(長編終了直後くらい) 学校も終わり帰路に着いていたコナンは、ポアロの前を通りかかった時に、なんとなしに窓から中の様子に目を向けていた。 カウンター席の客相手に接客している安室の姿を一瞬視界に捉え、コナンは探偵事務所に続く階段へ向かおうとする。けれどふと、安室の浮かべていた表情を思い出し、再び視線を店内へと戻していた。 (…いつもの安室さん、だ) ここ暫く、そうつい先日までずっと、彼はひどく憔悴しているような表情を浮かべていたのに。 けれど今日の安室はどうだ。以前のようににこやかに笑みを浮かべ、いや、以前より更に柔らかくなっているようにさえ見える。 何があったのかと思う前に、安室の前にいる人物を見て、コナンの目が驚愕に見開かれた。こちらに背を向けている形だが、あれは間違いない。 気付けばコナンは踵を返し、走った勢いのままポアロのドアを開けていた。 からんからん、とベルが派手な音を立てる。驚いたようにこちらを見た黒曜の瞳と視線が絡んだ。 「――渚さん!」 「コナン君!」 見開かれた瞳が、ゆるゆると細まって。 久しぶりだねぇ、なんて呑気なその声に、苛立ちもしたけれどそれより安堵の方が強い。 妙な話だ。ただ帰省していたと伝えられていただけだというのに。なのにもう二度と彼女に会えない気がしていたから、こうしていつもと変わらない姿を見て、思わず胸を撫で下ろしていた。 隣が空いてるからと席を示され、コナンは促されるままにそこに座る。 「あ、あのさ、渚さん――」 「ん?何々?」 「ああ、そうだコナン君。前に君から渡されたスマホ、ちゃんと返しておいたよ」 「あ、そうそう。返してもらったよ。ありがとね、コナン君」 「う、うん、どういたしまして。それより渚さん…」 「それでコナン君、今日は何を飲むんだい?オレンジジュース?アイスコーヒー?」 「えっとそれじゃあアイスコーヒーで…ねえ、ところで渚さん」 「渚さんはコーヒーのお代わり、いりますか?」 「あ、お願いします!」 どうやら安室はコナンに話させる気がないらしい。コナンが口を開こうとするとその度に割り込んできて、渚の気を逸らそうとしている。 渚は帰省したと聞かされていた。用事が済んでまたこちらに戻ってきたということなのだろうが、それにしても彼女の故郷とは。記憶が戻ったのか、それとも記憶喪失とはそもそも偽りだったのか。尋ねたいのに、安室がそれを許そうとしない。 仕方ない、安室のいない隙を見計らって聞いてみるかとひっそり考えていたが、それすら彼にはお見通しだったようで。 「もう詮索する必要はないよ、と言ったはずなんだけどね」 「…なんのこと?ボク子どもだから分かんないよ!」 わざとすっとぼけてみれば、安室は溜め息をこぼしながら苦笑している。 渚は一人、話が見えないようで不思議そうに首を傾げていた。 「…何?何の話ですか?」 「それは僕とコナン君の秘密ということで」 そう言って安室は内緒だと言わんばかりに人差し指を立てて唇の前へ。器用にウィンクしながら向けられた悪戯っぽい顔に、渚は呆れた顔をしながらそっと横のコナンに耳打ちしてくる。 「…ずるいよねー、あれ絶対似合うと自分で分かっててやってるんだよ?アラサーのするポーズじゃないよね」 「渚さん、聞こえてますよ」 「聞こえるように言ってるんですー」 こちらもまたすっとぼけたように。そして小さく吹き出した渚に対して、肩を竦めながらも安室の表情もどこか甘い。 そんな二人の様子にチラチラと視線を向けながら、コナンは思わず眉を寄せていた。 (…なんか雰囲気変わってねぇか?) 最初の頃、二人の空気はもっとギスギスしていたはず。 コナンも何かあると時々探りを入れていたが、それは安室も同じだったようで。渚を探るようにしていたのが、いつしか心許したものに変わり、柔和を装いながらもいつも鋭かった彼の気配はいつの間にか本当に柔らかくなっていた。 何かあったのだろう、とは思っていたが、それは自分が口を挟むことでもない。 だがちょうど、そうキュラソーの一件の前あたりから、再び渚の面持ちが暗くなっていたから。ひどく心配していた上に、彼女はどことも知れぬ故郷に戻ったと聞かされ、しかもその時の安室の憔悴ぶりは明らかだったから、ますます心配していたのだけど。 けれど今の二人の様子を見る限り、無事に解決したのだろう。 (…それにしても) 二人の無意識に醸し出す空気に、まるで当て付けられたかのように居心地が悪い。オレここに混ざってていいのかな。思わずそんなことを考えてしまう。 さっさとアイスコーヒーを飲んで退散した方がいいのかもしれない。出してもらったそれを勢いよく吸い上げた。 「そうそう、返してもらったスマホの電源入れたら着信やらメールやらいっぱいあったみたいでビックリしたよ。後で一つ一つ返していかなきゃ…」 「あー…蘭姉ちゃんも心配してたよ」 「うん、蘭ちゃんからもメール来てたよ。…心配かけちゃってごめんね。コナン君も」 そう言って伸びてきた手が、コナンの頭を撫でてきて。 この体になってからは慣れてしまった行為。本当の年齢のことを思うと嬉しくない行為だが、実年齢を踏まえても渚の方が年上なことに変わりはない。 なんとなく憮然とした表情を浮かべながらも、大人しくその手を受け入れていた。 「…あ、ごめんね。思わず…嫌だったよね?」 だがそんなコナンの表情に気付いたのか、渚は苦笑を浮かべながら手を離してしまって。 時々彼女からは、自分に対して小学生ではない扱いを受けているように感じることがある。それがまた彼女の不思議な雰囲気に輪をかけているのだが。 離れてしまった熱を少しだけ寂しく思いながら、「大丈夫だよ!」と子どもらしく振る舞っておいた。 「…ボクは大丈夫だけど、大丈夫じゃない人はいるみたい?」 「え?…ちょっと、安室さん。なんでそんな怖い顔でこっち見てくるんですか」 「怖い顔なんて、心外ですね。微笑ましく見守ってるつもりだったんですが?」 「笑顔だけど目が笑ってないです…!」 渚の指摘した通り、安室はニコニコと二人を眺めていたが、その空気はどことなく冷たく重い。 こんなガキ相手に何やってるんだこの人。自分でなければ耐えかねて確実に泣き出していただろう。 その後も、ぐいと身を乗り出してきた安室が「僕も構って欲しいです」「安室さんそんなこと言うキャラじゃないでしょう!?」「渚さんが照れてくれるなら、これくらいはやりますけど?」「やっぱり人のことからかいたいだけか…!」なんてやりとりをしている。 頼むから勝手にやっていてくれ。再びコナンはアイスコーヒーを勢いよく啜った。 「…そういえば、なんか距離近くなってない?」 それはふと、こぼれてしまった言葉だった。 最後に二人を見たときから、その距離感は更に近いような。何かあったか、と思った直後、その言葉を聞いた安室の笑みは深く、そして渚の顔はみるみる紅潮していったものだから、憶測は確信に変わり。 渚は分かりやすく視線を背けて、慌てたように残りのコーヒーを飲み干している。 「な、なんか店内暑いね!?」 「…コーヒー一気に飲んだからじゃない?というか暑いならマフラー取れば…というか、なんで店内にいるのに付けたまま…」 「だ、だってハイネックなかっ……って何でもない!何でもないよ!?」 急に慌てたように声を荒げた渚に、まずいことを聞いた気がする、とコナンは視線を泳がせた。 対する安室は相変わらず楽しそうに目を細めるだけだ。椅子を倒さんばかりの勢いで、渚は立ち上がった。 「じゃあその!私もう帰りますね!」 「もう少しゆっくりしていけばいいのに」 「もうすぐアニメ始まる時間だから帰ります!!…じ、じゃあコナン君、またね!」 「う、うん、また…」 会計を済ませ、脱兎のごとく逃げ出した渚の背を呆然と見つめる。恐る恐る視線を安室に戻せば、こちらはこちらでまるで鼻唄でも歌い出しそうなほどに機嫌が良い。 そして視線が合った後、再び立てた人指し指を唇の前に。 (内緒も何も、誰に話すんだよ) はは、と乾いた笑いをこぼしながら、コナンもさっさと立ち去るべく、残ったアイスコーヒーを一気に飲み込んだのだった。 |