「悪い、おっさんと飲んでくるから遅くなる」
 そんなユーリらしい簡潔なメールがフレンの元に来たのは、彼が大学から帰宅した直後だった。
 ユーリがやむを得ない理由以外で酒を飲むことは珍しく、少し眉を顰めながらもあまり遅くならないように、それから飲み過ぎないようにと返信したのは、今から5時間ほど前になる。
 今は午後11時を指す時計の針を見ながら、フレンは彼にしては珍しい大きなため息を吐いた。
(遅い、な)
 最初はユーリを待ちながら課題をしたり読みかけの本を読んで時間を潰していたフレンだが、中々帰ってこないユーリに焦れて夕食を食べ、更には風呂にも入ってしまった。
 タオルで濡れた髪を拭きながら、何とはなしにテレビを付けてソファに座り込んだところで気が付いた。
 考えてみれば、一人で過ごす夜は随分と久しぶりだ。
 それと同時に感じる何とも言えない違和感は、ただ単に部屋が広いからというわけではないことはフレン自身気が付いている。
 思わず苦笑する。少し前までは、これが普通だったのに。いつの間にか、隣にユーリが居る生活に慣れてしまった。嬉しいやら、でも少し、それがこそばゆいやら。

 そんなことを考えていたら、机の上の携帯が着信を知らせた。ディスプレイには、ユーリの名前。
「はい、」
「もしもし、フレンちゃん?」
 電話の向こうから聞こえてきたのは、ユーリの声ではない。でもフレンにとっては聞きなれた声で。更に言うなら、その声の主は今ユーリと一緒に居るはずだ。
「そうです。レイヴンさんですか?」
 一応確認すると、相手が電話口で苦笑する気配がした。
「そうそう、青年が潰れちゃってね。おっさんではどうにも出来ないから、悪いけどコレ、迎えに来てもらえない?」
「ふーれーんー」
 電話の向こう、レイヴンの更に向こうで、随分と間延びしたユーリの声が名前を呼んでいる。それを聞いたフレンは、先程より大きなため息を落とす。
「分かりました。すぐ行きます。」
 それだけ言うと、彼は悪いわねーと言うレイヴンに場所を聞いて通話を切り、財布をジーンズのポケットに押し込んだ。



 レイヴン行きつけの居酒屋。奥の個室に通されると、座布団の敷かれた畳に転がったユーリが気持ち良さそうに眠っていた。これはあれだ、酔ってる。相当酔ってる。
 瞬時に理解したフレンは盛大なため息を落とす。今日だけで何回落としたかわからないそれにまた落としそうになるのを堪えて、目の前ですよすよと静かな寝息をたてる男を半目で睨んだ。だから酒を飲むときは度をわきまえろとあれほど言ったのに。
「ごめんねフレンちゃん、青年ったらフレンが来ないと帰らないーって駄々こねるから」
 申し訳なさそうに謝るレイヴンはこの分だと多分被害者だ。ユーリは結構質の悪い絡み酒だ。あとすぐに泣く。そのことを身を持って知っているフレンは困ったように笑って頭を下げた。
「いいえ、こちらこそすみません、ご迷惑を」
「いいのいいの、たまに飲む時ぐらいは羽目外す方がいいのよ」
 からからと笑うレイヴンは、優しい目でユーリを見た。少し追い詰められてたみたいだからね、相談に乗ったり愚痴を聞いてあげることは出来るけど、それだけだから。後はフレンちゃんに任せたわ。小さな声で告げられた言葉にはい、と返事をする。
 ユーリががやむを得ない理由以外で酒を飲むことは珍しい。そんな彼がレイヴンを飲みに誘ったのは、やむを得ない理由があったからだ。それを分かっていて付き合ってくれたレイヴンに、フレンは感謝する。

「ユーリ、起きろ。帰るぞ」
「んあ?」
「ほら、ちゃんと座れ」
 腕を掴んで起き上がらせると、寝起きのぼんやりとした瞳がこちらを向いた。黒曜石のその瞳がぱちぱちと瞬きして、目の前に居るのがフレンだと分かるとあれれと首を傾げる。
「ふれん?」
「そうだよ」
「なんで?」
「君を迎えに来たんだ」
 君が僕が来ないと帰らないって駄々こねて迷惑かけるから。レイヴンさんまで使って僕を呼び出したんだろ?そう言いながらおでこにデコピンをお見舞いしてやると、痛ぇ!と悲鳴が上がった。額を押さえるユーリに、テーブルの向こうで成り行きを見守っていたレイヴンが笑う。
「お姫様のお目覚めかな?」
「…うるせえおっさん」
「青年声低い怖い!そんなこと言うならフレンちゃん取っちゃうわよ」
「なんだよフレンはやらねーぞ」
「ちょっ、ユーリ!」
 少し不機嫌になったユーリが腕を伸ばしてきて、腰に抱きつかれた。焦ったフレンにお構い無しに、更には酔っているからかぐたりと遠慮なく体重が掛かって、フレンは倒れそうになりながらもすんでのところで持ちこたえる。
 腰に抱きついたままのユーリはそのまま不機嫌な顔をレイヴンに向けて、しかしそんな彼を見たレイヴンは怒るどころか面白そうに笑った。
「あははは、いらないわよユーリにあげる」
「すみません、レイヴンさん」
「いーえ、こちらこそご馳走さん、今日はずっと他人の惚気で飯がまずいわ」
 苦笑しながら謝ったフレンに、お詫びに今度夕食に招待してよね、いつものおすそ分けじゃなくて。そう言って、レイヴンはからからと笑って手を振った。



「うえ、気持ち悪、吐きそう…」
「…吐くなら僕の背中じゃなくて帰ってからトイレに吐け」
「つめてーの」
 フレンの冷えた声にも、ユーリはからからと笑う。フレンにおんぶされながら、ユーリはいつになく上機嫌だった。平常時にやろうものならやめろ降ろせと盛大に暴れるであろうこの状況にも、彼は何も言わない。
 夜の少し冷えた風が頬を撫でる。けれども背中に感じる重みは酔いの為かほんのりと熱を持っていて、じわじわと服越しに体温が混ざっていく。人気の少ない道は静かで、規則正しく並んだ街灯が仄明るく周囲を照らしていた。
「フレンの背中あつい」
「君の体温が熱すぎるんだ、ばか」
 よいしょ、と言いながらだらんと熱い体を背負い直すと、からからと笑い声が聞こえてくる。 おっさんみてえなんて声が掛かってくるのに、落とすぞと言えばまた笑い声が聞こえて。やはり楽しそうなユーリは、大人しくフレンに体重を預けている。そのうち笑い声も聞こえなくなって、落ちた沈黙。
 寝たのか?訝しんだフレンが言葉を掛ける前に、ユーリが静かに名前を呼んだ。ぎゅうぎゅうと首に絡みつく腕が苦しい。
「フレン」
「何?」
「ふれんー」
 いつもよりとろとろ溶けた声が妙に満足そうで、フレンは目を細めた。こんな甘え方は珍しくて、少し心配になる。どうしたの、なにがあったの、聞きたいけれど、ユーリはきっと何も言わない。だからフレンは、彼の好きなようにさせてやる。それが彼にとって、この上ない安心感と幸福感をもたらすと知っているから。
 ユーリはそんなフレンの背中で安心したように甘く微笑んだ後、後ろから首筋に懐くように擦り寄った。
 小さく息を吸う音が聞こえて、その後すぐに耳元に落ちてきた声はふんわりと柔らかい。
「フレン、オレ、お前のこと好きでいていいんだ」
 緩く鼓膜を揺らす音は沢山の響きを持っていて、思わず息を飲んだ。どこか安心したような、それでいて切なくて苦しいような。言葉では言い表せないそれは、きっとユーリの心の一番柔いところから来た言葉で。
 当たり前だと答えれば、何も返さない代わりにぐりぐりと首筋に懐くユーリに苦笑する。
「くすぐったいよ、ユーリ」
「んー」
「好きだよ」
 ユーリが好きだ。これ以上は言葉で言い表せないくらいの感情を込めて言えば、後ろでユーリが笑う気配がして。

「オレも、好き」
 ぽつりぽつりと、優しい声が鼓膜を揺らした。




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