Act.1 現パロ、駅のホームにて


 人工的な光から逃げるように、夜が人混みの影に蠢いている。なんにも気付かずに規則正しく並ぶ人の顔はどれも無表情で、ぽつんと手のひらに置かれた液晶を見詰めていた。その列に紛れて、列の先の四角い箱の入り口が開くと同時、流れに押されるように歩き出した瞬間、強く名前を呼ばれて腕を掴まれる。

「加州くん」

 反射的に振り返った先に、さっき改札で別れた筈の堀川がいた。「じゃあ、また明日」なんて、微笑みながら言った堀川が背を向けて歩いていくのを、こっそりと見送った数分前。家は反対方向だから、今頃は反対側のホームで同じように電車を待っているはずなのに。なんで、どうして。

「堀川…?」

 絶えず続く流れの中、立ち止まった自分たちは障害物にしかならず、迷惑そうな視線を寄越されながらもその場から動くことができずに視線が絡み合う。上がった息、忙しなく上下に動く肩、ふわりと揺れる自分よりも少し色素の薄い黒髪が、白い光に紛れてやんわりと溶け込む。腕を掴んでいる手に、少しだけ力が篭もった。
 少しだけ、話がしたいんだ。最終の電車まであと十分、人混みを避けるようにホームの隅へ移動する。俺と堀川の足元に出来た影の中で、夜が一際大きく蠢いた。









 夜が降り積もっている。春先の少し冷えた空気を引き連れながら、しんしんと重なっていく夜の気配を感じていた。はあ、と吐いた息は流石に白くは濁らなかったけれど、吸い込んだ息は気道を冷やしながら肺まで滑り落ちていく。
 電車を待つ人の列に並びながら、先程まで一緒にいた人のことを思い出した。少し癖っ気のある黒い髪、赤い瞳と、それと同じ色が綺麗に整えられた爪に艶々と光っている。まだ寒いからと、いつも冬になると巻いているマフラーを、今日も巻いていた。
 改札で別れる時に、また明日と言った自分に笑いながら「また明日、おやすみ」と返した彼は、今自分と同じように電車を待っているはずだ。反対側のホームに視線を遣った中に、探していた人物は見つからない。数分前の改札前の笑顔が、頭の中にちらちらと浮かんでは消える。足元から這い上がってきた衝動と、足が地面を蹴るのは同時だった。
 すみません、と声をかけながら、階段を駆け上がる。まもなく二番線に、電車が到着します。耳に届いたアナウンスが僕の背中を押した。ばたばたと慌しく駆ける姿に、何事かと視線を向ける周囲の人に構っている余裕は無い。早く、早く。ホームに伸びるいくつもの列の中に、その姿を探す。

「加州くん」

 ホームに滑り込んできた電車のドアが開いて、乗り込もうと今まさに歩き出した彼は、驚いたように後ろを振り返った。まんまるに見開かれた瞳が照明に反射してきらりと光って、その中に僕を映す。

「堀川…?」

 咄嗟に掴んだ腕が熱かった。心臓はばくばくしているし、上がった息が苦しい。周りを流れる人の迷惑そうな視線と聞こえてくる小さな舌打ちに、早くここから退いた方がいいと思うのに、足は縫い止められたように動かなかった。

「少しだけ、話がしたいんだ」

 終電間際、残された時間はあと僅か。彼の手を引いて、移動したホームの隅で向かい合う。僕達の間で、夜は深々と重なりながら降り積もっていく。








Act.2 本編、本丸にて



 手に持った小さな刷毛の先にぷっくりと丸く付いた赤色が、整えられた爪に落とされる。慣れた手つきですいすいと手際よく右手を動かせば、指先が鮮やかに染まった。
 開いた障子から見える外はどんよりと曇り、屋根から落ちる雨垂れの音が時折微かに響いていた。今日一日暇を貰ったのはいいが、この天気では何もする事が無く、手合わせをしようにも他の刀たちは皆殆ど遠征や出陣で出払ってしまっている。本丸は静かなものだった。部屋の外には誰の気配も無く、午後の気怠い空気を包み込むように、さあさあと、ただ雨の音だけが響く。
 一人暇を持て余してただ座り込んでいるのに耐え切れず、そういえばと朝自分と同じように非番を言い渡されていた姿を探して廊下に出た。まだ夕餉の支度には早い時間、右手に庭を望む長い廊下はひっそりと静まり返っている。
 ある部屋の手前で、堀川は足を止めた。気配を確認してその部屋の主の名前を呼ぶと、響いた声に中にある気配が動いた。畳を擦る音と共に近付いた足音が、ゆっくりと目の前の障子を開く。見上げてくる不思議そうな顔に、微笑んだ。


 特別親しいという訳ではない。堀川の隣には相棒である和泉守が居たし、彼の隣にはいつも大和守が居た。相棒という立場でもなく、いつも隣にいる訳でもない。ただ、同じ組織にいた仲間というだけのこと。堀川と彼、加州清光の関係はそれ以上でもそれ以下でも無かった。今日清光の部屋を訪ねたのも、和泉守と大和守が留守の機会で偶々気が向いただけだ。その筈だった。
 薄暗い部屋の中、視界に映る白い手が黙々と動いている。部屋を訪ねた際、最初は驚いた表情を見せていた清光だったが、二言三言の会話の中でそれが堀川の気紛れだと気付いたらしい。今日は『兼さん』も居ないもんな、と揶揄するように笑った後、入れば?と彼を部屋の中に入れた。
 部屋の中を漂う爪紅の嗅ぎ慣れない匂いは、湿気た土の匂いと複雑に絡み合い鼻腔に届く。わざと深く吸い込んで肺に空気を満たせば、それは瞬く間に甘い露に変わり内側にねっとりと張り付いて離れない。部屋に入った後、丁度爪の手入れの途中だったらしい彼は、何のお構いも出来ないけど、と一言言い添えた後に、部屋の隅の鏡台から小さな壜を取り出して蓋を開けた。それから半刻、清光の手が滑らかに動くのを、堀川は黙って見つめ続けている。
 ぼうっと見つめる先で、また指先に赤が咲く。薄暗い中でも分かる、白と赤の鮮烈な色彩。塗り具合を確かめるように、手を翳した清光が満足気に目を細める。
 それを見た瞬間、とくりと跳ねた心臓が合図だった。眩しいほどの二色と、まるで猫のように細められる双眸を目にして、何を考えたのかすら分からなかった。恐ろしいほどに身の内に沸き上がって来た衝動に逆らうことなど出来るはずが無く、ただ音を立てずに近寄る。気付いた清光が、こちらを見てことりと首を傾げた。
「堀川?」
「ねえ、それって甘いの?」
「は?なに」
 言いかけた言葉を遮るように腕を掴んで、乾く前のてらてらと光る赤色に唇を寄せた。鼻腔を擽る先程よりもきつい爪紅の匂いに、胸の内がざわざわと波立つ。
 唇を離し、目を見開いたまま固まっているその瞳に目線を合わせると、びくりと肩が跳ねた。真ん丸な赤い瞳の中に、自分の姿が写る。影のようなそれの、表情は分からない。衝動に突き動かされるまま、掴んだ腕を僅かに引いて顔を寄せる。二人の間で、影が濃くなった。
 触れる寸前、強く肩を押されて引き離される。その直後、ばしんと乾いた音が、部屋に響いた。
 左頬に走った衝撃。手を当てると、熱を持ったそこがじんじんと痛んだ。
「お、まえ、何してんの……?」
 独り言のように呟かれた言葉に、分からないと答えれば掴んだ腕を振り解かれた。そのままずりずりと後ずさったあと、立ち上がりばたばたと部屋を出て行く清光の足音が聞こえなくなってから、堀川は畳の上に置き去りにされた壜を見た。
 驚愕に染まった顔。小さく震えた手に、剥がれた爪紅。唇をぺろりと舐めると、舌の上に苦味が広がった。








Act.3 本編、大和守安定の憂鬱



出陣から帰ってきたら何より先にまず血の臭いを洗い流そうと思っていたのに、こちらの姿を見つけるなり後ろから引っ付いてきた生温い体温に溜息が零れる。馴染んだ気配は肩に額を乗せたまま、先程から一言も発しない。
「ちょっと、重いんだけど」
 無駄だと分かっていても、一応声を掛ける。勿論返事なんて返って来るはずもなく、さあどうしようかと安定は困り果てた。本丸の中でも人気が無い場所とはいえ、いつ誰が来るか分かったものではない。こんなところを誰かに見られるのは嫌だった。仲が良い、などと揶揄されることにはもう慣れていたけれど、それでも自分にとって出来ればそれは避けたい事態だ。
 頭上から降ってくる雨は、二人分の体を冷たく濡らしていく。前髪から雨粒が落ちるのを見ながら、安定は考える。今日は和泉守も遠征で本丸には居なかったはずだ。本丸に居たのは今背中に引っ付いている清光と、堀川。あ、と声が漏れた。
「なに、堀川と何かあった?」
 問えば、びくりと震えた清光を見て予感は確信に変わる。直後に「別に、何も無い」と返された言葉にやれやれと呆れた顔を作った。馬鹿野郎、何も無い訳あるか。こちらの呆れた気配が伝わったのか、少しの沈黙の後、はあ、と小さく息を吐き出した清光はつらつらと話し始める。
「……堀川の頬、打った」
「え、なんで」
「……言いたくない」
 それきりまた黙り込んでしまった姿に溜息が出そうになって、すんでのところで堪える。その代わり、そのままぐるりと強引に、体の向きを変えて向き合った。そこで初めてみた清光の真っ赤な顔に、安定は今度こそ深い溜息を零す。
「お前、馬鹿だね」
 雨に紛れるようにそれだけ言うと、せめて自分以外がこの情けない顔を見ないようにと、着ていた羽織を頭から強引に被せたのだった。




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