_
その日、玄風は父親の異変に気づいた。
「父さん、今日弁当いる?」
父親の早雲は、いつもよりほんのちょっぴり早く起きて、いつもよりほんのちょっぴり多く朝食を食べて、いつもよりほんのちょっぴり甘い珈琲を飲んで。
いつも通りのルーティンワークで二つの弁当を作り上げてしまった玄風は、いつもよりほんのちょっぴり早く家を出ようとしている早雲に声をかけた。
「今日は大丈夫。……なぁ、玄風」
「ん?」
後ろ姿のままの、父親の背中を見つめる。その背中は普段通りに見えた。見えたはずだ。
菜箸を片手に父に返答をすると、こちらを振り返らないまま早雲は言葉を出した。
「大好き」
「…………はぁ?!」
「んじゃーいってきまーす」
そのまま行ってしまった父親の顔を、玄風は見ていない。
息子の日々
作りすぎてしまった弁当を持って、自分の通う天照学院まで進む。この弁当…どうしてしまおうか。
そんなことを考えながら学院の昇降口で革靴から上履きに履き替えていると、後ろから声をかけられた。
「おはようなのでーす!玄風サン!」
「はよーリリー」
元気な挨拶と共に玄風の肩を叩いたのはリリー・N・フロックハート。同級生で同じクラスの彼女は、玄風の大事な親友だ。
「どうしたのです?なんだか元気、ありませんよ?」
「…んー…ないっちゃないしあるっちゃあるんだけど……まぁ良いや。そーいや鍋島は?」
「たんぽぽサンですかー?」
リリーと鍋島たんぽぽは毎日一緒に登校しているのだが、今日は彼女の姿がないようだ。
上履きを履くために地面に置いていた鞄を持ち直して、共に並んで教室まで行く途中で、向かいからとんでもない速さで迫ってくる体育教師の荒神駿河に出くわした。
「あっおはようなのです駿河センセイ!」
「おはようございます駿河先生、弁当いり」
「おはようでござるリリー殿砂渡殿済まぬが拙者暇がないでござるー!!!」
「…ま……す……」
「……いっちゃいましたね…」
バビュンッと飛んでいってしまった彼らの先生に、二人は顔を見合わせて肩をすくめた。
+++++
教室にリリーと共に入ると、先に登校していたクラメイトの匙谷陽子と隣の雪組の生徒である水野忠が椅子に座って話し込んでいた。なんの話だろうか。
「おはよー。お前らが話してるの珍しいな」
「たまには話すっつーの。バイト先での妙な客の話してた」
「匙谷のとこに来た客と、俺がバイトしてる途中に見た客とが同一人物らしくてさ」
「どういうことなのでーす?」
リリーの問いかけに陽子と忠が一度目を合わせると話し出した。
「最初は俺のバイトの近く。俺ペンキ塗りのバイトしてるじゃん?その時も黄色のペンキ塗ってたんだよ。
それで黒塗りの車が通ったんだけどさ、俺ペンキ溢しちまって…」
「あっちゃあ…やっちやまったな水野」
苦笑いを浮かべる玄風に、忠は話を続ける。
「その時にさ、見えた人が変わった髪型で!」
「はぁ?」
「どういうことですー?」
「なんか良く分かんない…髪の毛が半分だけで黄緑色だった」
「…何それ」
「いや、ホントなんだって。な、匙谷」
「おーよ。うちのところに来たおにーさんもその髪型でさ。ペンとルーズリーフ買ってったんだよ」
陽子が手でどんな髪型だったかを示していると、教室に金色の頭の少女が入ってきた。雪組の杜松野喜恵だ。
「ああ、居た。おはようございますリリーさん、すみませんが教科書貸してもらえますか?」
「いいですよ!」
ロッカーへ向かっていった二人を眺めつつ、忠がボソッと呟いた。
「…あのさ、俺、その髪型変な人、実は見たことあるんだよ」
「え、どこで」
「……特高」
「特高って、砂渡のお父さんの勤めてる場所じゃない。機捜だっけ?」
「ああ、うん…」
父の名前が出て、今朝の違和感が甦る。…父親に何が起きているんだろう。
表情を曇らせた玄風に陽子と忠はこの事に関しては触れない方が良いだろう、という結論にいたった。しかし、そこに丁度リリーと喜恵が戻ってくる。喜恵は先ほどの話を聞いていたようで、そう言えば、と玄風に話しかけた。
「砂渡くんのお父上、見かけましたよ」
「え?」
「バイクで走り去っていきましたけど…いつもの白バイじゃなくて、綺麗な緑色のバイクでした」
「(…父さんのZXRだ)」
「しかも、その後をついていく車がいたんですが…急ぎの用でもあったんですかね」
「………そっか」
「(ああああああ砂渡何かごめんっ)じゃ、じゃあそろそろ授業始まるし、俺と杜松野は教室戻るから!!」
ますます顔を曇らせる玄風に気まずさを感じたのか、忠はガタッと立ち上がって喜恵の腕をつかむと引きずるように教室を出ていった。
それとすれ違い様に教室に飛び込んできたのはたんぽぽと東津吹だ。
「おはようなのでーす!」
「おはよー」
「二人ともギリギリだね。何かあった?」
「おはよう……東くんが、色々やらかしてさ…」
「俺は何もやらかしてないっすよ!たんぽぽさんが邪魔しただけじゃないすかー!」
「君の事を僕が止めてやらなかったら今ごろ先生に怒られてたからな」
「…何やったの?東」
机に頬杖をついたまま陽子が聞くと、津吹は人好きのするような笑顔で答えた。
「落とし穴掘ってたんすよ!」
「どこにですか?」
「校庭だよ。朝、僕が登校してきた時に視界の隅に見たことある影がちらついたな、って思ったらスコップ持って次の穴を掘ろうとしてたんだ」
「……鍋島、お前は止めて正解だ…」
「ほら!僕間違ってないよ東さん」
「えー」
「まぁでも、鍋島が止めても止めなくても、多かれ少なかれ怒られるとは思うよ東は」
「匙谷まで酷いっす!」
小さな喧騒に紛れて、玄風の胸の中の小さな違和感は掻き消えていった。
14,04,02
prev next
back