駆け足で夏が過ぎ去り、のんびりと来た秋が少しずつ深まっていく今日この頃だ。日中は汗ばむくらいの陽気だが、日が沈んだ夜は体に当たる風が冷たい。薄手のジャケットの前を閉めて、一騎はいつもより少しだけ足を速めて歩く。
 普段の通りなら途中でスーパーに寄り夕食の買い物をして家路につくところだが、今日はその必要もない。多少うきうきとした心持ちで駅前を歩き、住宅街に続く道へと入る。5分ほど歩いたところで、目の前に柔らかなオレンジ色の明かりが見えてきた。
 車や通行人の邪魔にならないよう路肩に停まっているのは小さなおでんの屋台で、今はもうあまり見かけなくなったリヤカー式のそれは遠目から見ても随分年季の入った雰囲気を作り出していた。小さなカウンター席から外に出た隣にはビールケースで作られた机とパイプ椅子が無造作に置かれたテーブル席もあり、よく仕事帰りのサラリーマンなどが一杯ひっかけて帰っていったりする。店主であるおやじさんが一人で切り盛りし、唯一のメニューである出汁から丹精込めて作られたおでんはとても美味しい。寒くなってくると家でもおでんは作るが、やはりこういう場所で食べると全然違うのだ。
一騎が人通りの少ない場所でひっそりと営業を続けるその店の常連になってからもう1年近くになる。前で立ち止まり、電球の明かりが漏れる暖簾をくぐって先客の隣に座った。いらっしゃいという声と共に、目の前にある四角く区切られた鍋から立ち上る湯気が美味しそうな匂いを連れてくる。
「ごめん、待たせた」
「いや、それほど待ってない。大丈夫だ」
 掛けた声にこちらを向いた先客、総士の前にある白い皿には、既に大根とたまごが乗っていた。どうやら先に一人で始めていたらしい。確かに目の前にこんなのあったら我慢できないよなあ、などと思いながら大根とこんにゃく、牛スジ、コップ2個と瓶ビールを頼んで、先に出されたビールを注ぐ。片方を総士に渡して、挨拶代わりに軽く乾杯してから口を付けた。
「お疲れ様」
「お前もな。レポートは終わったのか?」
「ああ、これでやっと一段落だ」
 最近はどちらも忙しく、あまり顔を合わせない日が続いていた。自分は働いている喫茶店が期間限定のフェアをやるとかで、店で出す料理の試作品を作るのに毎晩遅くまで店に残っていたし(マスターの溝口さんに言われるまま、かぼちゃのコロッケやスープ、ケーキなどとにかく色々作った)、総士は総士で大学のレポート課題に行き詰っていたようで、大学に講義を受けに行く以外は図書館や部屋に缶詰めになっていたらしい。メッセージアプリではこまめに連絡を取り合っていたが、お互いの忙しさが一区切りついて改めてゆっくりと会うのは久しぶりだった。というわけで、今日のこれはちょっとした打ち上げも兼ねている。
 そんなことを考えているうちにことんと音を立てて前に置かれた皿には、透き通った汁と共に鍋から上げられたばかりの具が湯気を立てながら鎮座している。会えなかった間積もった話もあるがとりあえずは目の前の美味しそうなおでんだ。箸入れから割り箸を抜き取って割ったあと、少し厚めに切られた大根に箸を入れた。
 時間をかけてじっくりと煮込まれた大根は、面を取ったり隠し包丁を入れたりと丁寧に下処理がされているので煮崩れせずに何の抵抗もなく箸を通す。一口大に切ってから皿の縁につけられていたからしを少々乗せ、熱々のそれに息を吹きかけて少し冷ましてから口に運んだ。
 中まで味が染みている大根は上品な出汁の味を舌の上に染み出させながら、噛むとほろほろと溶けるように消えていく。後から来るぴりっとしたからしのアクセントも効いていて、一騎は知らないうちに口元を緩めた。
「うまいな」
「そうだな」
 ほっと溜息をつきながらしみじみとした口調で言うと、たまごを箸で切っていた隣の総士が頷いて面白そうに笑う。こんにゃくは弾力があってぶりぶりとした食感が楽しいし、串に刺さった牛スジはとても柔らかく、噛めば噛むほど旨味が溢れ出る。嬉しい気分で箸が進めば酒も進み、そのうち空になったコップに総士がおかわりのビールを注いでくれた。それに礼を言いながら、新しく鍋の中で煮込まれている具材を注文する。
「おっ、やってんな」
 そうして合間にお互いの近況をぽつぽつと話しながら箸を動かして暫く。背後から陽気に掛けられた声に振り向くと、暖簾をかき分けて見慣れた顔が顔を出していた。二人の共通の友人であり、幼馴染の近藤剣司だ。
「剣司」
「おう、総士は昼間ぶりだけど一騎はなんかすげー久しぶりだな。夏前以来か」
「久しぶり、元気にしてたか?」
「まあ死んだ目でレポートやってたコイツよりは元気にしてたんじゃねえかな」
 笑いながらコイツ、と指を指されたのは総士だ。二人は同じ大学に通っていて、学んでいる分野も同じ系列だとかで受ける講義も結構重なるらしい。お互い気を遣わなくてもいいから楽という理由で、構内でもよく一緒に過ごしているのだと総士の話で聞いていた。
 今回のレポート課題も彼のサポートに随分助けられたらしく、そのお礼がしたい、と相談されてそれなら剣司もここのおでん屋に誘って飲もうということになったのだ。とは言ってもそれぞれ仕事や予定があり、現地集合かつ待ち合わせ時間もばらばらになってしまったが。
「咲良は」
「今夜は遠見の家に泊まる。女子全員呼んで女子会らしいぜ」
「へえ」
 咲良と遠見、というのは彼らの幼馴染の名前で、要咲良と遠見真矢という。人口も少ない瀬戸内の小さな島出身の一騎達は同年代間の繋がりが強く、島を出た後もこうして何かあれば連絡を取り合い、今でも時間が取れれば会って近況を話したり情報交換をしている。因みに咲良は剣司の恋人でもあり、二人が殆ど同棲同然の生活をしているのは幼馴染皆が知る所だ。
「野郎は寂しくおでんつまみに飲み会だな。焼酎お湯割りで、あと大根とちくわ、玉子」
 忙しなく動くおやじさんに手短に注文して、剣司は一騎の隣へ座った。外のテーブル席にも客が増えてきて、時折楽しそうな話し声や笑い声が聞こえてはさざ波のように耳に心地よく響く。
 ようやく参加者が全員揃ったところで、出された焼酎とぬるくなった飲みかけのビールで仕切り直しの乾杯をした。
「じゃ、色々とお疲れ様」
「剣司もお疲れ」
「世話になった、ありがとう」
「気にすんなよ、お互い様だろ」
 俺がヤバイ時はもちろん助けてもらうからな、と言って笑う剣司は仲間内でもすこぶる面倒見がいい性格で、何かと敏く気が付いては世話を焼いてくれる。一騎も総士も、人好きのする笑顔と彼が持つ朗らかで明るい雰囲気に度々助けられていた。


 乾杯後の一口を飲んで一息つき、そういえば、と口を開いたのは剣司だ。
「この前甲洋と来主と牛丼食べに行ったんだってな」
「ああ、来主が食べたいって言うから」
「総士も一緒に行ったんだろ?」
「ああ、朝から玄関前で騒がれて断れなかった」
 詳しい話は割愛するが、少し前のことである。幼馴染の春日井甲洋と、島からこっちに出てきてから知り合った来主操という友人と一緒に某大手チェーン店で牛丼を食べたのだ。甲洋を連れた操が休日の朝っぱらから元気よくアパートのインターホンを鳴らし、対応した不機嫌な総士とひと悶着あったのはまだ記憶に新しい。
「メンバーが面白すぎるだろ、俺も行きたかった」
「いや、別にそんなに面白いこともないだろ」
「お前はそうだろうよ、当事者だからな。あー今度衛も誘って皆でなんか食いに行こうぜ、男子会だ男子会」
 島を出てすぐはそれこそ月一のペースでやっていた全員出席の飲み会も最近はそれぞれ予定が合わず、大人数で集まるのもめっきり少なくなっていた。久しぶりに全員揃えば、きっと積もる話もあるだろう。
「肉でも焼くか」
「それいいな……ん、総士、トマト美味いぞ」
 剣司の提案に頷きながらおでんを食べていた一騎が、不意に自分の皿から箸でつまんだトマトの一切れを総士の口元へ持っていった。所謂「あーん」というやつだ。素直に食べた総士が美味しいと頷くのを見て表情を崩し、なんとも満足そうに笑っている。
 突然話の流れを切られ、目の前で起きたことに呆然としている剣司の前で、朗らかな会話は続く。
「意外と合うな」
「だろ?今度作るとき入れてみようかな」
「ああ」
 一応人並みに節度をもっている二人は普段なら人前でこんなことは絶対に、特に総士は絶対にやらないということは知っている。酒も入り親しい仲の人間しかいない環境で気も緩んでいるからだろうが、いきなり傍で見せられた剣司はたまったものではない。我に返った彼の顔に、既に表情は無く。
「あー……まあ分かってたけど、お前らも相変わらずで安心したわ」
「え?」
「どういう意味だ?」
「元気そうでなによりって意味だよ」
 はーっと大きなため息を吐いた剣司は焼酎をあおる。友人二人の仲良しな光景を見せつけられ、せめてもの意趣返しに厭味ったらしく言ってみたが、二人同時に首を傾げられては伝わったかどうか怪しい。ここには剣司の気持ちに同情してくれる味方はいないのだ。残念ながら。やっぱり次に飲む時は、皆で集まろう。彼は固く心に誓った。同時に、今は真矢の家でわいわいやっているのであろう咲良のことが恋しくて堪らない。
 ともかくも今日は総士の奢りだというから、おでんだけでも堪能して帰ろう。そう思いながら、剣司は丁度出された皿から熱々のちくわにかぶりついた。
「……うまいなこのおでん」
「はは、だろ?」


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