予測可能、回避不可能
机に突っ伏して半ばウトウトしていると次第に周囲が騒がしくなってきた。どうやら皆が登校してくる時間に差し掛かったみたいだ。窓の外から聞こえてくる喧騒が如実に物語っている。
このまま寝たふりをするか起きるか。考えている間にも軽く背中を叩かれ顔を上げた。
「タカやん、大丈夫? どっか悪い?」
「おはよう。コウキ。大丈夫。どこも悪くないよ。ただちょっと……精神的に疲れてるだけ」
「あー。あるよなぁ。そういう時」
声をかけてきたのはコウキだった。どうやら心配してくれたらしい。整えられた細い眉が八の字に歪められていたが、こちらが否定するとすぐさま笑みに象られる。その笑みを見ていたら何だか俺も元気を貰えたような気がして伏せていた上体を起こせば、その油断を突いたかのように廊下側から声をかけられた。
「あ! いたいた! 高谷ー!」
「げっ。西野……」
ブンブンと手を振りながら声をかけてきたのは、例の隠し撮りをしてきた同級生である西野だった。何となく嫌な予感を感じながら席を立って近付こうとすれば、それよりも早く西野は相変わらずの声量で――それこそ教室中に木霊するかのようなボリュームで爆弾を落としてきた。
「お前鶴谷さんと付き合ってんの?!」
「……………………」
――頭痛、再来。
いや、本当やめてくれ。デリカシーどこに置いてきたんだコイツ。普通そんなバカデカイ声で聞くことじゃないだろ。せめて俺が近付いてから聞いてくれ。
湧き上がってくるツッコミたい気持ちを必死に押し留め、しんと静まり返る教室内を意識しないよう注意しながら首を横に振る。
「違う。そんなわけないだろ」
「でも昨日一緒に帰ってたじゃん」
「たまたま方向が一緒だっただけだよ。話もしてないし。席が隣なこと以外接点なんてないよ」
「え〜? なんだぁ。てっきり付き合い始めたのかと思ってたのに」
「違うから」
心底迷惑している。そんな気持ちが空気を読めない西野でも分かるように敢えて眉間に皺を寄せて否定し、自分より少し低い位置にある顔を見下す。そのおかげか、俺の怒り――もとい不愉快だと思っていることが理解出来たのだろう。西野は「悪い悪い」と全然悪びれていない様子で謝罪しながら頬を掻く。
「でもそうだよなぁ。高谷と鶴谷さんって変な組み合わせだし」
「変で悪かったな」
「うはは! ごめんて!」
軽いノリで謝って来る西野に心底溜息を吐きたい気分になったが、グッと堪えて「マジで勘弁してくれ」と念を押す。
一瞬妙な組み合わせにクラスの皆も興味を持ったようだが、西野の勘違い、もとい早とちりだと分かると各々の会話へと戻っていく。だがここに一人だけ、睨むようにしてこちらを睨む男子がいた。
「タカやん。どーいうことだよ?」
「……たまたま帰り道が一緒だったんだよ」
「はー?! 女子と一緒に帰ったとかー! 羨ましいじゃねえか!」
「いや、一緒に帰ったっていうか、帰り道が同じだっただけでロクに会話もしてないよ」
「でも女の子と一緒に帰ったんだろ?! しかも美人の鶴谷さんと!」
「女子なら誰でもいいのか、お前は……」
というか、コウキは鶴谷さん苦手じゃなかったっけ? あのツンと澄ました、取り付く島もない態度に圧倒されるとかなんとか言っていた気がしたんだが。
未だに一人で文句を口にするコウキの声を右から左へと聞き流していると、件のお相手である鶴谷さんが教室に入って来た。
「…………? なに?」
「あ、な、何でもないっ」
ドアの前に座っていた男子がポカンとした顔で見上げたせいだろう。鶴谷さんは顔を顰めて問いかけるが、男子はすぐさま顔を横に振って視線を逸らした。
……よかった。もし鶴谷さんのさっきの問答を聞かれていたら何を言われたか分かったものじゃない。
「おはよう! 鶴谷さん!」
「? おはよう、栗山くん。高谷くんも」
「あ、お、おはようございます」
普段接点のないコウキに話しかけられて訝しんだみたいだが、挨拶をされただけだからか存外普通に挨拶を返す。だがそれに続く言葉はなく、鶴谷さんは席に着くと筆箱やらブックカバーがかけられた本やらを取り出した。
そういえば、鶴谷さんはいつも担任が来るまで読書してたな。あんまり意識してこなかったけど、読書家なのかもしれない。カバーがかけられているから何を読んでいるのかは分からないけど。
「みんなおはよ〜」
「あ、チュウさん、おはやーっす!」
「おはよう、チュウさん」
いつも通りの喧騒に戻った教室の中で、いつも通りのメンバーと集まりHRまでの時間を会話で潰す。
この何気ない時間のおかげで昨夜の苦労はだいぶ洗い流された気がした。
その後の授業も休憩時間も特に困ることはなかったのだが、事件はやはり放課後にやってきた。
「高谷くん」
「は、はい?」
「昨日、私たちが一緒にいるところを見られてたんですって?」
「ッ!」
ギクリ、と体が強張る。
今は帰りのHRが終わったところで、部活動に行く人、委員会活動に行く人、図書室や自習室に行く人、帰宅する人、と様々な要因でざわついている。それでも隣の席故か、彼女の怒気と冷気が綯い交ぜになったような鋭利な声音はよく聞こえ、俺の心臓は大きく跳ね上がった。
「ど、どこでそれを……」
「偶然、小耳にはさんだのよ。というか、君知ってたのね?」
「あ、や……。その……俺も朝加藤から教えられて……」
「はあ……。壁に耳あり障子に目あり、ってやつね。同級生に見られていたなんて思わなかったわ。一体誰が見てたのかしら」
腕を組む鶴谷さんは、眉間に皺は寄っていても殴り込みに行くような勢いではない。傍目からは怒っているように見えたけど、実際はそうでもないのか? いや、単に我慢している可能性もある。ただここで『犯人』を告げたら怒りそ――
「で? 誰が私たちを見てたわけ? 噂の出所はその人なんでしょ? 知ってるなら教えて」
…………やはり怒っていらっしゃったか……。
頭痛が痛い、みたいな顔をしながらも西野の名を口にするかしないか悩んでいると、ワントーン下がった声で「高谷くん?」と名前を呼ばれて背筋が震えた。
「に、西野です!」
「西野? 西野って、うちのクラスの西野くん?」
「そうですっ!」
帰る準備を終えていた鞄を両腕で抱きしめながら必死に肯定すれば、鶴谷さんはクルリと西野の席がある場所を振り返った。だが西野の姿は既になく、鶴谷さんは大きく息を吐き出す。命拾いしたな、西野。明日はどうなるか知らないけど。
「厄介な相手に見られてただけでも頭が痛いけど、文句を言う相手がいないならしょうがないわ。ところで、ちゃんと否定してくれた?」
「しましたよ……」
「そう。ついでに“あのこと”までうっかり漏らしてないでしょうね」
「だから話してませんって!」
どこまでも疑い深い、用心に用心を重ね、石橋を叩く棒で俺を叩いているようにしか思えない鶴谷さんに必死に弁解する。そんな俺に彼女は「それならいいわ」とあっさり頷くと、鞄を肩にかけて立ち上がった。
「それじゃあ私は帰るから。じゃあね」
「は、はあ……」
昨日と同様に颯爽と、それこそ周囲からチラチラと向けられる視線を一切気にせず鶴谷さんは教室を出ていく。
「どうやったらあのメンタルが手に入るんだろう……」
気弱な俺には到底会得出来ないとは分かっていても、どこまでも堂々とした態度を崩さない彼女がほんの少しだけ羨ましくなった。
2022/06/18 16:38
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