〈 sugar sugar pot - 4.ココアを作る 〉




 秋が深くなってくると、冷たい風から逃れるように入り口のドアが開けられる回数が増えてくる。いつもより少し忙しい日々が過ぎ、一週間の丁度真ん中。外では数日振りにしとしとと雨が降っている。空気を底から冷やす晩秋の雨は気分まで鬱々と冷やすようで、それまでの客足もぱったりと途切れてしまった。
 窓の外を落ちる雨垂れの音を聞きながら、ユーリは溜息を零した。前の通りを歩く人の数もまばらで、分厚い雲のせいで薄暗い景色は随分と色褪せて見える。
 何か作業をするにも、朝から一通りのことはしてしまった後。この店で現在唯一の話し相手であるフレンは、先程まで一生懸命シンクの水垢と戦っていたが、手持ちの掃除道具では限界を感じたらしい。店番をユーリに任せ、近所のスーパーまで新しい道具の買い出し中だ。
 カウンターの椅子に座り、読んでいた雑誌を閉じたユーリはひとつ伸びをして立ち上がった。カウンターの中へ回って手を洗う。ともかく、このままでは寝てしまいそうだ。丁度体も冷えてきたし、何か温かい飲み物でも作ろうと少し考えて、棚の奥からココアの缶を手に取った。店に来る客はほとんどがフレンの淹れた珈琲を頼むので、滅多に日の目を見ない代物である。そろそろ賞味期限が迫ってきているそれを、ユーリはタイルの上へことりと置いた。
 小さな片手鍋をコンロに置いて、そこに牛乳をマグカップに二杯分。火をつけてからココアをティースプーンに大盛り二杯、それから少し多めに砂糖を入れる。横でお湯を沸かしているポットがしゅんしゅんと音を立てて、いつもより暗い店内を白く染めるように水蒸気が広がった。
 泡だて器で混ぜながら様子を見て、火の勢いを強くする。くつくつと煮だってくるのに構わず、かしゃかしゃと休むことなく勢いよく混ぜ続けると、仄かに甘い匂いが鼻腔を擽る。空気を入れながらひたすらかき混ぜるのは、ココアを作るのに重要な工程だ。
 まだ手は止めず、タイミングを計りながらじっと鍋の中を観察する。鍋のふちで小さく煮立っていた泡が次第に勢いを増していき、ある瞬間を境に一気に盛り上がってきたら、吹き零れる手前で火から下ろす。火を止めた瞬間立ち上る甘い湯気の下で、とろりと濃厚なココアブラウンが揺れていた。
 茶漉しにくぐらせながら用意した二つのマグカップに注いだ後、ティースプーンで中身をくるりと混ぜ、そこに生クリームを少し垂らして円を描く。ユーリが満足気に微笑んだ時、丁度入り口のカウベルが音を立てた。
 視線を遣った先、前髪に掛かった雫を払いながら入ってきたのは買出しに行っていたフレンだ。手にはスーパーのビニール袋が提げられている。どうやら目的は達成したらしい。
「おかえり」
「ただいま、なんだか甘い匂いがするね」
「ん」
 すんすんと鼻を鳴らしながら、荷物を置いてふらふらとカウンターまで近寄ってきたフレンに苦笑して、ユーリは目の前に片方のマグカップを差し出した。今作ったばかりの深いブラウンのそれを見て、フレンはその正体が分かったらしい。手に取ったマグカップを手のひらで包み込むと、ふわりと溶けるように微笑んだ。
「ユーリのココア、久しぶりだ」
「いつも淹れて貰ってるからな、お返しだお返し」
「それはありがとう」
 カウンターの椅子に腰掛けて、一息付いたフレンはカップに口を付ける。舌に乗る味はユーリの好みで少し甘め。緩やかに喉を落ちていく優しい熱さは、冷えた体を体の底から暖めてくれるようだ。
「美味しいよ」
「そりゃよかった」
「これからもっと寒くなってくるし、来月のお勧めメニューにココアも載せようか」
「あー、いいかもな、出来るだけ早めに使い切っちまいたいし」
 テーブルの上に置いてあるポップ広告は常連客の手作りで、月に一度最早恒例行事となりつつあるその仕事を「いつも美味しい珈琲とお菓子を出してくれるお礼です」と、嬉々とした顔でこなす少女たちの顔を思い出し。また頼まねぇとな、と考えたユーリは、なにやら浮かない顔のフレンに気付いて首を傾げた。
「フレン?」
 名前を呼んだユーリに、はっとしたフレンは少し困ったように笑って頬を掻いた。彼のそんな仕草は珍しく、どうした?と先を促せば少し照れたように手の中のマグカップに視線を落とす。
「いや……今までユーリのココアの味を知っていたのは殆ど僕だけだったから、沢山の人に知られるのは勿体無いと思ったんだ」
 一瞬落ちた沈黙。はあ?と零れたユーリの声に、今のは忘れてくれと焦るフレンの顔が赤い。それを見てしまったユーリも顔が熱くなるのを自覚して、溜息を吐いて思わず顔を隠した。一体何を言い出すのか。普段から恥ずかしいことをさらりと言う男ではあるが、本人も無自覚なうちに唐突に襲い来る言葉の破壊力と来たら。
「お前、ほんと、意味わかんねぇ……」
 頼むから、今だけは入り口のドアが開いてくれるなよと思う。この火照った顔で接客なんて到底無理だ。もう少し、落ち着くまで。先程のフレンと同じように、手に持ったマグカップに視線を落とす。
 舌の上に残ったココアの味が、甘ったるくて仕方なかった。




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