ。

「……」
「ああ、君に聞きたいのはそんなことじゃないんだ。あの男と朱藤グループ会長の孫娘との関係性を知りたいだけさ」
「…はい?」

だが予想外の言葉に、つい素っ頓狂な声が口から飛び出していた。
そんなものは初耳だ。強張っていた表情はいつの間にか間抜けたものに変わっていたらしい。ぱちぱちと目を瞬かせていると、黒岩が「…あれ、もしかして知らない?」と尋ねてくるので思わず頷いていた。
しばらく無言が続き、黒岩は頭を抑えため息を零す。無駄足だった、とその口がぼやくのを渚は聞き逃さなかった。

「…あの、」
「朱藤グループの会長の孫娘…朱藤奈都のボディーガードをしている男。只者ではなさそうだし、一体何者だと探っていたんだが…どうやら会長お気に入りの探偵らしいな。…実力主義の会長のことだ。あの孫娘の婿にでもと画策しているんじゃないかと踏んでいたんだが…」
「…え」

なんだか思っていたのと随分違う話だ。その上聞き捨てならない言葉が聞こえて、思わず黒岩を引き止めていた。
今度は黒岩が驚いたように目を瞬かせる番だったが、渚の焦った表情を見て何かを察したのか、「ほー…」と笑って再び廊下の隅へと押しやってくる。いや流石に距離が近くないか。不快は不快だが、先ほどの話の続きも気になって仕方ない。

「…あの、そもそも、今そこで行われているのって婚約パーティー、なんじゃ…」
「そりゃ姉の花瑠のだ。四姉妹の三人目。…元々あの家はこれまでにも色々あってな。一番上の芙由には婚約者がいたが結婚式を前に事故で亡くなった。二番目の亜希はどこぞの馬の骨とも知れぬ男と駆け落ち。だけど無事に三女の婚約が成立して、今度こそ会長の悲願が達成されるってわけだ」
「…悲願?」
「何かと馬の合わない娘婿より、優秀な男を孫娘に宛がって跡継ぎにしたかったんだろ」

なるほど、裕福な家にはそれはそれで大変なことが色々あるのだろう。
だが、その相手に安室を、というのは如何せん納得しがたい話である。元より安室本人がそれを承諾するとも思えないが――


「――きゃあああ!!」


その時、突然。会場の方から何かが叩きつけられるような激しい衝撃音が聞こえてきた。続いて人々の悲鳴。分厚い扉に遮られた中でもこれだけ聞こえるのだから、中では相当なことになっているのだろう。
一体何が起こったのか。渚は不安に瞳を揺らしていたが、対する黒岩はニヤリと口角を上げていた。まるで好都合とでも言わんばかりだ。
黒岩は渚の腕を掴むと、そのまま会場の扉に向かって歩き出す。困惑せずにはいられない。

「あ、あの!一体どこに…」
「中で何があったのか…君も気になるだろ?ドアマンも混乱しているようだし、入るなら今だな」
「はぁ!?いや、ちょっと…!」

招待客でも何でもないのに勝手に中に入っていくのも憚られる。とは言え中の様子が気になるのもまた事実。結局黒岩に引きずられるがまま彼の後をついていき、渚は会場内へと足を踏み入れていた。

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